15歳の語り部 曾祖父のシベリア抑留体験を後世に【徳島】
盃と徳利に記された戦争の記録をきかっけに、曾祖父のシベリア抑留体験を後世に語り継ごうと立ち上がった中学生がいます。
その思いと語り部としての初の登壇を取材しました。
( 福池葵さん)
「身近に戦争があったというのがこれ(兵隊盃・兵隊徳利)が象徴だと思う。戦争が起こるということは、このような物が作られるということなので、作ってほしくないなと私は思う」
戦時中の兵役を無事終え、記念品として親族らに配られた「兵隊盃」と「兵隊徳利」です。
見つけたのは、鳴門中学校3年の福池葵さん15歳。
3年前に亡くなった曾祖母の遺品を整理していたところ、発見しました。
( 福池葵さん)
「私の曾祖母が死んだあとに出てきてこれが、調べてほしいというか宿題にしてほしいとか、曾祖母がそう思ったのかなと」
(記者)
「 葵さんに託した?」
(福池葵さん)
「はい」
葵さんの曽祖父、大塚忠次郎さんは、10代前半で開拓団として満州へ渡ります。
終戦後はソ連軍に連行され、過酷な抑留生活を送りました。
(福池葵さん)
「身近な人も行ってたんだなと、悲しい気持ちになった」
「このことを戦争を知らない世代に伝えたい」その思いから、語り部として登壇することを決めました。
(福池葵さん)
「これ(兵隊盃・兵隊徳利)には悲しいことや嬉しいことがある。そのような感情がいっぱい詰まってて大切なものだと思う」
「(兵隊盃・兵隊徳利)があんまり知られてないことが多いので、私たちが調べて世に広めていきたいと考えている」
(記者)
「お墓参りはいつぶり?
(福池葵さん)
「夏ぶりです」
(記者)
「 今どういう気持ちか?」
(福池葵さん)
「何回も何回も来ているので、懐かしいなと思う」
この日は先祖が眠る墓にお参り。
語り部としての活動していく決意を報告しました。
葵さん、手を合わせて祈ります。
(母・福池裕香さん)
「語り部として娘が中学3年生で出ますが、皆さんに聞いていただいて感じたことを書いてもらったり、メッセージいただけたら嬉しいと思う」
(記者)
「緊張してますか?」
(福池葵さん)
「少しだけ」
「戦争の悲惨さや出来事を出来るだけ伝わるように話したいと思う」
そして、初の登壇日を迎えました。
(福池葵さん)
「いけるかなー?」
開始前、緊張からか思わず不安を呟く葵さん。
講演には、県内外から約50人が参加葵さんの話に耳を傾けました。
戦争の語り部を中学生がするのは、全国的にも珍しいといいます。
講演では、曽祖父が経験したシベリアでの抑留生活など自らの言葉で伝えました。
(福池葵さん)
「朝早くからソ連の冬の-20度から-30度のなか、重労働をさせられて、凍った土はまるでコンクリートのように固く、帰る頃には空腹と疲労で倒れる人もいました」
「倒れても他の人も自分が歩くのが精いっぱいで、そのまま亡くなる人も少なくありませんでした」
「食事も日本人が作らされており、衣食住全てにおいて日本人が携わっていたようです」
「それほどたくさんの日本人が、終戦後に強制連行としてソ連各地のラーゲリーに送られていたのです」
そして・・・ 兵隊盃と兵隊徳利。
(福池葵さん)
「こちらのものは100年以上、曽祖父の家に今の状態のまま、洗濯干しの軒先の奥の方にひっそりと眠っていました」
「私が見つけたのは曽祖父、曾祖母が亡くなったあとだったので、これは何かのメッセージだと感じて自由研究の題材にした」
曾祖父母から託された盃と徳利。
その思いを葵さんが引き継ぎ、堂々と伝えました。
最後に平和の象徴として、葵さんは参加者に自らが作った折り鶴をプレゼントしました。
(土成町から参加)
「(曽祖父を)知っている人だからびっくりした。戦争に関係しててやっぱり大変な思いをしたんやなとよくわかったし、ひ孫さんが調べて発表して興味を持ってしているのが凄いなと思った。曽祖父がうらやましいと思った」
(鳴門市から参加)
「若い方の言葉でいろいろ調査されて、本当に感動した。改めて平和の尊さ戦争の悲惨さは語り継いでいかないといけないと思った」
(福池葵さん)
「結構緊張したけど、たくさんの人に拍手とかもらえて嬉しかった。伝わってくれてよかったなと思った」
(記者)
「この活動をやって良かったか?」
(福池葵さん)
「はい、これからも続けていこうと思う」
先祖から託された平和への思いは葵さんが受け継ぎ、これからも次世代へバトンを繋いでいきます。
(福池葵さん)
「(盃と徳利を見つけたとき)おじいさんとおばあちゃんが、私に宿題を出してくれたと思った」
(記者)
「その宿題にはこたえられた?」
(福池葵さん)
「多分いけたと思います」
