事件現場となった中学校の校門

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 2015年2月、川崎市多摩川の河川敷で男子中学生(13歳)が殺害された事件で、発生後1週間後に少年3名が逮捕された。『週刊新潮』は3月12日号で、少年法に反してリーダー格だった無職少年(18歳)の実名と顔写真を掲載し、大きな話題を呼んだ。同誌編集部は朝日新聞の取材に対し「事件の残虐性と社会に与えた影響の大きさ、そして主犯格とされる18歳の少年の経歴などを総合的に勘案し、実名と顔写真を報道した」とコメントした。

 この事件がマスコミによって連日大々的に報道されたことで、再び少年法改正の議論が沸き起こっているが、今から18年前にも今回と同じような光景が、メディアによって、連日繰り返されたことを、思い出さずにはいられない。

 18年前、世間を震撼させた事件の容疑者として逮捕された少年の顔写真を掲載したのは、今回の川崎の事件と同じ新潮社の写真週刊誌『フォーカス』だったからだ。

少年Aの隣家に警察関係者が住んでいた?

 学校の校門に置かれた、切り落とされた首。そして血を連想させる赤文字で綴られた警察への挑戦状──。

 前代未聞の猟奇殺人事件として、世間を震撼させた「神戸児童連続殺傷事件」(通称「酒鬼薔薇事件」)からすでに18年が経過した。事件の犯人として逮捕された当時14歳だった少年Aもすでに出所し、法的に事件には一応のピリオドが打たれている。2015年3月には、事件の被害者の女児(当時10歳/殺害された男児とは別の被害者)の遺族のもとに、弁護士を通してA(32歳)から手紙が届いたことが報道されたが、今なお事件にまつわる多くの謎が未解明のまま放置されている。

 それゆえ、一部の人権派弁護士や極左団体は事件発生当初から、公安・警察の捜査発表に嘘や改竄があるとして、「少年A=冤罪説」を展開した。

冤罪説が根強いのは知っているが、冤罪ではないだろう。ただ、どこまでが真実でどこからが嘘かは正直判断しづらい点もある」(元公安関係者)

 余談だが数年前、実際に筆者も冤罪説を主張する弁護士のひとりに取材したことがある。その弁護士は、ある冊子に、「事件が発生する前から、Aの隣の家に警察関係者が住み、Aを監視てしていた」という主旨の文章を寄稿していた。しかし、弁護士は取材に対して、筆者にこう言った。

「そんなこと、書きましたかな。記憶にありません」

 惚けてている様子ではなく、本当に忘れているとしか思えなかった。本稿が主張したいのは、冤罪説ではなく、この事件で放置されたままの疑問や謎があまりにも多いという事実である。

警察署の安置室に遺体が置かれなかった理由とは

 筆者が特に疑問を抱いたのは、被害者の父親である土師守氏の著作『淳』(新潮社)に綴られた次の文章である。

<警察官に案内されて一階に降り、最初に車を停めた西側の駐車場の方に出ていきました。なんで建物の外に出るんだろう? その時はそれを疑問にも思いませんでした。駐車場のガレージのようなところでした。車が五、六台は収まりそうな囲いがあって、外からはも見えないようにシートのようなもので隠されていた場所がありました。その中に、青いビニールシートに覆われて、淳がいました>

 変わり果てた最愛の息子との対面だが、「なんで建物の外に出るんだろう」と土師氏も疑問を呈しているように、なぜ淳君の遺体との対面が「安置室」ではなく、「警察の駐車場」だったのか。某県警で殺人事件捜査の経験を数多く持つ元警察官B氏は語る。

「普通はどこも署内の安置室に置きますけどね。事件の2年前に起きた阪神・淡路大震災などの影響で何か特別な事情でもあったのでしょうか」

 事件が起きた5月という気候を考えれば、遺体を駐車場に置けば当然、腐敗は進む。やむなき事情があったかどうかは不明だが、解剖や検死という殺人事件における重要なプロセスを考えれば、なおさらのことである。

 酒鬼薔薇事件が「前代未聞の猟奇事件」と認知された要因は、犯人が14歳の少年だったということと14歳の少年が遂行した次のふたつの行為が決定的な要因だろう。

(1)被害者の首を切断し、学校の校門に晒した行為
(2)警察を挑発した内容の「犯行声明文」をマスコミに送った行為

 あくまでも仮定の話だが、酒鬼薔薇事件からこのふたつの要因を取り除いた場合の事件を想像してみてほしい。それは被害者の首も切断されず、犯行声明文も存在しなかった“14歳の少年が起こしたひとつの殺人事件”という状況である。

 なぜこのような話をするかと言えば、酒鬼薔薇事件を象徴するふたつの要因にこそ、多くの謎と疑問が集約されているからである。

中学生が首をまっすぐ切断するのは極めて困難

 まずは、首にまつわる謎と疑問である。少年Aは事件後、警察にこのような供述をしている。

<頭部の首付近を両手で持って、背伸びをしながら、その塀の上に首を置きました>(少年Aの供述調書より)

 こうした状況に疑問を呈するのは都内大学病院の脳外科医だ。

「正直言って難しい。頭部の重さは体重の12%以上ある。仮に被害者の体重を11歳の平均的な体重である40kgしても、約5kgになる。それを自分の身長より高く持ち上げて校門に据え置くには相当な力がいるだろう。第一、重心が取れない。通常、頭は首の骨周辺の筋肉で支えるから、首を切断すれば前重心になる。斜めに切っても置けるかどうか……」

 晒し首が行なわれていた江戸時代、「首の固定」には手を焼いたため、「首の周りを粘土で固定する」方法などで対処したという。

 また、少年Aの身長は160cmほどで、首が置かれた校門の塀の高さは198cm。はたして少年Aが背伸びをしたぐらいで、首を置くことが可能だったのか。さらに、首の切断面が真っ直ぐに切られていたことから、一部では「遺体を冷凍保存し、電動ノコギリを使用したのではないか」という説も浮上した。だが、少年Aは「金ノコギリを使用して切断した」と供述している。そして、警察は犯行に使用された凶器を「ナイフ」と記者会見で発表するも、のちに「糸ノコギリ」さらには「金ノコギリ」と発表を二転三転させるドタバタぶりをみせているのだ。

「いずれにしても、切断するのは大変な作業だよ。断面を綺麗に切るのはよほど環境(場所や道具、時間など)が整っていなければ大人でも難しいと思う。それを14歳の少年が金ノコを使い、夜中に隠れながら表でやったというのはどうも……」(前出の脳外科医)

 謎はまだある。新聞が報道した次の記事である。

<淳君の殺人・死体遺棄事件で、市立友が丘中の正門に遺棄されていた淳君の頭部に、微量の繊維片が付着していたことが10日分かった。(中略)車の布製シートカバーの繊維に似ており、犯人が淳君を車内で殺害した可能性もあり、捜査本部は犯人につながる有力な物証とみて、分析を急いでいる>(『毎日新聞』1997年6月11日付)

 記事ではさらに、警察の聞き込みによって頭部遺棄の前後に「白いワゴン車」「黒い乗用車」「スクーター」などの目撃証言を得たことを報じている。

 この記事を額面通りに受け取れば、犯人は運転免許を持っている人物であることは容易に察しがつく。だが、逮捕されたのは免許を持っているはずのない14歳の少年だった。しかし、筆者が確認したかぎりにおいては、この記事に対する訂正記事はその後出されていない()。

(取材・文/村内武史)