韓国内で“拘束中”の奥茂治氏

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「韓国警察が来いというのだから行きます。逮捕は望むところ。裁判で“吉田証言”の嘘を主張する」

 6月24日、那覇空港の国際線ターミナルでそう言い残して、男性はソウル行きの飛行機に乗り込んだ。前日に散髪したばかりのさっぱりした姿に、手荷物は小さなキャリーバッグひとつ。「気をつけて」との見送りの声に「へっへっへ」と笑って返す様子からは、数時間後に手錠をかけられるという悲壮感は全く感じられなかった──。

 男性は那覇市在住の元海上自衛官・奥茂治氏(69)。ソウルの仁川空港に到着後、“予定通りに”待ち構えていた警察官らに逮捕された。容疑は公用物損壊と不法侵入。今年3月20日深夜に、韓国中部・天安市の国立墓地「望郷の丘」に立ち入り、石碑の碑文を無断で書き換えた行為が罪状となった。

 この石碑は吉田清治(故人)という日本人が1983年に寄贈したものだった。

 吉田氏は、「済州島で韓国人女性を慰安婦として強制連行した」という証言を繰り返し、それを1980年代〜1990年代初頭にかけて朝日新聞が集中的に取り上げたことで、今に続く慰安婦問題のきっかけを作った“吉田証言”の主である。

 ちょうどその頃、吉田氏は「望郷の丘」に謝罪碑を建立。碑の除幕式では「あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制連行され……(以下略)」と書かれた碑文を読み上げ、式典参加者らの前で土下座した。

 しかし、その後、吉田氏の一連の証言が虚偽であることが次々と指摘される。そしてついに2014年8月、吉田証言を何度も掲載していた朝日新聞も検証記事で〈裏付け得られず虚偽と判断〉と結論づけ、18本の関連記事を取り消した。

◆「任務完了!」

 そして奥氏の手によって「望郷の丘」謝罪碑にも“訂正”が入った。奥氏に依頼したのは他でもない吉田氏の長男だった。長男は父親の虚言によって慰安婦問題が日韓関係のトゲのようになったことを憂い、親交のあった奥氏に碑の撤去を頼んだのだという。

 昨年12月に現地に下見に行くと、大理石製の石碑は幅120cm、縦80cm、厚さ10cmで、推定で2トンもあった。撤去するには重機を使う大がかりな作業になってしまう。そこで考え出したのが、謝罪文が刻まれた石碑に吉田氏の名前や出身地の他、大きく“慰霊碑”と銘打った新たな石板を貼り付ける“上書き訂正作戦”だった。逮捕前、奥氏は本誌記者にこう語っていた。

「計8回の下見で、夜間の警備体制や侵入ルートなどを確認した。石板は、韓国の石材業者に製作を依頼。犯行当日は、タクシーに石板を積み、車内で墓地内の照明が消えるのを息を潜めて待っていました」

 問題はタクシーを停めた場所から碑までは700mもあったことだった。石板は3分割で製作しており、1つの重さは35kg。ふらふらになりながら1つずつ運び3往復したという。

「強力な接着剤で貼り付けたのですが、接着剤が乾くまでに3時間もかかった。手で押さえて1時間経って見ると、石碑の台座自体が傾いているため石板もズレてしまっていた。そこで近くの大きな石を重石にして作業を切り上げ、ホテルに戻ってから吉田氏の長男に『任務完了!』と伝えました」(同前)

 10日後、現地が大騒ぎになっていないかと思って見に行くと、重石が載ったままの石碑があった。要は地元の人々の日常において謝罪碑は“気に留めるようなもの”ではなかったのである。

 奥氏は自分の“作業”が相手にされなかったため、やや拍子抜けしながらも、石板がしっかり固定されているのを確認して帰国。墓地の管理事務所宛に手紙をしたため、碑文を書き換えたことを自ら名乗り出た。するとほどなく韓国の警察から電話があり、出頭の要請があり、冒頭のシーンへと続くのだった。そして現在は、拘束は解かれたものの、韓国からの出国禁止措置が取られている。

※週刊ポスト2017年7月14日号