スポーツシューズのトップメーカー・米ナイキが業績不振に陥っている。立教大学ビジネススクールの田中道昭教授は「直営店やEC(電子商取引)での販売に注力し、小売店への卸を大幅に減らしたことが理由のひとつではないか」という――。
写真提供=Jakub Porzycki/NurPhoto/共同通信イメージズ
2024年5月28日、フランス・ニースの店舗で見かけたナイキのシューズとロゴ - 写真提供=Jakub Porzycki/NurPhoto/共同通信イメージズ

■評価が高かった「D2C戦略」のその後

スポーツシューズの世界で群を抜くブランド人気を誇っていたナイキが、大きく失速している。10月に発表された2025年5月期第1四半期(6〜8月期)の決算では売上高が前年同期比10%減、純利益は28%減となり、ジョン・ドナホーCEOは退任。通期の業績見通しも撤回される事態となった。

ナイキは2017年以降、小売店への卸を大幅に減らし、「D2C(Direct to Consumer)」へと舵を切っていた。D2Cとは卸売や小売事業者を通さず、メーカーから消費者へダイレクトに販売する手法のこと。ナイキも、人気商品の多くを自社ECサイトと直営店のみで販売する戦略に転換。コロナ禍で対面活動が制約を受けるタイミングと重なったこともあって、一時はメディアなどでも高い評価を受けていた。

ところが、ナイキの商品のみが並ぶECや直営店では、他メーカー商品との比較検討ができない。初めからナイキを買おうと決めているコアなファンならともかく、さまざまなメーカーの商品を見比べてから購入したい一般ユーザーにとっては、小売店に並ばないナイキの商品は選びにくくなってしまった。

■ナイキの戦略には、何が欠けていたのか

ナイキの業績不振の理由のひとつが「D2C戦略」一辺倒で進めてきた結果であることは明らかだろう。もちろんコアなファンが多いというナイキの商品特性を考えれば、D2C戦略そのものが間違っていたとはいえない。しかしながらD2Cにあまりに傾注しすぎたことで、一般ユーザーにアピールする卸販売がおろそかになり、消費者の買い物心理にうまくリーチできなかった点は否めない。

ただ、それがすべてではないと筆者は考える。ナイキに欠けていたのは「D4C(Direct for Consumer)」、すなわち“消費者のため”という視点だ。デジタル化を成功させるためには、「カスタマーセントリック(顧客中心主義)」であることが必要なのだ。

ナイキと同じく「デジタルネイティブ」ではない企業でも、成功事例はある。例えばユニクロはリアルとデジタル、オンラインとオフラインを組み合わせる「オムニチャネル」の戦略を効果的に採用し、成功している。

■ユニクロの成功要因は「リアルとデジタルの融合」

ユニクロは多様なアプローチでオムニチャネルに取り組んでいる。例えば、ウェブ限定商品を多数用意し、店舗内に案内を表示してECサイトへの誘導を図っている。反対にECサイトで購入した商品も店舗での受け取りや返品が可能。このほか、SNSを活用した情報発信などにも力を入れており、店舗、EC、SNSを融合させたオムニチャネルを推進してきた。

顧客の視点に立って、購入はもちろん検討段階から「リアル/デジタル」、「オンライン/オフライン」を自在に選べるようにしたことが、ユニクロのデジタル化成功の要因となっている。

写真=iStock.com/carterdayne
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/carterdayne

また、「カスタマーセントリック」の重視によってデジタル化を成功させた例としては、小売り世界最大手のウォルマートの事例が挙げられる。〈なぜウォルマートは5000億円以上を「広告」で稼げるのか…日本の小売業が誤解する「リテールメディア」の本質〉の記事でも紹介したが、社員教育やDXにも取り組み、全社をあげて「カスタマーセントリック」を目指した点は大きい。

デジタル化」という点だけで見れば、ナイキもD2Cによって推し進めたものの、成功しなかった。対してユニクロ、ウォルマートの両社がとったデジタル化の考え方と施策が、ナイキがどうすればよかったのかという問いへの明確な回答になっていると筆者は考える。

ショッピングは急速に「進化」している

そもそも現在、スマートフォンやSNSの浸透、ライフスタイルの変化によって、消費者の行動パターンは大きく進化している。

消費者がある商品を購入したとする。その際、消費者はどのような方法で商品をリサーチしたのか。商品を店舗で買ったのか、ECで買ったのか。その商品を自宅で、対面で受け取ったのか、宅配ボックスで受け取ったのか、あるいは店舗やコンビニで受け取ったのか。さまざまなパターンが考えられる。

まず検討と購入のフェーズを見ていくと、「オンラインでリサーチしてオンラインで購入した」「オンラインでリサーチして店舗で購入した」「店舗でリサーチして店舗で購入した」「店舗でリサーチしてオンラインで購入した」という行動パターンがある。もちろんそれ以外の雑誌や広告といったメディアで調べ、購入に至るケースもあるが、大きく分ければこの4つだ。

筆者作成

そこに上述の多様な受け取り方法を加えて考えるのが、現在のデジタル化が進んだ小売りにおいてとるべき方法だろう。そして、検討も購入もリアルワールドとデジタルワールドの双方で柔軟に行える環境を用意し、受け取りにも多彩な選択肢を提供することが、小売りにおける「オムニチャネル」の本質であり、生命線だと筆者は考える。なぜなら、消費者はすでにこのような臨機応変の検討・購入・受け取りのスタイルを始めているからだ。

■世界最大手スーパーが発表した「消費者の実態」

ウォルマートが2021年11月に発表した「The Shopping Evolution(ショッピングの進化)」というレポートを見ると、顧客の半数が購買の意思決定を行ううえでソーシャルメディアが重要になってきていると回答し、48%の顧客がオンラインでリサーチしてから店舗で購買していると回答した。また、19%が店舗内で商品を閲覧するものの購入はオンラインで行うと回答している。配達についても、無料の宅配サービスを利用する顧客が85%いるが、短時間での宅配サービスを利用する顧客が49%、割引を受けるため遅延も許容する顧客も41%おり、検討・購入・受け取りのいずれにおいても消費者は臨機応変に選択している現状が見える。

小売業界の最新トレンドとして注目を集める言葉に「ショールーミング」「ウェブルーミング」がある。ショールーミングは店舗で実物を確認し、ネットでなるべく安く購入するパターン。ウェブルーミングは反対にネットで口コミやセール情報、在庫状況などを確認して店舗で購入するパターンだ。

そんな中、ショールーミングにより、売り上げや集客に成功しているユニークな事例が日本にある。三井不動産が運営する「ららぽーとクローゼット(LaLaport CLOSET)」だ。

写真=三井不動産提供
ららぽーとクローゼット海老名店 - 写真=三井不動産提供

■ららぽーとで増えている「試着だけの店」

三井不動産は全国に展開する商業施設・ららぽーとで、ショールーミング用店舗「ららぽーとクローゼット」を運営している。2021年に1号店をオープンし、現在は3店舗だが、業績好調のため今後10店舗への拡充を予定している。

ららぽーとクローゼットは、ららぽーとの公式通販サイト「アンドモール(&mall)」に出品されているファッションアイテムの実物をリアルに体感できる店舗で、最終的にはアンドモールで購入してもらう立て付けになっている。

開業当初は、アンドモールの商品を予約して試着できるサービスとしてスタート。複数ショップの商品をまとめて試着できる点で新しかったが、なかなか人気が出なかった。2022年からファッションに苦手意識を持つ顧客に照準を定め、3D骨格診断、カラー診断士による提案、プロスタイリストによるコーディネート、AIによる顔タイプやカラーの診断といった体験型サービスを始めたことで一気に利用が増え、商品を購入するアンドモールの売り上げも大きく伸びた。

写真=三井不動産提供
AIカメラによる「ファッション診断」などができるディスプレイ - 写真=三井不動産提供

ららぽーとクローゼットの事例も、「カスタマーセントリック(顧客中心主義)」の視点に立ったことが成功要因のひとつだと言えるだろう。

■店舗とネットの「行き来」が生み出す価値

「ららぽーとクローゼット」を運営する三井不動産は、オフィスビルや商業施設、ホテル、リゾートなどを手掛ける総合デベロッパーだ。BtoB事業が基本であり、ららぽーとなどの商業施設事業では、テナント企業に入居してもらうことで賃料を得ている。

そんなデベロッパーが、なぜ自ら「ららぽーとクローゼット」というBtoCの領域に携わり、「アンドモール」というECを運営するのだろうか。それは、商業施設の開発運営者として、テナント企業を支援するためだ。

ららぽーとクローゼットは、店舗での体験料金も収入になるものの、そもそもの目的はテナント企業の売り上げ向上と、ららぽーとへの集客、施設の魅力アップにある。ショッピング体験をエンターテインメントとしてうまく「オムニチャネル化」しているのだ。

ユニクロも、ウォルマートも、そして三井不動産も、「カスタマーセントリック」の考え方で顧客とデジタルでつながっている。顧客の利便性を高めて、リアルとデジタル相互の行き来により売り上げを高める方法論としてオムニチャネルを選択した。

ナイキの場合は顧客のニーズに目線を向けず「D2C」に特化し、ECでの販売に注力しすぎた。そのため、小売店舗にナイキ商品がないことで顧客の「ショールーミング」が成り立たなくなったのに加えて、ウェブで興味を持ち小売店舗で購入する「ウェブルーミング」の流れもうまく捉えられなかった。筆者は改めて、この両面が失敗の理由と考える。

翻って日本について考えると、小売店舗で商品を確認しながら購入はウェブで行う消費者行動を、店舗運営を主体とする企業はあまり快く思わないと言われてきた。それは、ショールーミングという行動パターンをあくまでECでの売り上げに特化したものと捉え、店舗の売り上げとECの売り上げを分けて考えるからだろう。おそらくは評価制度もその考えに基づいていると思われるが、今後は例えば店舗からECに送り出した数を店舗側の成績とするなど評価体系自体も再検討することが必要になってくるのではないか。

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田中 道昭(たなか・みちあき)
立教大学ビジネススクール教授、戦略コンサルタント
専門は企業・産業・技術・金融・経済・国際関係等の戦略分析。日米欧の金融機関にも長年勤務。主な著作に『GAFA×BATH』『2025年のデジタル資本主義』など。シカゴ大学MBA。テレビ東京WBSコメンテーター。テレビ朝日ワイドスクランブル月曜レギュラーコメンテーター。公正取引委員会独禁法懇話会メンバーなども兼務している。
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(立教大学ビジネススクール教授、戦略コンサルタント 田中 道昭 構成=斉藤俊明)