(※写真はイメージです/PIXTA)

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数ヵ月に一度、居酒屋で仕事の愚痴や先々の不安を語り合う間柄だった友人から、「実は、先月会社を辞めたんだ」というまさかの告白。「なぜ言ってくれなかったんだ」「俺はこのままでいいのか?」--そんな思いに苛まされることになった55歳会社員の事例とともに、サラリーマンという立場を離れることの自由と代償を、FPの青山創星氏が解説します。

大学時代からの友人と続けてきた「不安トーク」という安らぎ

「友達だからって、何でも話せるわけじゃない。それはわかっているんですけどね……」

池上修二さん(仮名、55歳)はぽつりとつぶやきました。

大学時代に知り合ってから30年以上。お互いに社会に出て、キャリアを重ね、結婚し、子どもを育てる--。数ヵ月に一度は居酒屋で集まり、酒を酌み交わしてきたのが、友人の白石保男さん(仮名、55歳)。仕事の愚痴や将来の不安を語り合い、「うちも同じだよ」と言い合う時間が、何よりの安らぎでした。

池上さんは現在、中堅商社の総務部係長で、年収は650万円ほど。妻の陽子さん(仮名、53歳)はパート月8万円、長男(22歳)は来春の就職が内定しています。

60歳定年まで約5年。現状の老後資金は貯金800万円、退職金見込み1,000万円の合計1,800万円です。年金は65歳から、本人が月17万円程度、陽子さんの基礎年金を合わせ世帯で月24万円程度の見込み。自分なりに堅実に歩んできたつもりでした。

それは、いつものように居酒屋で会った夜。白石さんが静かに切り出した話は、池上さんにとって、あまりに衝撃的な話でした。

「実は、先月会社を辞めたんだ」…告白された夜

「……実は、先月会社を辞めたんだ」

池上さんは箸を止めました。

「え? 辞めたって、なんでだよ」

驚く池上さんに、白石さんは20年以上前から続けていた高配当株や投資信託の積立で、資産が4,500万円に達したことを打ち明けました。白石さんが投資をしていることは、池上さんも昔聞いたことがありました。しかし、「俺はよくわからない」と返したからか、ほとんど会話に出てくることもなかったのです。

「いわゆるFIREってやつだ。子どもも独立したし、今は奥さんと2人暮らしだから、何とかなると思ってな」

FIREとは「経済的自立と早期リタイア」を指す言葉。仕事を辞めたり、あるいは少し減らすなどして、資産の運用益を使って暮らす生き方です。

「年間300万円くらいで生活費を抑えて、貯めた資産から出していく計算なんだ。まあ、毎年資産の7%くらいを取り崩していく感じかな。贅沢はできないけれど、仕事のストレスから解放されたいんだ。まぁ、運用利回りはもっと上を目指しているし、もし厳しくなれば生活費をもっと落とそうと思ってる」

淡々と語る白石さんを前に、池上さんは言葉を失いました。そして、「老後が不安だ」と2人で交わしてきた会話が次々とよみがえってきたのです。

「こいつは、ずっと自分は大丈夫だと思いながら、俺との話に付き合っていたのか? これまでの時間はなんだったんだ」--。“退職おめでとう”とは、とても言えませんでした。

割り勘だったのに…「奢るよ」のメッセージ

数日後、白石さんから届いたメッセージにはこうありました。

「急に驚かせてごめん。どう言えばいいかずっと迷ってたんだ。今度奢るから、よかったらこれからも一緒に飲んでくれよ」

割り勘だった関係が急に変わった気がして、返信の文字を打っては消しを繰り返しました。「嘘をつかれていたのか」。それ以上に池上さんを苦しめたのは、「なんで、これまで一度も言ってくれなかったんだよ」という思いでした。

結局、「ちょっと最近忙しくてさ。また落ち着いたら連絡するよ」とだけ返し、誘いを断りました。

池上さんは、あの夜のことを何度も思い返しました。嘘をつかれたと感じたのは事実です。けれど、「本当に嘘をついていたのだろうか」と考えると、うまく言葉にできませんでした。

思えば、あの「不安トーク」が心地よかったのは、二人が同じように働き、同じように将来を心配していたからでした。それなのに、なぜあの時間が急に色あせて見えるようになったのか? 答えは出ないまま、自分の足元だけでも見直しておこうと思い立ちました。

FPが語る、「レールを降りる」ことの光と影

池上さんが相談したのが、ファイナンシャルプランナーの永瀬財也さん(仮名)です。白石さんのFIREの話を伝えたうえで、「自分も何かしたほうがいいんじゃないか、このままでいいんだろうか」--そんな不安をぶつけました。

永瀬さんは話し始めました。

「白石さんのような、会社員というレールを早めに降りる生き方には、良い面と難しい面があるんです」 

良い面は、自分の意思で働き方を選べること、健康上の理由でも生き方を変えられること、職場の人間関係から離れられること。「ただ、良いことばかりでもないんです」と永瀬さんは続けました。

「まず、働き続ければ増えたはずの厚生年金の上乗せが止まります。それに、白石さんは年間300万円を生活費に充てると話していたそうですが、4,500万円の資産に対して、初年度から約6.7%を取り崩す計算になります。これは、FIREでよく知られている『4%ルール』よりも高い水準です」

「4%ルール? 毎年、資産の4%を取り崩していくという意味でしょうか」

「一般にそう理解されがちですが、本来は、最初の年に資産の4%を取り崩し、2年目以降は、前年の取り崩し額を物価上昇率に応じて調整していくという考え方なんです。生活費は物価が上がれば増えていきますから、相場が悪いときには資産への負担が大きくなることもあります。4%ルールを使えば必ず大丈夫というわけでもありません。相場や物価、寿命などによって結果は変わるんです」

「白石の言っていた老後資産計画は楽観的に見えますね」

「そうですね。ただ、だからといって『会社員として働き続ければ安心』とも言い切れません。勤労収入だけで老後資金を十分に増やしていくのも、決して簡単ではありませんから」

もう一つの道、「半分だけ働く」という選択

「そもそも、完全に辞めるか、働き続けるかだけが選択肢ではないんですよ。具体的に試算してみましょうか」

そういって永瀬さんは説明を始めました。

資産4,500万円、生活費300万円、当初の取り崩し率を6.7%として、年金を池上さんと同水準と仮定。その場合、夫79歳・妻77歳までは資産が持ちますが、80歳・78歳で資産が尽きて、以降は年金だけの生活になる計算だといいます。年金だけになると、世帯で年288万円ほど。年間生活費300万円を下回る計算です。

「しかも、白石さんは55歳で完全にリタイアしているぶん、60歳定年の会社員より厚生年金の加入期間が5年短くなります。年金額は池上さんと同じと仮定していますが、実際の年金額は、この試算より低いと思われます。池上さんご自身の年金でも、平均的な世帯の実収入(注1)をわずかに下回る状態ですから、貯蓄の取り崩しは多くなると考えられます」

「つまり、確実に安全とはいえないということですね?」

「そうなんです。相場が良ければ余裕資金が増えるし、悪くなれば一気に苦しくなる。当然運用結果によって変わりますが、仕事を一切しないFIREの場合、下がった時の影響が大きい。だからこそ、多くの人は『サイドFIRE』を選択するんです」

サイドFIREとは、定年まではそのまま働き、そのあとは労働時間を減らして“半分だけ働く”というFIREの方法です。

60~64歳の短時間労働者の時給は男性2,024円、女性1,397円(注2)。月10万円台~14万円台の収入を上乗せできる可能性があるとしたうえで、永瀬さんは、“もし池上さんが60歳でサイドFIREをした場合”として、試算しました。

「59歳(妻57歳)まではフルタイムで働くとしましょう。60歳からはサイドFIREで、これからの5年間に貯めたお金と働いて得るお金とで64歳まで暮らす。今ある貯金800万円のうち、半分の400万円はいざという時のために現金のまま残し、残り半分の400万円だけを手堅く運用したとします。GPIFの名目運用利回り4.62%で10年運用できれば、400万円は約630万円に育つ計算です。つまり、65歳の時点では、現金のまま残した400万円、育った運用資産約630万円、退職金1,000万円を合わせて、2,000万円程度になっている計算です」

65歳で完全にリタイアし、白石さんと同じ年間生活費300万円で暮らすとすると、夫婦の年金見込み額と、この2,000万円を取り崩しながら運用していく計算でも、夫91歳・妻89歳まで生活費300万円を確保できる計算になりました(注3)。

厚生労働省の最新の簡易生命表による平均余命から算出すると、55歳の男性は平均して約83歳、53歳の女性は約88歳まで生きる計算になります。もちろん仮定ではありますが、白石さんの取り崩し方では、この平均的な余命に届く前に資産が尽きる計算です。一方、池上さんの試算は、夫はこの平均を大きく超え、妻もほぼその年齢まで届く計算になりました。

FIREとひと言にいっても、完全に辞めるのか、あるいは半分働くのか。どういう生活をしていくのか--。色んな道があって、どれを選ぶのかはその人自身です。いずれにしても、人と比べないこと。白石さんには白石さんの事情や考え方があり、池上さんには池上さんの生活があります。大切なのは、どちらが正しいかではなく、ご自身が安心して暮らせる選択をすることですよ」

焦らず、自分の歩幅で歩けばいい

永瀬さんとの相談を経て、池上さんはねんきん定期便で年金を確認し、家計を見直し、無理のない範囲で積立投資を検討し始めました。

「白石のようにはなれないし、なる必要もないと思うようになりました」

そう池上さんは話します。

白石さんとは、あれから頻繁には会っていません。かつて老後不安を語り合ったときに彼が内心どう思っていたのか、知るすべはありません。

それでも先日届いた「元気か」という一言に、池上さんは短く返信しました。元の関係には戻れないと思いつつ、「話してくれてありがたかった」という気持ちも、今はたしかに残っています。それでも、気軽に誘い合うことはもうできないのかもしれません。

妻とのんびり近所を歩くことや、息子の就職の話を聞くことが、今の池上さんにとって、お金には代えがたい時間になっています。 誰かと比べて落ち込むことがあれば、比べる相手は他人ではなく、少し前の自分の数字でいいのかもしれません。

もし身近な人が、言いにくい本音を正直に打ち明けてくれたなら、それを感謝で受け止めることも、一つの答えではないでしょうか。

注1:総務省統計局「家計調査報告(家計収支編)2025年平均」によれば、65歳以上・夫婦のみ無職世帯の消費支出は月263,979円、実収入は254,395円、平均消費性向は119.2%。
https://www.stat.go.jp/data/kakei/sokuhou/tsuki/pdf/fies_gaikyo2025.pdf

注2:厚生労働省「令和7年賃金構造基本統計調査の概況」によれば、60~64歳の短時間労働者の1時間当たり所定内給与額は男性2,024円、女性1,397円。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/z2025/dl/12.pdf

注3:白石さん・池上さんの資産シミュレーションは、夫の年金は月17万円、妻の年金は月7万円、想定運用利回り年4.62%(GPIFの2001~2025年度・過去25年間の名目運用利回り)、物価上昇率年2%の前提のもとに試算。年金にかかる所得税・住民税(国税庁「高齢者と税」の速算表等にもとづく実効税率、世帯合計で年金額の2.8%程度)と、上場株式等の譲渡益・配当への税率20.315%も反映。平均余命は、厚生労働省「令和6年簡易生命表」の55歳男性・53歳女性の平均余命にもとづく概数。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life24/index.html(平均余命)https://www.gpif.go.jp/operation/73509681gpif/unyoujoukyou_2025_01.xlsx(GPIFの運用利回り実績)
 

青山創星
ファイナンシャル・プランナー