巨大磁気嵐と人間の文明:1859年の太陽嵐が示すもの
Image: TRACE/NASA
1859年9月2日午前9時30分、ボストンのステート通り31番地にあった電信局の交換台で過電流が生じた。交換手らは、機器に接続されていたバッテリーを外し、空気中を伝わる電気のみで営業を続けた。[1859年は、日本では江戸時代末期の安政6年にあたる]
この日の未明には、記録が残されている限りで最も明るいオーロラが発生し、地球の空の広範囲を覆っていた。このオーロラはキューバのハバナや、フロリダ州でも目撃された。
これらの「嵐」が起こる18時間前、それまでの5年間太陽黒点の観察を続けていたイギリスの天文学者、リチャード・キャリントンが、日課としている観測中に、明るい光の点を2つ見つけていた。
キャリントンは観測に基づき、この光とその後のオーロラには関係があると述べたが、当時の科学界ではその説はなかなか受け入れられなかった。太陽は非常に遠方にあり、地球に重力以外の影響を与えるとは考えられなかったのだ。キャリントンの説が受け入れられるようになるには、素粒子研究や、太陽活動の研究が進むことが必要だった。
1859年にキャリントンの観測した現象は、現在では、通常は核融合により摂氏5500度ほどになっている太陽の表面温度が、それ以上に熱せられて起こったものだと分かっている。この過熱の原因となるエネルギーは、太陽の磁場の膨張した部分が弾けてまたつながるという磁気爆発から来ている。
米航空宇宙局(NASA)の太陽天文学者、David Hathaway氏は次のように語る。「[磁気爆発は]わずか1、2時間で、1000万個の原子爆弾に相当するほどのエネルギーを放出する。[1859年のものは]格別で、白色光フレアが起こったために観測できた。太陽の表面は非常に熱されて、太陽を明るく輝かすほどだった」[白色光フレアは、特に大きな太陽フレアのこと]
磁気嵐が地球に到達すると、地球の磁気圏が撹乱される。磁化プラズマが地球の磁力線を刺激することで電流が生じる。これらの電流もそれぞれに磁場を持っており、すぐに地上でも強力な電磁力が発生する。これが、当時の電信が「オーロラ電流」の力で稼働できた仕組みだ。
だが磁気嵐の影響は「役にたつ」ものばかりではない。1972年8月4日、米Bell Telephone社の電話線がシカゴからサンフランシスコにかけてダウンした。ベル研究所ではこの原因を探ろうとして、1859年のオーロラ電流にも目を向けることになった。そしてこの調査結果に基づいて、Bell社はシステムを設計し直した。
[1989年にも磁気嵐の影響でカナダのケベック州で9時間にわたって停電。600万人に影響し、復興に数ヵ月を要した(日本語版記事)。2003年にも大規模な太陽フレアが頻発し、衛星や地球上の無線通信に多くの悪影響を与えた。1859年の太陽嵐の半分程度の規模が1960年11月に起こったほか、1805年、1958年などにも太陽嵐があったとされている]
地球の技術システムを地磁気の異常から守るための闘いは今なお続いている。昨年末、米国科学アカデミーが、宇宙の大規模な気象事例に関する報告書をまとめている。この報告書によると、1859年の磁気嵐に近い規模のものが再び起こった場合、送電網がダウンするなどして、その損害(日本語版記事)は1兆ドル以上にのぼるだろうとのことだ。
大規模な磁気嵐がどのくらいの頻度で起こるかについては、データが充分でない。人類の記録による歴史的文献のほかに、有力な根拠としては氷床コアがある。[氷床とは、陸地を覆う5万km2以上の氷河の塊のことで、現在は南極とグリーンランドにのみ存在する。氷床コアは、氷床から堀り出された筒状の氷の柱。適切な場所から得られるコアは撹乱が少ないので、数十万年にさかのぼる詳細な気候変化の記録が得られる]
氷床コアを調査すれば、荷電した粒子が大気中の窒素と反応してできる窒素化合物の濃度が上昇している部分を見つけることができ、これをそれぞれの年代の大気の状態の記録として利用することができる。過去500年分のこれらのデータを見る限り、1859年の磁気嵐は他のどの事例と比べても2倍以上の規模だったということが分かる。
科学者たちは、大規模な磁気嵐の原因についても理解できていないし、次の大規模な磁気嵐がいつ起こるかの予測もできていない。太陽が地球と、そこに住む人類の技術体系に与える影響はまだ理解が進んでいないとはいえ、その科学的研究が始まった時はわかっている。1859年9月のことだ。