「年収の壁」引き上げで手取り減るケース多発の訳
(写真:Graphs/PIXTA)
国民民主党の主導で、所得税がかかる年収の基準を現在の103万円から178万円へ引き上げる議論が進んでいます。実現すれば7.6兆円の税収減となり、家計の手取りは増えるとも言われています。
しかし現在の案では、減税幅は高所得者ほど大きく、所得額によってはそれほど大きな減税効果は望めません。
また、今回の見直しは「年収の壁」を気にしながらパートやアルバイトなどとして働く人の年収アップを促すと期待されています。しかし、年収が上がれば手当を受けられなくなったり、社会保険に加入したりする影響から、むしろ手取りが下がってしまうケースも多々あるのです。
今回の見直し案と「年収の壁」との関係を整理してみましょう。
現在は年収103万円を超えると所得税がかかる
会社員、パート、アルバイトなど給与収入がある人は、所得税の計算において基礎控除と給与所得控除が適用されます。基礎控除は48万円(本人の所得が所定額までの場合)、給与所得控除は55万円(給与収入が162.5万円まで)のため、合わせて103万円までは所得税がかかりません。
この仕組みによって、所得税の負担を回避するため年収を103万円以下に抑えて働くケースがあるため、「年収103万円の壁」とも呼ばれます。
年収が103万円を超えると、超えた部分に対して所得税がかかります。今回の見直しではこの課税の最低ラインを年収178万円に引き上げることが検討されています。
また、住民税についても現在は給与収入が年100万円を超えると超えた部分に所得割が課税されますが、これも見直される方向のようです。詳細は今後調整される見通しですが、年収178万円までは税がかからないようになるかもしれません。
もしそうなれば、178万円まで給与収入が増えた分は、そのまま手取り収入の増加になりそうに思えます。
しかし、家族の社会保険の扶養に入っている場合には、単純に手取りが増えるとは限りません。手取り収入には、さまざまな年収の壁が影響するためです。
(出所)厚生労働省「年収の壁について知ろう」
103万円の壁は所得税だけの壁ではない
実は年収103万円の壁は、人によっては所得税負担以外の意味もあります。たとえば、会社員に扶養されている配偶者や子どもなどです。
配偶者手当や家族手当を支給する企業などでは、支給対象となる配偶者や子どもなどの年収基準を103万円以下としているところが少なくありません。このため手当を受け取れるように、配偶者や子どもなどがパート・アルバイトの収入を103万円以下に抑えるケースがあるのです。
手当の金額は企業によって異なりますが、年収の壁の引き上げによってパートやアルバイトをしている人が収入を増やすと、扶養者が受け取れる手当が減り、世帯収入が減ってしまう可能性があります。
今回の税控除の見直しはパートやアルバイトで働く人のみならず、給与収入のある人全体を対象に控除額を引き上げるものです。であれば、手当が減るリスクをとって配偶者や子どもの収入をわざわざ上げなくても、扶養している世帯主などが減税を受けられれば十分と判断する家庭もあるかもしれません。
また、子どもが16歳以上30歳未満の場合には、その年収が103万円以下であれば親の所得税で「扶養控除」(38万円)を受けられます。大学生などで19歳以上23歳未満であれば「特定扶養控除」として、控除額は63万円になります。
子どもの年収が103万円を超えてしまうと税法上の扶養から抜けてこれらの控除を受けられなくなってしまうため、親の税負担が増えないように、子どものアルバイト収入を抑える家庭もあります。
特に親の所得が高い場合には所得税率が高く、控除の有無が税額に大きく影響するため、子どもの手取り額が増えても親の手取り額が減ってしまうことも考えられます。(なお、学生の子ども本人には「給与所得控除」と「勤労学生控除」により、アルバイトの年収が130万円までは所得税がかかりません)
106万円の壁を超えれば社会保険加入で手取り減
扶養に入っている人の年収が高くなる際に、とりわけ注意したいのが社会保険です。勤務先の規模や労働時間など所定の要件を満たす場合には、年収106万円相当を超えると社会保険料の負担も生じます。これが、「年収106万円の壁」です。
年収106万円に相当するケース(毎月の所定内賃金が8.8万円)で社会保険に加入した場合、1カ月当たりの保険料の負担額は約1万2500円(※令和6年度。40歳以上は介護保険料と合わせて約1万3100円)になります。
年間で約15万円が給与から天引きされることになるため、103万円の壁の見直しによる本人の所得税の軽減効果を相殺してしまうか、むしろ手取り収入が減ってしまうケースが多いと考えられます。
年収106万円の壁によって社会保険の加入対象となるのは、現在のところは従業員数51人以上の企業で働き、かつ労働時間週20時間以上、雇用見込みが2カ月超の場合です。
この要件は2024年10月に拡大されたばかりなのですが、今後さらに対象が広がる方向です。最近になって厚生労働省は、社会保険の適用対象から年収要件を撤廃する方針を明らかにしました。労働時間などの要件を満たせば、年収に関わらずに社会保険に加入する必要が生じます。
次に待ち構える130万円の壁とは?
パート先の企業規模が小さいなどといった理由で、現在の年収106万円の壁に該当しない場合には、もうひとつ「130万円の壁」もあります。年収130万円までなら、自分で社会保険料を負担することなく、扶養者の勤務先の健康保険に加入することができます。
会社員の妻などは、年金においても国民年金の第3号被保険者となり、年金保険料の納付義務がありません。
しかし将来的に社会保険の年収要件が撤廃されれば、年収130万円以下で扶養に入っている人も、扶養から外れてパート・アルバイト先で社会保険に加入することになるでしょう。やはり、社会保険料の負担が減税以上に手取り減に影響してしまう可能性があります。
社会保険加入で手取り額はどうなる?
仮に、現在議論されている課税の最低ラインである年収178万円(月収14.8万円)で社会保険に加入すると、手取り額はどれくらいになるのでしょうか?
現行の税制・社会保険料率で計算すると、健康保険料7500円、厚生年金保険料1万3725円、雇用保険料890円、所得税2000円が天引きされ、手取り月収は約12.4万円(※単純計算では手取り年収は150万円弱)になります。
もし、冒頭で述べたように税控除が引き上げられればこのうち所得税部分の負担はなくなりますが、それでも手取り額は約151万円程度にしかなりません。もし年収103万円の人が労働時間を増やして年収178万円になったとしても、手取り額は丸々75万円増ではなく、48万円増にとどまるのです。
つまり、103万円の壁引き上げによって税負担が減っても、扶養に入っていた人が社会保険に加入することになれば、その分の手取り額は減ってしまうということです。
もっとも、社会保険に加入すれば、将来の老齢年金や障害年金、遺族年金のほか、傷病手当金や出産手当金などが手厚くなるメリットはあります。しかし収入を増やすためにパート・アルバイトをしている人にとって、働いても負担が増してしまうダメージは小さくないはずです。
今回の税の見直しでは「手取り増」が強調されています。しかしこのように、手当や社会保険料といった側面を考えると、扶養内で働くパートやアルバイトなどの人に対するミスリードにも感じます。本質的な手取り増につなげるには、複雑に関連しあう「年収の壁」を整理することが重要です。
(※文中の試算は、保険料や税額を現在の税制・保険料率に基づいて概算したものです。諸条件により計算結果が異なる場合があります)
(加藤 梨里 : FP、マネーステップオフィス代表取締役)