女子サッカー界を牽引している澤。北京でも彼女の出来がチームの明暗を分けるだろう(photo by NORIKO HAYAKUSA)

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15歳で代表デビューしてから約15年、長きに渡り日本の女子サッカーを牽引してきたのが澤穂希である。その名は日本国内だけでなく、世界の舞台でも知られている。そんな澤の2007年はワールドカッププレーオフに始まり、北京オリンピック予選、そしてワールドカップ本大会と、チャレンジに次ぐチャレンジの連続だった。

――2007年は目まぐるしい試合スケジュールでしたね。

「そうですね。これだけ大会が続くと、コンディション作りが難しかったです。個人的には年明けの代表合宿でいきなり怪我をしてしまって、1ヶ月のリハビリを余儀なくされました。タイミング的にプレーオフに間に合うかどうか際どかったんです。何とか間に合いましたが、プレーオフが行われるメキシコは高地で環境的に厳しかった。で、ようやく出場権を手に帰国したら今度はすぐに北京オリンピック予選。一息つく暇もなかったというのが正直なところでした」

――代表スケジュールを縫うようにしてなでしこリーグも開幕しました。所属する日テレ・ベレーザはこのリーグ戦で苦しい戦いの末の逆転優勝を手にしました。

「第2節に新潟に引き分けたことから始まって、INAC(第4節)とTASAKI(第6節)にも負け、前半戦で4位スタートという状況でした。早い時期に自力優勝が消え、一つも負けることが出来ない戦いが続いて…。本当に苦しかった。でも試合に出ている選手だけでなく、みんながいいライバルだったんです。お互いに刺激しあって戦ってきた中で勝ち取った優勝ですから結果的には満足しています」

――澤選手にとってはリーグ200試合出場も達成しました。

「女子は男子と違って試合数が少ないですし、私は途中アメリカプロサッカーリーグ(WUSA)に行っていた5年間のブランクがあるので、初めて聞いた時はビックリしました。全く気がついていませんでしたので(笑)。12歳でデビューしてから自分の中では何も変わってないんです。年だけ取ってる感じですね(笑)。今だに試合の時は緊張しまくりですし」

――緊張、するんですか?

「しますよ!そう見えないでしょ?よく言われます(笑)。でも毎試合緊張するんです。トイレに行きたくなったり、深呼吸したり…大変なんですよ」

――9月には中国でワールドカップがありました。4回目の出場となった訳ですが、どのような大会でしたか?

「この大会は悔しかったですね。なかなか調子が上がらなかったんですよ。ピッチ以外にも、ベテランと言われる年齢ですし、自分のことだけやっていればいいという訳ではありません。いろんなことが重なって個人的には不完全燃焼な大会となってしまいました。本来は後で“こうすればよかった、ああすればよかった”と後悔するのは嫌な性格なのに、ワールドカップではとても中途半端になってしまったんですね。こんな思いは二度としたくないです」

――そのリベンジにもってこいとも言える大きな世界大会、北京オリンピックが来年開催されます。澤選手にとってオリンピックとはやはり特別なものですか?

「オリンピックは日本人がとても注目する大会でもあります。でもそれより前回のアテネ大会の決勝トーナメントのアメリカ戦で、微妙な判定で悔しい思いをしたりしていたので自分としては大切にしたい大会ではあります。私たちはいつもチャレンジャーですし、失うものは何もありません。思い切りぶつかっていきたいですね」

――最後に2008年の抱負をお願いします。

「オリンピックもありますし、まずは怪我のない1年にしたいですね。オリンピックでは前回大会(ベスト8)以上の成績を目指したいです。ベレーザとしては、やはりリーグ優勝です。代表にしてもチームにしても自分の力を出し切ることが出来れば負けたとしても納得出来ると思いますし、後悔しない自分たちのサッカーをしたいですね」

取材・文/早草紀子

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