この12月で、国民的番組『水戸黄門』が終わる。この番組が人気だった頃、悪人もいたが、未来への希望があった。いまや、この番組の悪人たちそっくりの老人だらけ。連中は、この番組を見ることなどできまい。

 1969年に始まり、79年2月の第9部最終回には43.7%という驚異的な視聴率を得ていた国民的番組が、今43部、2011年12月の最終回で打ち切りとなる。理由は、はっきりしている。月曜20時のゴールデンタイムにもかかわらず、率が10%も取れないのだ。そんなにつまらないのか。とんでもない。とくに今43部の脚本は、これまでのシリーズの中でもずばぬけて秀逸。子役から老人まで、キャスティングのバランスも悪くない。予算や時代の都合だろうが、昔に較べればたしかに郊外ロケや大人数の「スペクタクルシーン」や、チャンバラの「暴力シーン」は減った。だが、ドラマとしての人間の絡み合い、悪い奴らの巧妙なたくらみは、今という時代を絶妙に映し出している。

 『水戸黄門』は、もともと松下電器が全国各地の「ナショナルのお店」でテレビ販売のキャンペーンを張るためのファミリー時代劇だった。だから、歴史上の水戸光圀が行っていないところでも諸国漫遊し、御当地ものの名物名産を採り上げ、地元に根付く諸悪を祓い清めて歩いた。そして、『水戸黄門』と言えば、ずっと今日まで夕方の再放送の定番。夕餉の支度が始まる頃、陽が傾きかけた居間では、とりあえず『水戸黄門』が、今日もまた悪人たちを懲らしめたものだ。マンネリ、などと、けなすのは、もともと好きでもないやつのセリフだろう。毎度おなじみのニセ黄門の話でも、それぞれに趣向が異なり、他のを知っていればこそむしろ、へぇ、今度のニセ黄門は、こういう事情か、人生いろいろあるなぁ、と、三倍も楽しめた。


続きはこちら