【IT革命児】インターネットを普及させた“AOL”を築いた男「スティーブ・ケース」
個人でインターネットを利用するには、パソコンのほかにインターネットプロバイダと契約する必要がある。インターネットを使っている人なら、プロバイダの世界的な大手である「AOL」をご存じの人も多いだろう。
AOLは、パソコン通信の時代から現在のブロードバンド時代に至るまでネットサービスの世界をリードしてきたプロバイダで、雑誌の付録やパソコンの付属品でAOLのCD-ROMを見たことがあるという人も多いのではなだろうか。
プロバイダの老舗AOLを創設した人物こそ、今回紹介するスティーブ・ケース氏だ。
スティーブ・ケース氏は一代にしてAOLを創設し莫大な富を築いたが、いったいどうやってAOLを起業したのだろうか。彼が起業家になるまでの道のりとともにAOLの歴史を振り返ってみよう。
■AOL設立までの道のり
スティーブ・ケース氏は1958年8月21日、米国のハワイ ホノルルに生まれた。
起業家としての才能は既に幼い頃からあったといわれている。彼は子供の頃、自宅の裏庭で1杯2セントのライムジュースを売ったり、書類の配達を受けることで利益を得ていたというから驚きだ。
スティーブ・ケース氏はマサチューセッツ州にあるウィリアムズ・カレッジで政治科学を専攻。卒業後に勤務したペプシコ社やプロクター・アンド・ギャンブル社(P&G)では、マーケティングやセールスの分野で手腕を振るっている。
退職後の1983年にオンラインゲームの会社を立ち上げたものの、インターネットの重要性にいち早く気づいたスティーブ・ケース氏は仲間とともにコモドールコンピュータ社のユーザーにネットワーク接続サービスを提供するクォンタムコンピュータ社を設立。1989年にAOL(アメリカ・オンライン)と社名を変更した。
■AOLの栄光と挫折
AOLは輝かしい業績を残しているが、すべての事業がうまくいった訳ではない。
●ITバブル崩壊により天国から滑り落ちる
AOLは1992年に株式を公開、15万人の契約者を獲得している。1996年には、パソコンをインターネットに接続するために必要なソフトをCD-ROMで無料配布し、契約者を一気に4600万人へと伸ばした。
1998年、コンピュサーブを買収して250万人の契約者を獲得したAOLは、ネットスケープ社までも買収する。2000年にはタイムワーナー社と1億6600万ドル規模の合併を発表。2001年、AOLの契約者は全世界で3,000万人とふくれあがった。しかし、この快進撃は長くは続かず、ITバブル崩壊によって987億ドルという途方もない損失を出すことにある。
2003年1月12日、スティーブ・ケース氏は業績不振の責任をとって自ら会長職を辞任。通信と放送の融合ともてはやされた「AOLタイムワーナー」は、タイム・ワーナー社の一部門となった。
●日本でのAOLは波瀾万丈
AOLは1996年、三井物産、日本経済新聞社と日本法人AOLジャパン株式会社を設立。翌年、日本でのインターネットプロバイダ事業を開始する。
2001年2月 NTTドコモ(ドコモ)が資本参加し、ドコモAOLに社名を変更。同年6月にドコモと提携したiモードサービス「AOLi」を開始する。
ところが、2003年12月にドコモが資本から撤退、再びAOLジャパンに社名を戻すことになる。さらに2004年7月、イー・アクセス株式会社に営業を譲渡し、2004年8月、AOLiサービスは終了した。現在のAOLジャパン株式会社は、ポータルサイト事業とともに光ファイバーやAOLによるインターネットプロバイダサービスを提供している。
スティーブ・ケース氏はAOLを去ったが、彼がAOLを通して今日のインターネット社会に多大な貢献をしたことは間違いない。彼はAOLのほかにも投資会社やクレジットカードサービス会社などを設立しており、企業家として今後もその活躍が大きく期待されている。
参考:
・AOL - ウィキペディア
・AOL(英文) | AOL - 公式サイト
・スティーブ・ケース [AOL社共同創業者] - ダイヤモンド
・スティーブ・ケース - ちえの和webページ
・Case resigns as AOL chairman(英文) - CNET News.com
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編集部:関口哲司
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AOLは、パソコン通信の時代から現在のブロードバンド時代に至るまでネットサービスの世界をリードしてきたプロバイダで、雑誌の付録やパソコンの付属品でAOLのCD-ROMを見たことがあるという人も多いのではなだろうか。
スティーブ・ケース氏は一代にしてAOLを創設し莫大な富を築いたが、いったいどうやってAOLを起業したのだろうか。彼が起業家になるまでの道のりとともにAOLの歴史を振り返ってみよう。
■AOL設立までの道のり
スティーブ・ケース氏は1958年8月21日、米国のハワイ ホノルルに生まれた。
起業家としての才能は既に幼い頃からあったといわれている。彼は子供の頃、自宅の裏庭で1杯2セントのライムジュースを売ったり、書類の配達を受けることで利益を得ていたというから驚きだ。
スティーブ・ケース氏はマサチューセッツ州にあるウィリアムズ・カレッジで政治科学を専攻。卒業後に勤務したペプシコ社やプロクター・アンド・ギャンブル社(P&G)では、マーケティングやセールスの分野で手腕を振るっている。
退職後の1983年にオンラインゲームの会社を立ち上げたものの、インターネットの重要性にいち早く気づいたスティーブ・ケース氏は仲間とともにコモドールコンピュータ社のユーザーにネットワーク接続サービスを提供するクォンタムコンピュータ社を設立。1989年にAOL(アメリカ・オンライン)と社名を変更した。
■AOLの栄光と挫折
AOLは輝かしい業績を残しているが、すべての事業がうまくいった訳ではない。
●ITバブル崩壊により天国から滑り落ちる
AOLは1992年に株式を公開、15万人の契約者を獲得している。1996年には、パソコンをインターネットに接続するために必要なソフトをCD-ROMで無料配布し、契約者を一気に4600万人へと伸ばした。
1998年、コンピュサーブを買収して250万人の契約者を獲得したAOLは、ネットスケープ社までも買収する。2000年にはタイムワーナー社と1億6600万ドル規模の合併を発表。2001年、AOLの契約者は全世界で3,000万人とふくれあがった。しかし、この快進撃は長くは続かず、ITバブル崩壊によって987億ドルという途方もない損失を出すことにある。
2003年1月12日、スティーブ・ケース氏は業績不振の責任をとって自ら会長職を辞任。通信と放送の融合ともてはやされた「AOLタイムワーナー」は、タイム・ワーナー社の一部門となった。
●日本でのAOLは波瀾万丈
AOLは1996年、三井物産、日本経済新聞社と日本法人AOLジャパン株式会社を設立。翌年、日本でのインターネットプロバイダ事業を開始する。
2001年2月 NTTドコモ(ドコモ)が資本参加し、ドコモAOLに社名を変更。同年6月にドコモと提携したiモードサービス「AOLi」を開始する。
ところが、2003年12月にドコモが資本から撤退、再びAOLジャパンに社名を戻すことになる。さらに2004年7月、イー・アクセス株式会社に営業を譲渡し、2004年8月、AOLiサービスは終了した。現在のAOLジャパン株式会社は、ポータルサイト事業とともに光ファイバーやAOLによるインターネットプロバイダサービスを提供している。
スティーブ・ケース氏はAOLを去ったが、彼がAOLを通して今日のインターネット社会に多大な貢献をしたことは間違いない。彼はAOLのほかにも投資会社やクレジットカードサービス会社などを設立しており、企業家として今後もその活躍が大きく期待されている。
参考:
・AOL - ウィキペディア
・AOL(英文) | AOL - 公式サイト
・スティーブ・ケース [AOL社共同創業者] - ダイヤモンド
・スティーブ・ケース - ちえの和webページ
・Case resigns as AOL chairman(英文) - CNET News.com
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