桐生第一vs今治西
5回終了後のグラウンド整備時。通常であれば試合の熱気を冷ます適度な時間であるはずなのに、この試合では珍しく白けた空気が阪神甲子園球場を支配していた。
前半戦は桐生第一の一方的なペース。初回二死三塁から「腕を振ろうとしたが体が突っ込んでしまった」という今治西の左腕・神野 靖大(3年)が投じた高めに浮いた球を4番・山田 知輝(2年)がセンターへ弾き返し、自らのマウンドへ勢いを付けた。 さらに2回裏には4安打を集め3点。4回裏にもこの試合3回目の送りバントからスタメン唯一の3年生である9番・高橋 章圭が左中間を破り5点目。今治西・大野康哉監督が「一番心配していた立ち上がり」を見事に突き、交通渋滞の影響により3回表に到着した今治西の生徒たちが一塁側アルプススタンドから大声援を送る準備を整える前に試合を決めてしまった。
一方、3回まで山田の前にパーフェクトに抑えられた今治西打線。「このままではいけない」という思いを、まず実行に移したのは「練習試合から『ミスをしても誰かがなんとかしてくれるだろう』という考えがあった」という主将・田頭 寛至(3年)である。 4回表に先頭打者が8球粘って四球を選ぶと、一死二塁から三盗を成功。この回は得点には至らなかったものの、これまで目的だけが先走り方法論に至らなかった選手たちは、主将のもがきと、グラウンド整備時に選手たちを車座で座らせた指揮官からの「これ以上後悔しないようにしよう」という言葉で、ようやく「今すべきこと」を理解した。
神野は「甲子園のマウンドでは観衆が目に入ってあごが上がりがちになる」という記述を思い出し、5回以降は無失点。内外角低めに球が決まり最終局面で粘る本来の投球が見られた。
打線では立花中学校3年時に15Uアジア野球選手権日本代表に選ばれた9番・杉内 洸貴(2年)が躍動。6回表には「低いライナーを打つ感覚」で、センター前にヒットを放つと、9回表にはセンター前へのテキサスヒットで「セカンドとショートが背走していて二塁ベースを見ていない」ことに気付く。すると、スピードを緩めず無人の二塁へ。二死三塁から失策により生まれた2011年夏開幕戦・健大高崎戦の7回から20イニング続いた甲子園での0行進ストップは、この二塁打なくしてはありえなかった。
ただ、遅すぎる。勝利へ帰結するのは全てが遅すぎる。
現実的な話をすると、彼らは高校野球・高校を出れば実社会での生活が目前に待っている。実社会では窮地に立った時、誰も手を差し伸べてはくれない。逆に足を引っ張る、更なる困難を課される場合もたびたびなのは、私たちが日々感じていることだ。
ただ、そこで自らもがき苦しみ、打開点を見つけた者にのみにしか成功は訪れないし、その姿を人々は自らの現実をそこに投影し心を動かす。逆に言えば、その縮図が高校野球に存在しているからこそ、日本において高校野球は100年以上の歴史を積み重ねてもなお、確固たる地位を築き上げている。「高校野球は野球だけを学ぶところではない」これだけは普遍の真実だ。
試合後、大野康哉監督は「甲子園は温かいところ」と拍手で選手たちを送り出してくれたスタンドに感謝の言葉を述べた。 今治西の関係者の皆さん、そして愛媛野球にかかわる全ての皆さんは拍手がなぜ起こったのか。そして「高校野球とは?」今一度深く考えてもらいたい。
(文=寺下 友徳)