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米国人女優のアンジェリーナ・ジョリーさん(39)が、卵巣がんを予防するために、今年3月、両側の卵巣・卵管を切除する手術を受けた。2013年5月には、乳がんを予防するために、健康な両乳房を切除して再建する手術を受けており話題となった。

「これで、私の子供たちは『ママは卵巣がんで死んだ』と言わなくて済むようになった」。アンジェリーナ・ジョリーさんは、3月24日付のニューヨークタイムズに掲載された手記の中でそう語っている。

■遺伝性乳がん・卵巣がん症候群とは

ジョリーさんは、細胞のがん化を防ぐがん抑制遺伝子「BRCA1」に生まれつき異常があり、何もしなければ87%の確率で乳がんに、50%の確率で卵巣がんになると診断されていた。ジョリーさんの母親は49歳で卵巣がんと診断され、乳がんも発症し、56歳で亡くなっている。母方の祖母が卵巣がん、叔母も乳がんで亡くなっており、卵巣に初期のがんの兆候がみられたこともあって、今回、卵巣・卵管の予防手術に踏み切ったという。3人の実子と3人の養子の存在も決断に大きく影響を与えたようだ。

がんの多くは生活習慣、環境といった要因が複合し長時間かけて発症する。しかし、5〜10%は遺伝性のがんであることが分かってきている。その1つがジョリーさんのような遺伝性乳がん・卵巣がん症候群(HBOC)で、ジョリーさんのようにBRCA1に変異のあるタイプの他、BRCA2と呼ばれるがん抑制遺伝子に変異がある場合もある。日本でも、HBOCの人のうち年間約7000人が乳がんや卵巣がんと診断されているのではないかと推計される。

海外のデータだが、HBOCの人が乳がんになる確率は41〜90%、卵巣がんは8〜62%。日本の女性が一生涯で乳がんになる確率は8%、卵巣がんは1%だからリスクは5〜60倍も高いわけだ。一度乳がんになった人が反対側の乳房や卵巣にがんを発症する確率もHBOCの人に比べて高いことが分かっている。親から子にこの遺伝子変異が受け継がれる確率は、性別に関わらず50%。男性がこの変異を受け継ぐと、約10%の確率で前立腺がんか男性乳がんになる。

ジョリーさんが健康な乳房を切除した2年前にもHBOCに関する取材をしたが、日本の複数の専門家は異口同音に、「卵巣・卵管の予防切除も検討すべきではないか」と口にした。乳がんは、マンモグラフィ(乳房X線検査)と視触診を組み合わせた検診、若い人の場合はMRI検査を組み合わせれば早期発見が可能であるのに対し、卵巣は、骨盤の奥にある小さな臓器で腹膜に広がりやすいこともあり早期発見が難しく死亡率も高いからだ。3カ月から半年に1回卵巣の検査を受けていたとしても、見つかったときにはすでに進行がんだったというケースも実際にある。ジョリーさんも今回、腫瘍マーカー「CA−125」は正常だったが、医師に腫瘍マーカーは早期がんの50〜75%を見逃すとの説明を受けている。

■予防手術はどこまで効果があるか

卵巣・卵管を切除すれば、卵巣がんを80〜90%予防でき、乳がんになるリスクも50%減らせる。米国のガイドラインでは、「卵巣・卵管切除による卵巣がんリスク低減手術は、理想的には35〜40歳の間で出産が完了した時点、あるいは、家族で最も早く卵巣がんを発症した人の年齢での実施を考慮する」とされる。日本でも、がん研有明病院、聖路加国際病院、慶應義塾大学病院などで卵巣・卵管の予防切除が行われている。ただ、日本の場合、予防治療には保険が使えず自費で、100万円くらいかかるのが難点だ。月経がある女性が卵巣・卵管を切除すると更年期障害のような症状が出ることもあり、また、わずかだが腹膜がんになるリスクは残るといったデメリットや限界も知ったうえで、予防手術を受けるかどうか検討すべきだろう。

ジョリーさんも手記の中で、「BRCA1陽性の女性すべてに予防手術を勧めるわけではない」と書いているように、卵巣がんの予防治療には、手術の他に、女性ホルモンのタモキシフェンを服用する方法もある。手術を受けない選択をした人には、米国のガイドラインでは、半年に1回経腟超音波検査と腫瘍マーカーの検査を受けることが推奨されている。ちなみに、乳房の予防切除についても、本人が希望すれば、日本でもいくつかの病院で受けられるようになってきている。

HBOCかどうかは、遺伝カウセリングを受けたうえで、血液検査を受ければ分かる。HBOCの可能性があるのは、チェックシートで1つでも当てはまる人だ。

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≪遺伝性乳がん卵巣がんの簡単チェックシート≫
母方、父方それぞれの家系について、あなた自身を含め家族の中に該当する方がいる場合、チェックを入れてください。

□ 40歳未満で乳がんを発症した方がいますか?
□ 年齢を問わず卵巣がん(卵管がん・腹膜がん含む)の方がいらっしゃいますか?
□ ご家族の中でお一人の方が時期を問わず原発乳がんを 2個以上発症したことがありますか?
□ 男性の方で乳がんを発症された方がいらっしゃいますか?
□ ご家族の中でご本人を含め乳がんを発症された方が3名以上いらっしゃいますか?
□ トリプルネガティブの乳がんといわれた方がいらっしゃいますか?
□ ご家族の中にBRCAの遺伝子変異が確認された方がいらっしゃいますか?

⇒1つでも該当すれば、遺伝性乳がん卵巣がんである可能性が一般より高い。
※HBOCコンソーシアム作成

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遺伝カウンセリングと検査が受けられる病院は、専門家が作る日本HBOCコンソーシアムのウェブサイト(http://hboc.jp/facilities/index.html)で閲覧できる。原則的には、乳がんか卵巣がんになった人が遺伝子変異の有無を調べ、BRCA1かBRCA2に変異があることが分かれば、母親、姉妹、娘も検査を受けるのか検討する。検査には保険がきかず1回20万〜30万円かかる。すでに家族に遺伝子変異があることが分かっている人が検査を受ける場合の検査料は約5万円だ。遺伝カウセリングも保険が使えないところがほとんどで、例えば、がん研有明病院なら初回は7200円という。

ジョリーさんのように影響力の強い女優が、卵巣・卵管と乳房の予防切除を選び、それを公表したことは勇気ある決断だ。HBOCの場合、遺伝子変異があることが分かればジョリーさんのように前向きに予防治療によってがんになるリスクが減らせる。ただ、若い人なら、遺伝子検査の結果が、結婚、出産、就職に影響する恐れもある。米国では、2008年に遺伝子情報差別禁止法が制定され、採用、昇進、医療保険の加入などでの不利な扱いを禁じている。HBOCの人が多額の負担をしなくても、遺伝子検査や予防治療を受けられるように、保険診療化を目指す動きも出てきており、今後は、日本でも、遺伝子検査の結果が差別につながらないように、医療体制だけではなく法律の整備を進めることも重要になってきそうだ。

(医療ジャーナリスト 福島安紀=文 ロイター/AFLO=写真)