ミッキーマウスは浦安市の天皇だった『ディズニーの隣の風景』
東京ディズニーランドが開園してから、先月15日でちょうど30周年を迎えた。ディズニーランドとともに、2001年に開園した東京ディズニーシーを擁する東京ディズニーリゾートでは、来年の3月20日までを「ハピネス・イヤー」と位置づけ、さまざまなアニバーサリー企画が予定されているようだ。
東京ディズニーランドは、「東京」と名乗ってはいるものの、実際には千葉県浦安市に所在する。「千葉なのに東京」とは、30年前の開園当初からずっと言われてきたものである。同じように揶揄されてきた千葉県成田市の新東京国際空港は、2004年に成田国際空港へと改称されたが、東京ディズニーランドの名前はそのままだ。
東京湾岸の埋め立て地に建設された東京ディズニーランドは、東京の人口増加・機能集中にともなう一連の東京湾岸の開発の産物である。「東京」の名がつくのも、東京の機能を分担する地域という意味合いからすれば、合点が行く。浦安市はまた、東京都内で働く人々のベッドタウンでもある。
東京ディズニーランドは、「夢と魔法の国」というイメージを壊さないよう周囲の風景から可能なかぎり閉ざされてはいるものの、一方では、浦安市の地域社会とも深いかかわりを持っている。浦安市に多大な税収をもたらす事業主という経済的関係はもとより、この10年あまり続いているディズニーランドでの成人式は、その顕著な例だ。
浦安市在住の文芸・音楽評論家である円堂都司昭の著書『ディズニーの隣の風景 オンステージ化する日本』では、この成人式だけでなくディズニーと地元との関係について、2010年に始まった「ウラヤスフェスティバル」のパレードへミッキーマウスをはじめとするディズニーのキャラクターたちがダンサーを連れて参加し、市民の人気を博していることや、昨年にはミッキーマウスと東京ディズニーランドのアンバサダーが浦安市長を表敬訪問したことなど、いくつか例があげられている。ここで著者が、「本当の意味で対面し表敬しているのはミッキーではなく市長なのではないか」と書いているのが目を惹く。
《四年に一度の選挙のたびに代替わりの可能性がある市長という立場と、東京ディズニーリゾートが浦安市に立地している限り、この場所の主役であり続けるミッキーマウス。いわば、ミッキーは浦安市における“象徴天皇”のごとき存在であり、市長は天皇に対する総理大臣のような立場ではないのか。地元経済にとって重要なこのキャラクターと友好関係を結べることが、浦安市長の証である》
何と、ミッキーは浦安市の天皇陛下だったのか! 著者は終始こんな調子で、ディズニーリゾートという、いわば“もうひとつの国”を抱えた浦安市を、さまざまな二面性で語ってみせる。かつての漁村で、いまなお昭和の雰囲気を漂わせる元町と、埋め立て地に戸建て住宅やマンションの建ち並ぶ中町・新町とを対比させているのもそうだ。
面白いのは、浦安市がディズニーリゾートのみならず、街全体がテーマパークであると宣言していることだ。古くからの市街地である元町でも、当地を舞台としたマンガ『浦安鉄筋家族』シリーズを一種の観光資源として、そのモデルとなった街を歩こうというイベントが催されたりした。このとき、参加者たちは《ただの停留所の標識を囲み、「このバス停は『元祖浦鉄』十六巻に登場したもので」などというガイドの説明に聞き入った》という。
あるいは、ディズニーシーと同じ2001年にオープンした浦安市郷土博物館は、館内に漁村だった頃の浦安の家並みと川や海が再現され、小規模なテーマパークとなっている。博物館主催による乗船、投網体験イベントでは、元漁師の老人たちが実演を披露しているという。
こうした「テーマパーク化」、あるいは住民一人ひとりがキャストとなる(博物館主催のイベントで元漁師が実演を行なう事例などが示すように)「オンステージ化」ともいうべき現象は、いまや浦安市のみならず日本各地で見られるものだ。全国の町おこしは多かれ少なかれ、「オンステージ化」の要素をとりこんでいるといっても過言ではない。著者は「テーマパーク化」「オンステージ化」をキーワードに、各地の祭りに広がったYOSAKOIダンス、あるいはゆるキャラ、B級グルメ、ご当地アイドルなど、具体的な事例を紹介していく。
そういえば現在放映中のNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」について最近、著者の円堂がツイッターで、《普通の町のオンステージ化、一般人のキャスト化、地方アイドル、かわいすぎる海女、ご当地グルメなど、まちづくりを語った地域・場所論『ディズニーの隣の風景』は、『あまちゃん』のお供に最適な本だと思うの》とツイートしていた。たしかに、「あまちゃん」の劇中で、東北のさえない漁村の住民たちが、B級グルメ(まめぶ汁)やご当地アイドル(海女のアキちゃんと「ミス北鉄」のユイちゃん)によって町おこしを目指すさまは、本書のいうオンステージ化をまさに地で行くようである。
「あまちゃん」の劇中の年代設定はいまのところ2008年であり、このまま時間が流れていけば、いずれ東日本大震災もドラマのなかで描かれることになるのだろう。震災は浦安市ともけっして無関係ではない。いや、そもそも関係があるかどうか(被災地かそうではないか……というこれまた二面性の問題)をめぐって論議が持ちあがっている。
浦安市を被災地とする判断材料としては、震災時に埋め立て地で液状化現象が発生したことがあげられる。ただ一方で、その事実がことさらに強調されると、不動産価格が下がってしまうと懸念する住民もおり一筋縄ではいかない。液状化した地中から飛び出した高洲中央公園のマンホールをモニュメント化しようという市の計画に対しても、震災を思い出したくない、周辺の資産価値を下げる措置だといった反対意見が出た(結局、モニュメントは震災から2年を迎えた今年3月に公開されている)。
震災に関しては、本書の終章で著者の震災直後の体験談が語られている。そこでは浦安市内の被害や、震災後に予定された計画停電などさまざまな情報を得るため、ネット、とりわけツイッターやミクシィなどSNSを活用したという話が出てくる。普段、地元住民とあまり接する機会のなかった著者だが、《ツイッターなどで見知らぬ人とやりとりすることで、浦安というコミュニティへの帰属意識を覚えたりもした》と書いているのが興味深い。いわば、ネットが、これまで見えなかった地域社会の一体化を可視化したというわけである。もちろん、ネット上のコミュニティは、一体化ばかりでなく地域間の経済や意識の格差を可視化し対立を煽る傾向も含んでおり、プラスマイナスの両面がある。
誰もがキャストで、パフォーマティブであることを求められる上、ネットを通じて住民のあいだでの格差すら可視化されてしまう。そんなオンステージ化の社会は、しんどそうでもあり、面倒くさそうでもある。町づくりにおいても、やれゆるキャラだ、やれB級グルメだと、絶えず新しいイメージを添加し続けていかねばならないのだから(それこそ、ディズニーランドが飽きられないよう、常に新しいアトラクションを導入しなければいけないように)、なかなか大変だ。
しかし地震や風水害など自然災害が多く、生活の基盤となる不動産も“流動産”と化す可能性をはらんだこの日本にあって、オンステージ化はひとつの知恵でもあるようだ。
《“流動産”でありながら不動産である、やっかいな場所で楽しく暮らす。そのためには、イメージを添加することで動かないはずの街を流動化させオンステージ化することは、手ごろな作法なのだろう。そのようにして、私たちはこれからも生きていく》
やっかいな国土で楽しく暮らすための作法としてのオンステージ化。著者自身もそれを実践するように、震災の翌月、浦安市内で行なわれた映画「カルテット」のクライマックスシーンの撮影に、エキストラとして参加したという話も終章に出てくる。本書は、著者自身がときにはオンステージ化の現場に立ち合いながら地道に材料を集めた、その成果でもあるのだ。(近藤正高)
※『ディズニーの隣の風景』の出版を記念して、2013年5月13日(月)には朝日カルチャーセンター新宿教室にて、著者の円堂都司昭と東大准教授の北田暁大の両氏による講座も予定されている。受講申し込みなど詳細はここを参照。
東京ディズニーランドは、「東京」と名乗ってはいるものの、実際には千葉県浦安市に所在する。「千葉なのに東京」とは、30年前の開園当初からずっと言われてきたものである。同じように揶揄されてきた千葉県成田市の新東京国際空港は、2004年に成田国際空港へと改称されたが、東京ディズニーランドの名前はそのままだ。
東京ディズニーランドは、「夢と魔法の国」というイメージを壊さないよう周囲の風景から可能なかぎり閉ざされてはいるものの、一方では、浦安市の地域社会とも深いかかわりを持っている。浦安市に多大な税収をもたらす事業主という経済的関係はもとより、この10年あまり続いているディズニーランドでの成人式は、その顕著な例だ。
浦安市在住の文芸・音楽評論家である円堂都司昭の著書『ディズニーの隣の風景 オンステージ化する日本』では、この成人式だけでなくディズニーと地元との関係について、2010年に始まった「ウラヤスフェスティバル」のパレードへミッキーマウスをはじめとするディズニーのキャラクターたちがダンサーを連れて参加し、市民の人気を博していることや、昨年にはミッキーマウスと東京ディズニーランドのアンバサダーが浦安市長を表敬訪問したことなど、いくつか例があげられている。ここで著者が、「本当の意味で対面し表敬しているのはミッキーではなく市長なのではないか」と書いているのが目を惹く。
《四年に一度の選挙のたびに代替わりの可能性がある市長という立場と、東京ディズニーリゾートが浦安市に立地している限り、この場所の主役であり続けるミッキーマウス。いわば、ミッキーは浦安市における“象徴天皇”のごとき存在であり、市長は天皇に対する総理大臣のような立場ではないのか。地元経済にとって重要なこのキャラクターと友好関係を結べることが、浦安市長の証である》
何と、ミッキーは浦安市の天皇陛下だったのか! 著者は終始こんな調子で、ディズニーリゾートという、いわば“もうひとつの国”を抱えた浦安市を、さまざまな二面性で語ってみせる。かつての漁村で、いまなお昭和の雰囲気を漂わせる元町と、埋め立て地に戸建て住宅やマンションの建ち並ぶ中町・新町とを対比させているのもそうだ。
面白いのは、浦安市がディズニーリゾートのみならず、街全体がテーマパークであると宣言していることだ。古くからの市街地である元町でも、当地を舞台としたマンガ『浦安鉄筋家族』シリーズを一種の観光資源として、そのモデルとなった街を歩こうというイベントが催されたりした。このとき、参加者たちは《ただの停留所の標識を囲み、「このバス停は『元祖浦鉄』十六巻に登場したもので」などというガイドの説明に聞き入った》という。
あるいは、ディズニーシーと同じ2001年にオープンした浦安市郷土博物館は、館内に漁村だった頃の浦安の家並みと川や海が再現され、小規模なテーマパークとなっている。博物館主催による乗船、投網体験イベントでは、元漁師の老人たちが実演を披露しているという。
こうした「テーマパーク化」、あるいは住民一人ひとりがキャストとなる(博物館主催のイベントで元漁師が実演を行なう事例などが示すように)「オンステージ化」ともいうべき現象は、いまや浦安市のみならず日本各地で見られるものだ。全国の町おこしは多かれ少なかれ、「オンステージ化」の要素をとりこんでいるといっても過言ではない。著者は「テーマパーク化」「オンステージ化」をキーワードに、各地の祭りに広がったYOSAKOIダンス、あるいはゆるキャラ、B級グルメ、ご当地アイドルなど、具体的な事例を紹介していく。
そういえば現在放映中のNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」について最近、著者の円堂がツイッターで、《普通の町のオンステージ化、一般人のキャスト化、地方アイドル、かわいすぎる海女、ご当地グルメなど、まちづくりを語った地域・場所論『ディズニーの隣の風景』は、『あまちゃん』のお供に最適な本だと思うの》とツイートしていた。たしかに、「あまちゃん」の劇中で、東北のさえない漁村の住民たちが、B級グルメ(まめぶ汁)やご当地アイドル(海女のアキちゃんと「ミス北鉄」のユイちゃん)によって町おこしを目指すさまは、本書のいうオンステージ化をまさに地で行くようである。
「あまちゃん」の劇中の年代設定はいまのところ2008年であり、このまま時間が流れていけば、いずれ東日本大震災もドラマのなかで描かれることになるのだろう。震災は浦安市ともけっして無関係ではない。いや、そもそも関係があるかどうか(被災地かそうではないか……というこれまた二面性の問題)をめぐって論議が持ちあがっている。
浦安市を被災地とする判断材料としては、震災時に埋め立て地で液状化現象が発生したことがあげられる。ただ一方で、その事実がことさらに強調されると、不動産価格が下がってしまうと懸念する住民もおり一筋縄ではいかない。液状化した地中から飛び出した高洲中央公園のマンホールをモニュメント化しようという市の計画に対しても、震災を思い出したくない、周辺の資産価値を下げる措置だといった反対意見が出た(結局、モニュメントは震災から2年を迎えた今年3月に公開されている)。
震災に関しては、本書の終章で著者の震災直後の体験談が語られている。そこでは浦安市内の被害や、震災後に予定された計画停電などさまざまな情報を得るため、ネット、とりわけツイッターやミクシィなどSNSを活用したという話が出てくる。普段、地元住民とあまり接する機会のなかった著者だが、《ツイッターなどで見知らぬ人とやりとりすることで、浦安というコミュニティへの帰属意識を覚えたりもした》と書いているのが興味深い。いわば、ネットが、これまで見えなかった地域社会の一体化を可視化したというわけである。もちろん、ネット上のコミュニティは、一体化ばかりでなく地域間の経済や意識の格差を可視化し対立を煽る傾向も含んでおり、プラスマイナスの両面がある。
誰もがキャストで、パフォーマティブであることを求められる上、ネットを通じて住民のあいだでの格差すら可視化されてしまう。そんなオンステージ化の社会は、しんどそうでもあり、面倒くさそうでもある。町づくりにおいても、やれゆるキャラだ、やれB級グルメだと、絶えず新しいイメージを添加し続けていかねばならないのだから(それこそ、ディズニーランドが飽きられないよう、常に新しいアトラクションを導入しなければいけないように)、なかなか大変だ。
しかし地震や風水害など自然災害が多く、生活の基盤となる不動産も“流動産”と化す可能性をはらんだこの日本にあって、オンステージ化はひとつの知恵でもあるようだ。
《“流動産”でありながら不動産である、やっかいな場所で楽しく暮らす。そのためには、イメージを添加することで動かないはずの街を流動化させオンステージ化することは、手ごろな作法なのだろう。そのようにして、私たちはこれからも生きていく》
やっかいな国土で楽しく暮らすための作法としてのオンステージ化。著者自身もそれを実践するように、震災の翌月、浦安市内で行なわれた映画「カルテット」のクライマックスシーンの撮影に、エキストラとして参加したという話も終章に出てくる。本書は、著者自身がときにはオンステージ化の現場に立ち合いながら地道に材料を集めた、その成果でもあるのだ。(近藤正高)
※『ディズニーの隣の風景』の出版を記念して、2013年5月13日(月)には朝日カルチャーセンター新宿教室にて、著者の円堂都司昭と東大准教授の北田暁大の両氏による講座も予定されている。受講申し込みなど詳細はここを参照。