昨年の大みそか、イスラエル人がエルサレムでデモを行った。子連れのデモで、子供たちはナチスの強制収容所でユダヤ人が着せられたのと同じような服を着ていた。それはある意味、今のイスラエルでホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の記憶が不気味なほど軽くなっていることの象徴だった。

 デモを行ったのは、ユダヤ教正統派の中でも超保守的な一派。乗り合いバスなどでの男女隔離の慣行を廃止しようとする世俗派の動きに反対する抗議行動だった。

 その隊列に何十人かの子供たちがいて、黄色い星を縫い付けたしま模様の服を着せられていた。世俗派の「攻撃」にさらされる自分たちを、あのホロコーストの犠牲者になぞらえたつもりなのだろう。

 これには左右両派の政治家はもちろん、国内外のユダヤ人グループからも、ホロコーストを矮小化する醜悪な試みだという怒りの声が上がった。

 そのとおりだ。だが、イスラエルの人たちが日頃の政治的な議論で、皮肉めかしてホロコーストに言及するのは今に始まったことではない。

 もちろん、イスラエルはホロコーストの記憶を決して忘れないし、EUやヨーロッパ諸国の一部はホロコーストの矮小化を法的に禁じている。

 それでもホロコースト追悼記念館ヤド・バシェム(エルサレム)の学術顧問イェフダ・バウアーに言わせると、「イスラエル人はホロコーストを、政治をはじめとするあらゆる場面で乱用している」。

 例えば1982年にイスラエルがレバノンに侵攻し、ベイルートでパレスチナ解放機構(PLO)のヤセル・アラファト議長を包囲した際のこと。イスラエルのメナヒム・ベギン首相(当時)は、アラファトをヒトラーに例えることで自国の行為を正当化しようとした。そんな比喩は「ホロコーストの真の意味をゆがめかねない」と、バウアーは危惧している。

同胞をナチス呼ばわり

 だが、イスラエル人が同胞のイスラエル人をナチス呼ばわりすることさえ珍しくないのが現実だ。パレスチナ自治区のヨルダン川西岸に勝手に住み着いたユダヤ人入植者たちは、退去を迫るイスラエル兵をナチス呼ばわりする。交通違反で摘発されたドライバーが、警官をナチスと呼ぶことも珍しくない。

 アメリカのユダヤ系団体である名誉毀損防止連盟(ADL)のエーブラハム・フォックスマン会長は、こうした不適切な例えは世界的に見られることであり、無知と時間の経過が原因だと指摘する。

 アメリカではフロリダ州選出のアレン・ウエスト下院議員(共和党)が昨年12月、共和党に関する偽情報を流す民主党を批判し、ナチスドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスも感心するほどの巧みさだと皮肉って物議を醸した。

 インドでは、昨年11月に『ヒトラー・ディディ』と題する連続ドラマの放映が始まった。家事や仕事への責任感から人間性を失い、周囲に厳しく当たる女性ディディの物語だ(ADLなどからの批判を受けて、題名からヒトラーの名は削除された)。

 そんな傾向がユダヤ人の国イスラエルでも見られるのは、実に嘆かわしいことだ。何しろイスラエルには、ホロコーストを生き延びた人たちが今なお約20万人も暮らしている(もちろん世界最多だ)。

 それでもヤド・バシェムの学術顧問であるバウアーは、イスラエル人特有の心情を理解してほしいと言う。「この国はいつも、ホロコーストのトラウマを抱えている。だから対立する相手や敵と見える者を、すぐに自分たちの知る最悪の敵と同一視してしまうのだ」

[2012.1.25号掲載]

ダン・エフロン(エルサレム支局長)