「かのこ様」シリーズ最新作。陽キャ・陰キャをカテゴライズする現代に届けたい、誰かを見上げるヒーローを描く青春漫画『恋だの愛だの〜君は僕の太陽だ〜』【書評】

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 あらゆる声が可視化された時代は、誰もが他人の眼差しを意識することになる。陽キャ・陰キャ、1軍・2軍といったカテゴライズを多くの人が意識するし、その上位カーストの人ですら「しょせん学校の人気者レベル」といったさらに外からの評価にも晒される。『恋だの愛だの〜君は僕の太陽だ〜』(辻田りり子/白泉社)(以下『君は僕の太陽だ』)の主人公・山田丈之進は、そんな時代の等身大といえるキャラクターだ。

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 本作は「かのこ様」シリーズと呼ばれる『笑うかのこ様』『恋だの愛だの』の後継作品で、従来シリーズでは苗床かのことその友人たちの中学・高校生活を描いてきた。山田は、そのかのこの元クラスメイトで友人だ。

 主人公のバトンタッチがあった本作だが、シリーズの“らしさ”は継承している。かのこは自称・クラスの完全なる傍観者で、目立たず人と関わらず、クラスメイトの人間関係を観察するのを趣味にしていた。そんなかのこが無二の友人に出会い、傍観者を脱却していく友情と恋の群像劇が『かのこ様』であり『恋だの愛だの』である。

 明るいお調子者である山田は、性格やポジションこそかのことは違うが、やはり自分のことを脇役・モブだと思っているキャラクターだ。キラキラと輝く主人公のような友人たちは「見上げる」もので、手を伸ばしたり、まして自分がなろうとするようなものではないと思っている。

 しかし一方で、かのこと山田は正反対のキャラクターでもある。かのこは一匹狼であり、誰かの価値観に合わせようとは思っていない。対して、山田は自分でも語るように、空気を読む人であり、周囲とうまくやっていくことを大事にしている。脇役キャラという自認も、言ってみれば他人の眼差しのなかから生まれているものだ。だから、同じ友人グループの杜若麗子への恋心を自覚しても、「釣り合わない」と諦めようとする。そんな山田の姿は、もどかしくもあるが、身につまされると感じる人も多いのではないだろうか。

 だからこそ、山田が変わっていこうとする『君は僕の太陽だ』は心を打つ。杜若への恋に挑むことを決め、そのために平凡な選択を捨て、芸人という世界へ飛び込むことを決めるのだ。

 11月5日に刊行された2巻では、いよいよ大人になった山田たちが描かれる。迷い、自分で決めた自分の身の丈に振り回されていた高校時代からずいぶん成長し、芸人としても売れ始めた23歳の姿だ。

 そうなっても、山田が“主人公キャラ”になったかといえばそうではないのが本作の面白いところだ。山田は誰かを自然に惹きつけるスターがいること、自分がそういう存在でないことを痛いほど知っている。だから、できることを一生懸命にやる。

 そんな山田を、杜若が評する場面はドラマチックだ。曰く、「自分の価値がわかってない」「価値ないもんと長年つるまんわ」。

 山田は自分のことをよくわかっていると思っているが、身の丈なんて案外自分ではわからないものだったりするし、若いころの身の丈が自分の限界なんてこともない。そして、人が惹かれるのは、身の丈に合わせようとする人ではなく、身の丈を伸ばそうとあがく人なのだ。そして、そういうところをちゃんと見ている杜若のような人は意外といる。

 『君は僕の太陽だ』は、他人の声が可視化され、誰かを見上げることが多い時代のヒーローを描く群像劇なのだ。

文=小林聖