「和」だけでは勝てない
千葉ロッテマリーンズは、西村徳文監督が今季限りで退団することを発表した。
契約を1年残しての退任だが、西村監督は「上が決めたことだから仕方ない。結果を残さなければ誰かが責任をとらなくてはいけない」と、事実上の解任を受け入れた。
西村監督は1982年、マリーンズの前身であるロッテオリオンズに入団。現役時代をマリーンズ一筋で過ごし、1997年に引退。引退後はコーチを経て、2010年にボビー・バレンタイン前監督の後を継ぎ、監督に就任した。
監督1年目、チームはレギュラーシーズンを3位で終えたものの、クライマックス・シリーズ、日本シリーズを勝ち抜き、日本一に。西村監督も、正力松太郎賞を受賞も受賞した。
だがチームは昨年、最下位に低迷。今季も、前半戦こそ首位で折り返したものの、後半戦から失速。すでに5位が確定している。
西村監督と言えば、「和」。「互いに相手を思い、協力し合う」意味を込め、2010年の監督就任から今季まで、チームスローガンに「和」の文字を入れている。
ボクはこの「和」が、あまり好きではない。もちろんチーム内の協力・連携は大事だが、錦の御旗のように「和」を掲げられると、敬遠したくなる。チームの「和」が全て、そんな印象を受けるからだ。
スポーツの国際大会ではよく、「和」「組織力」「協力」「チームワーク」といった言葉を耳にする。
「身体能力では外国人選手に劣るわが国は、組織力、チームの和で勝負する」という意味なのだが、では外国人のチームに「和」がないかと言えば、そうでもない。
1987年公開の米映画「アンタッチャブル」は、禁酒法時代のシカゴで暗躍したギャングのボス、アル・カポネと、彼を逮捕しようとする財務省捜査官たちのチームの戦いを描いているが、作中でアル・カポネ演じるロバート・デ・ニーロがこう言う。
「男は一人でマウンドに立つ。何のためだ? 自分の成績を残すためだ。マウンドで男は孤独だ。しかしだ、フィールドにはチームの仲間がいるんだ。ボールから目をそらさず、投げて、捕って、ハッスルしてくれる仲間だ。つまりだ、チームワークなんだよ」
「たしかに、ベーブ・ルースやタイ・カッブのとうな凄い打者もいる。でも、チームの仲間がフィールドにいなかったらどうなんるだ? わかるな、何の意味もないんだよ」。
チームワークよりも選手の個人主義が重視されていると思われがちな米メジャーリーグにも、きちんと「和」があるのだ。
もちろん、わが国でもどの球団にも「和」がある。チームの勝利、優勝に向け、一丸となって協力している。西村監督は、その「和」の文字をわざわざスローガンに入れたのだから、バレンタイン前監督時代のマリーンズには、いかに「和」が欠けていたのかがわかる。
だが、「和」だけでは勝てない。埼玉西武ライオンズの前身である西鉄ライオンズは三原脩監督のもと、1956年から3年連続で日本シリーズを制したが、おおよそ「和」とは無縁のチームだった。
味方がエラーをすれば、「ドンマイ」などの慰めの掛け声は無い。むしろ、帰りのバスで吊るし上げられる。味方の打者が、あわや死球になりそうな投球を避ければ、ベンチからは「当たって怪我でもすれば、自分の出番だ」とばかりとヤジが飛んでくる。
これこそが三原マジックで、三原は「和」がチームを勝利に導くのではなく、チームの勝利が「和」を成すという考えの持ち主だった。
1978年のニューヨーク・ヤンキースもそんなチームだった。ヤンキースは7月の時点で、首位とは14ゲーム差も離されていたが、後半戦に復調。終わってみれば、前年に次ぎワールド・シリーズ連覇を果たした。
このときのベンチの様子を、リリーフ投手のスパーキー・ライルが自作の著「The Bronx Zoo」で紹介している。
当時のヤンキースは、まさに猛獣が吠える動物園。選手同士はもちろん、監督とのケンカ、殴り合いのケンカもあった。
そんな猛獣たちをまとめたのが、左腕投手のロン・ギドリー。毒舌家だったライルも認める、まさに百獣の王で、ヤンキー・スタジアムのモニュメント・パークにあるギドリーのレリーフには、「圧倒的な投手で、信頼の厚いリーダー」、「真のヤンキースの一員」という文字が刻まれている。
やはり、「和」だけでは勝てない。ときに枠をぶち壊すような、強烈な個性も必要なのだ。問題は、その個性的な選手を使いこなす能力が、監督にあるかどうかだが。
契約を1年残しての退任だが、西村監督は「上が決めたことだから仕方ない。結果を残さなければ誰かが責任をとらなくてはいけない」と、事実上の解任を受け入れた。
西村監督は1982年、マリーンズの前身であるロッテオリオンズに入団。現役時代をマリーンズ一筋で過ごし、1997年に引退。引退後はコーチを経て、2010年にボビー・バレンタイン前監督の後を継ぎ、監督に就任した。
監督1年目、チームはレギュラーシーズンを3位で終えたものの、クライマックス・シリーズ、日本シリーズを勝ち抜き、日本一に。西村監督も、正力松太郎賞を受賞も受賞した。
だがチームは昨年、最下位に低迷。今季も、前半戦こそ首位で折り返したものの、後半戦から失速。すでに5位が確定している。
ボクはこの「和」が、あまり好きではない。もちろんチーム内の協力・連携は大事だが、錦の御旗のように「和」を掲げられると、敬遠したくなる。チームの「和」が全て、そんな印象を受けるからだ。
スポーツの国際大会ではよく、「和」「組織力」「協力」「チームワーク」といった言葉を耳にする。
「身体能力では外国人選手に劣るわが国は、組織力、チームの和で勝負する」という意味なのだが、では外国人のチームに「和」がないかと言えば、そうでもない。
1987年公開の米映画「アンタッチャブル」は、禁酒法時代のシカゴで暗躍したギャングのボス、アル・カポネと、彼を逮捕しようとする財務省捜査官たちのチームの戦いを描いているが、作中でアル・カポネ演じるロバート・デ・ニーロがこう言う。
「男は一人でマウンドに立つ。何のためだ? 自分の成績を残すためだ。マウンドで男は孤独だ。しかしだ、フィールドにはチームの仲間がいるんだ。ボールから目をそらさず、投げて、捕って、ハッスルしてくれる仲間だ。つまりだ、チームワークなんだよ」
「たしかに、ベーブ・ルースやタイ・カッブのとうな凄い打者もいる。でも、チームの仲間がフィールドにいなかったらどうなんるだ? わかるな、何の意味もないんだよ」。
チームワークよりも選手の個人主義が重視されていると思われがちな米メジャーリーグにも、きちんと「和」があるのだ。
もちろん、わが国でもどの球団にも「和」がある。チームの勝利、優勝に向け、一丸となって協力している。西村監督は、その「和」の文字をわざわざスローガンに入れたのだから、バレンタイン前監督時代のマリーンズには、いかに「和」が欠けていたのかがわかる。
だが、「和」だけでは勝てない。埼玉西武ライオンズの前身である西鉄ライオンズは三原脩監督のもと、1956年から3年連続で日本シリーズを制したが、おおよそ「和」とは無縁のチームだった。
味方がエラーをすれば、「ドンマイ」などの慰めの掛け声は無い。むしろ、帰りのバスで吊るし上げられる。味方の打者が、あわや死球になりそうな投球を避ければ、ベンチからは「当たって怪我でもすれば、自分の出番だ」とばかりとヤジが飛んでくる。
これこそが三原マジックで、三原は「和」がチームを勝利に導くのではなく、チームの勝利が「和」を成すという考えの持ち主だった。
1978年のニューヨーク・ヤンキースもそんなチームだった。ヤンキースは7月の時点で、首位とは14ゲーム差も離されていたが、後半戦に復調。終わってみれば、前年に次ぎワールド・シリーズ連覇を果たした。
このときのベンチの様子を、リリーフ投手のスパーキー・ライルが自作の著「The Bronx Zoo」で紹介している。
当時のヤンキースは、まさに猛獣が吠える動物園。選手同士はもちろん、監督とのケンカ、殴り合いのケンカもあった。
そんな猛獣たちをまとめたのが、左腕投手のロン・ギドリー。毒舌家だったライルも認める、まさに百獣の王で、ヤンキー・スタジアムのモニュメント・パークにあるギドリーのレリーフには、「圧倒的な投手で、信頼の厚いリーダー」、「真のヤンキースの一員」という文字が刻まれている。
やはり、「和」だけでは勝てない。ときに枠をぶち壊すような、強烈な個性も必要なのだ。問題は、その個性的な選手を使いこなす能力が、監督にあるかどうかだが。
バックスクリーンの下で 〜For All of Baseball Supporters〜
野球は目の前のグラウンドの上だけの戦いではない。今も昔も、グラウンド内外で繰り広げられてきた。そんな野球を、ひもとく