高原直泰がハンブルクに移籍以降、何度となくドイツに足を運び、試合を観戦している。長谷部誠がヴォルフスブルグへ移籍したとき、新しいスタジアムには空席も目についた。しかし、その翌シーズン優勝して以降、3万人のスタンドはいつも満員だ。香川真司のドルトムントのスタジアムは、8万人収容とは思えないほどピッチを近くに感じる。シャルケの内田篤人は「そこを見ていてくれたのか、サッカー知っているなぁって、うれしくなるんだ」とサポーターを絶賛する。

 欧州でプレーする日本人選手が良く口にする「ここ(欧州)ではサッカーが文化だから」というフレーズ。生活に密着しているとか、長い歴史があるとか、地元に根付いたとか、様々な言葉で表現されるが、正直なところ、今ひとつ実感できなかった。
 けれど、ドイツでの土曜の昼下がり、サポーターが動きだし、彼らの歌声が聞こえてくると、「さぁいつもの週末だ」という感覚が生まれくる。
 サッカーの試合は特別なことではなく、文字通り日常のひとコマ。まるで顔なじみのコンビニへ行くようにフラっと出かける。大きな荷物も必要ない。仲間と集まり、日常のあれこれを話す時間でもあるのだろう。だからこそ、そこで思いがけず目にしたプレーが心に強く焼き付き、感情を揺さぶられるのかもしれない。

 昨季、香川が鮮烈なゴールを決めたシャルケ対ドルトムント戦。シャルケはホームで無名の日本人にたたきのめされた。ナイトゲームだというのに朝から盛り上がっていたゲルゼンキルヘンの町は試合2時間後にはひっそりと静まり返っていた。なんと切り替えの早いことかと驚いた。しかし、それも当然で、数時間後には新しい1週間が始まるのだ。いつまでも酔いしれてはいられない。
 熱狂的なサポーターだけではなく、普通の人たちが支えている。当然といえば当然なんだが、欧州へ来ると味わえるサッカーファンでいることの幸福感を改めて、今かみしめている。

 8月13日、私の2011−12シーズンはヴォルフスブルグ対バイエルン戦で始まった。
 途中出場途中交代という苦いデビューを飾り、報道陣の前を無言で通り過ぎる宇佐美貴史を見ながら、「しゃべりたくないんだろうね。でも、全然気落ちすることなんかないよ」と言った長谷部。先輩に挨拶することなく、悔しさをにじませバスへと急ぐ宇佐美の後ろ姿、そしてそれを見守る先輩の言葉。
 しかし、長谷部は宇佐美を慰めたわけじゃない。「下を向いたら、やられてしまう。とにかく戦うだけだ」と叱咤しているようにも思えた。