元ヤンキースの伊良部秀輝がロサンゼルス近郊で死亡しているのが見つかった。地元警察は自殺とみている(7月28日付公式HP)。

 ロサンゼルス州警察は、伊良部の遺体がランチョ・パロス・ヴェルデスの住宅で「明らかに自殺」の状態で見つかったと発表したが、その住宅が自宅であるかどうかは不明。

 ヤンキースは「伊良部秀輝氏が死去されたことを知り、心から驚き、悲しく思っています。ピンストライプを身につけた選手は、永遠にヤンキース・ファミリーの一員です。ご家族、ご友人のみなさんにお悔やみを申し上げます」との声明文を発表した。

 1988年から1996年まで日本のパリーグで豪速球投手として活躍。1997年にロッテから保有権の譲渡を受けたのはパドレスだったが、本人がヤンキース以外の球団への移籍を拒否し、5月にヤンキースと4年契約を結んだ。1998年と1999年の2シーズンで24勝16敗の成績を残したが、問題行動などトラブルも多かった。1999年の春季キャンプで、ゴロを打たれたあとに一塁のカバーに走らなかったため、当時のオーナー、ジョージ・スタインブレナーが伊良部を「ファット・トード(太ったヒキガエル)」と呼び、罰としてロサンゼルスで予定されていたオープン戦への帯同を許可しなかった。

 ヤンキースは1998年と1999年にワールド・チャンピオンとなっているが、伊良部は1999年のアメリカンリーグ・チャンピオンシップ・シリーズで、対レッドソックス戦に1度、リリーフ登板しただけで、その後、エクスポスに移籍。2002年にレンジャーズで38試合に登板し、16セーブを上げた。