甘い香りのする、板チョコ型の腕時計
世の中には様々な香りがある。好きな香りも多い。例えば、昔の彼女の香水と同じ匂いが不意にすると、甘酸っぱい気持ちがよみがえってきたりして。あの匂いは、いつまで経っても覚えている。今でも、すごく好きな香り……。
すみません、カッコ付けました。本音は、カレーの匂いとかの方が好きです。あと、焼き上がったとうもろこしの匂いとか? いわゆる、食べ物の香り。「出どころは何処!?」と、キョロキョロが止まらない。
そんな私からすると、近場にコレがあったら最後。きっと、ソワソワしっぱなし! オンラインショップの「fu-bi(フウビ)」が2月3日より発売している『チョコウォッチ』(税込み2,280円)は、いい匂いがするらしいのだ。何しろ、これは“甘い香り付きの板チョコレート型腕時計”である。
どこから香るのかというと、それは素材(シリコン)自体から。何と言うか、この腕時計のカラーそのものが美味しそうな色味をしているのだ。思い余って、食べちゃわないように!
ちなみに、「ココア」モデル(茶色)と「ミルク」モデル(白色)はチョコレート、「ストロベリー」モデル(ピンク色)はストロベリーのほのかな甘い香りを楽しめるとのこと。
でも、どんな香りかは体験してみないとわからない。そこで、ちょっと私も取り寄せてみました。嗅ぎますよ!
まず、「ココア」モデルを手に取って、匂いを嗅いでみる。……なんだ、コレ(笑)。だって、チョコそのまんまなんだもの!! それも、確かに板チョコの匂い。チョコボールとかチョコレートケーキとかじゃなくて、完全に板チョコの香り。「今、何時だっけ?」と腕をチラ見する度にお腹が空いてしまいそうになるので、ちょっと困りものだ。
続いての登場は、「ストロベリー」モデル。この腕時計を、鼻に近付けて。……また、これも(笑)。いちごの匂いですよ、完全に。例えると、アポロチョコのストロベリーの部分を強烈にしたみたいな。
ところで、この香りはどのくらい持つのか?
「個人的に一カ月ほど使っておりますが、まだ香りは残っています」(「fu-bi」代表・鈴木さん)
もちろん、半永久的とはいかないだろう。香りの持続期間は使用環境によるようだ。ご了承いただきたい。
皆さんにも想像してみてほしい。時計をチェックして、それがお昼の時間だったら儲けものである。だってこの腕時計が、その香りでお腹を空かせてくれるから。打ってつけなワケで。
でも、それが食事時にふさわしくないタイミングだったとしたら……? だとしても問答無用に鼻に突いて来る、食欲を誘う香り。ガマンが必要となる。
この腕時計を愛用するということは、一つの“自分との闘い”か。
(寺西ジャジューカ)
すみません、カッコ付けました。本音は、カレーの匂いとかの方が好きです。あと、焼き上がったとうもろこしの匂いとか? いわゆる、食べ物の香り。「出どころは何処!?」と、キョロキョロが止まらない。
そんな私からすると、近場にコレがあったら最後。きっと、ソワソワしっぱなし! オンラインショップの「fu-bi(フウビ)」が2月3日より発売している『チョコウォッチ』(税込み2,280円)は、いい匂いがするらしいのだ。何しろ、これは“甘い香り付きの板チョコレート型腕時計”である。
ちなみに、「ココア」モデル(茶色)と「ミルク」モデル(白色)はチョコレート、「ストロベリー」モデル(ピンク色)はストロベリーのほのかな甘い香りを楽しめるとのこと。
でも、どんな香りかは体験してみないとわからない。そこで、ちょっと私も取り寄せてみました。嗅ぎますよ!
まず、「ココア」モデルを手に取って、匂いを嗅いでみる。……なんだ、コレ(笑)。だって、チョコそのまんまなんだもの!! それも、確かに板チョコの匂い。チョコボールとかチョコレートケーキとかじゃなくて、完全に板チョコの香り。「今、何時だっけ?」と腕をチラ見する度にお腹が空いてしまいそうになるので、ちょっと困りものだ。
続いての登場は、「ストロベリー」モデル。この腕時計を、鼻に近付けて。……また、これも(笑)。いちごの匂いですよ、完全に。例えると、アポロチョコのストロベリーの部分を強烈にしたみたいな。
ところで、この香りはどのくらい持つのか?
「個人的に一カ月ほど使っておりますが、まだ香りは残っています」(「fu-bi」代表・鈴木さん)
もちろん、半永久的とはいかないだろう。香りの持続期間は使用環境によるようだ。ご了承いただきたい。
皆さんにも想像してみてほしい。時計をチェックして、それがお昼の時間だったら儲けものである。だってこの腕時計が、その香りでお腹を空かせてくれるから。打ってつけなワケで。
でも、それが食事時にふさわしくないタイミングだったとしたら……? だとしても問答無用に鼻に突いて来る、食欲を誘う香り。ガマンが必要となる。
この腕時計を愛用するということは、一つの“自分との闘い”か。
(寺西ジャジューカ)