あすかアセットマネジメント会長 谷家 衛氏●1962年、神戸市生まれ。灘高校、東大法学部卒。ソロモン・ブラザーズ・アジア証券(当時)でトレーダーとして活躍、アジア最年少のマネージングディレクターに。99年独立、2002年MBOにより現社名に。

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日本社会に次々と現れる変革の旗手たち。その陰に、企画者であり資金集めに汗をかく縁の下の力持ちがいる。谷家衛。知られざる仕掛け人の正体とは?

■ソロモン出身の「らしくない」大物投資家

「やあ、すいません、すいません」

約束の時間から15分ほど過ぎたころ、スーツ姿の谷家衛(たにや・まもる)がリュックサックをぶら下げて校舎前の砂利道を走ってきた。

新幹線軽井沢駅から車でおよそ30分。広大な別荘地の一角に立つ3棟の木造校舎が、インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK)のキャンパスだ。

2014年8月24日。この日午後から、下村博文文科大臣ら要人を迎えて念願の開校式典が開かれることになっていた。ISAKの発起人代表でもある谷家には、その前に撮影と最後の取材を頼んでいた。

小柄で童顔。そのうえ腰が低く、決して自分からは目立とうとしない。このときも「(プレジデント誌面には)僕の写真なんかより、イラストを使ってくださいよ」と真顔で持ちかけてきた。

谷家は1980〜90年代にかけてソロモン・スミス・バーニー証券の辣腕トレーダーとして活躍し、02年からは独立系大手投資顧問会社のあすかアセットマネジメントを率いる投資のプロだ。あすかではベンチャー企業への投資や育成にも関わり、ネット生保のライフネット生命保険のように企画そのものを手掛けたケースも少なくない。

その大物投資家がなぜ、非営利事業である私立学校の発起人代表をつとめるのか。

学校だけではなく、谷家は国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)東京事務所の開設に尽力したほか、最近ではLGBT(性的マイノリティー)支援団体であるNPO法人グッド・エイジング・エールズの活動にも関与して、知恵出しなどに忙しい。

お金にお金を稼がせる“マネー資本主義”の心臓部を担うのが投資家だとしたら、谷家の姿勢や行動はいまひとつ投資家らしくない。

営利事業であるライフネット生命に対してさえ、「赤字決算を出したとき、筆頭株主なのに谷家さんだけは何も言わなかった。逆に、相談したら全力でそれを解決してくれた。ギブ・アンド・テークではなく、全部『ギブ』。なぜでしょう。私にはとてもできないことです」。出口治明ライフネット生命会長兼CEOがこう首をひねるほど、谷家という投資家は不思議な個性を放っている。

これまでは取材に応じることがほとんどなく、「謎の人物」とさえ言われてきた。社会に変革を起こす著名なベンチャー企業や学校、NPO法人の謙虚な仕掛け人。谷家衛とは何者なのだろうか。

■無縁だった教育の仕事が天職に

アジアをはじめ世界各国から過半数の生徒を受け入れ、その全員が国際的な大学入学資格である国際バカロレアを取得できるという全寮制の日本の高校。富裕層に偏らずさまざまな層から生徒を受け入れるため、手厚い奨学金制度も用意した。こうした条件の一つ一つが、ほとんどの場合「日本初」になるという、型破りの学校がISAKである。

実現を夢見て、7年前から仲間集めや資金集め、用地の確保、行政対策、教員のリクルートなどあらゆる仕事に邁進してきたのが、ISAK代表理事の小林りんだ。その活躍ぶりが話題を呼び、12年にはダボス会議を主催する世界経済フォーラムから、世界を引っ張る若手リーダー「ヤング・グローバル・リーダーズ」の一人にも選ばれた。開校を機に、テレビや雑誌などメディアからの取材が引きも切らない。

「りんちゃんは、ほんとに凄いよ」

東大時代からの盟友である鈴木英敬三重県知事や、岩瀬大輔ライフネット生命社長兼COOでさえ舌を巻く見事なリーダーシップ。小林はいまや教育界のカリスマになりつつある。小林自身も、いまの仕事は「天職」だと言ってはばからない。

だが、小林にとって初めから教育が天職だったわけではない。彼女をビジネスの世界から教育界へ導いたのが谷家である。

■途上国の問題を解決するリーダーづくり

「実は学校をつくる計画があるんですよ。引き受けてくれませんか」

07年、投資の相談で面会したはずの谷家から、方向違いの打診を受けたのがそもそもの始まりだ。

直前まで勤務していたユニセフ(国連児童基金)ではフィリピンの根深い貧困問題と対峙し、谷家との面会のときも、途上国の格差問題と戦うためにマイクロファイナンス事業を立ち上げたいというビジネスプランを携えていた。

社会問題への関心は人一倍だ。しかし、彼女自身は外資系投資銀行やベンチャー経営の経験が長く、教育の世界とは縁がない。最初に聞いたときは「私には無理」と考えざるをえなかった。

ところが「アジア中のあらゆる階層から生徒を集め、社会に変革を起こすリーダーをつくりたい」という谷家の熱心な言葉を聞いているうちに気持ちが動いた。小林が言う。

「一晩、寝ながら考えました。すると、学校のイメージが浮かんできたんです。私はカナダの全寮制高校を卒業していますが、そのときの経験が甦りました。日本に全寮制の高校をつくり、そこに海外から生徒を集めて、たとえば途上国の格差問題を解決するようなリーダーを養成する。これは私の抱いていた問題意識と重なります。欧米流の徹底した個人主義ではなく、日本的な共生・共感の精神を建学の基礎にしたいという谷家さんの考えにも共感しました」

小林という「人」を得て、谷家が数年の間温めてきたISAKのプロジェクトは動き出したのだ。

■成功の条件はプランではなく誰がやるか

といっても、2人の出会いは偶然ではなかった。小林を紹介したのはライフネット生命の岩瀬である。

「聡明で、チャーミングで華があって、ブルドーザーのような突破力がある」

大学で開発経済を学び、最近までユニセフの仕事をしていたというバックグラウンドを含めて、小林こそ学校設立の責任者にふさわしいと谷家に説いたのだ。

その岩瀬自身、谷家に見出された逸材である。谷家は、ハーバード大学経営大学院に留学中の岩瀬がブログにつづっていた文章を読んで興味を持ち、わざわざボストンまで足を運んで「ベンチャーをやらないか」と口説き落とした。そのうえで、生保業界の大物である出口と引き合わせたというのが、ライフネット生命の知られざる創業ストーリーだ。

「結局、事業の成功は『誰がやるか』にかかっています。その次に『どの場所に身を置くか』ということ。これまで100社近い企業に投資しましたが、ビジネスモデルにかけたケースはすべて失敗しました。ISAKは、りんちゃんがやるからうまくいくし、ライフネットは出口さん、岩瀬君だからうまくいくんです」

これが谷家の持論である。

誰がやるか。それが定まった以上は、短期的に業績が悪化しても一喜一憂する必要はない。ライフネットが離陸に苦しんだとき、出口ら経営陣に何も伝えなかったのもそのためだと考えれば得心がいく。

「喧嘩には、その人なりのやり方があると思うんです。正解はなくて、その人のやり方があるだけ。出口さんや岩瀬君は本当に優秀な人たちです。いろんな話はもう(他の株主から)十分に聞いていたはずで、その中から、どれが一番自分のやり方にふさわしいかを決めればいい」

谷家の思想は明快だ。

「最も成功する人は、自分の個性を120%表現する人です。逆にいうと、それができないかぎり、本当の意味ではいい企業もいい学校もつくれない。だから僕は、それをやってほしいと思っています。ありのままの自分を見つめ、自分を思い切り表現するということは、本人にとって幸せだし、方向性が合っていれば社会にとっても一番いい」

谷家によれば、それはNPOでも同じである。

アフガニスタン難民の弁護を担当するうち、実効性の高い人権団体が必要だと痛感した弁護士の土井香苗が設立のために奔走した世界的人権団体HRWの東京事務所。谷家は、この団体へも出資や経営へのアドバイスを行っている。

「日本にもこのような団体が必要なんですと谷家さんの前でプレゼンしたら、にこにこしながらすぐに『わかりました。いいことですから手伝います』と即決してくれました」と土井が振り返る。

さらに、親友であり世界的に知られた経営者でもあるマネックス証券社長兼CEOの松本大を紹介し、理事会会長とすることでHRWの知名度と信用を一気に引き上げた。

こうした支援はもちろん、個人としての活動だ。LGBT支援団体のグッド・エイジング・エールズについても、理事でドイツ証券グローバル・プライム・ファイナンス営業部長の柳沢正和から、団体の活動について聞かされたことをきっかけに手伝うようになったという。

「マイノリティーであることを社会に『認めてもらう』のではなく、むしろ多様な価値観の人間がいるからこそ社会が活性化すると考えたい。そんな私の持論をあるとき谷家さんにぶつけたんです。すると谷家さんはたいへん共感し、以来、私たちの活動にできるかぎり協力してくれるようになりました」(柳沢)

■ハングリーで優秀な人は世界の宝

柳沢が持ち込んだマイノリティーの議論は、谷家をいたく刺激した。ISAKもまた、国籍や出身階層など生徒の多様性を重視しているが、多様性を「認める」のではなく、メンバーが多様だからこそ生まれる正の循環がきっとある。それを大切にしたいというのである。

「たとえば、ハングリーで優秀な人は、起業家であれ何であれ高い確率で成功します。アジアやアフリカの途上国にはそういう若者が大勢いる。彼らは『世界の宝』と言ってもいい。ISAKで彼らと接することで、他の生徒たちにもすばらしい影響があると思うんですよ」と谷家は目を輝かせる。

東大からソロモン・ブラザーズ・アジア証券に同期で入社したマネックス証券の松本大は、前述したように谷家の親友である。2人とも明るくて前向きなところはそっくりだが、周囲を巻き込みぐいぐい引っ張るタイプの松本に対して、谷家はどちらかというと和を大切にする、気配り上手なリーダーだ。

「あいつはね、優しいんですよ。僕がソロモンを3年で辞めたとき、他の新卒社員の動揺を抑えるために、ソロモン社内で『松本と接触するな』というお触れが回ったそうです。ところが谷家と平尾(俊裕・あすかアセットマネジメント社長)だけは、会社に電話してもしらんぷりして昔通りに話してくれた」

松本は愉快そうにこう話した。岩瀬が谷家からの誘いを受けたときに相談したのは開成高校の先輩である松本だが、そのとき松本は「10年で3000億円の利益を挙げた凄い投資家。そして、いい奴だ」と谷家を評したという。

ソロモンからゴールドマン・サックス証券に移った松本は、若くして頭角を現しゼネラル・パートナー(共同経営者)に就任。奇しくも谷家の独立と同じ99年に、マネックス証券を起業した。その直後、2人はこんな約束を交わしている。

「お互いが本当に困ったら遠慮せずにSOSを出す。受けたほうは、その内容を問わず、力や時間や金のキャパシティが及ぶかぎり無条件に相手を助けること」

心優しい投資家・谷家衛は、盟友の松本だけではなく、小林や出口、岩瀬、土井といった投資先の人々にも支えられ、マネー資本主義の急流に立ち向かっている。

(文中敬称略)

(プレジデント編集部 面澤淳市=文 的野弘路=撮影)