「かまってちゃん」と「察してちゃん」困った夫たちは“妻だったら察するべき”と思っている?
妻の体調が悪くても知らん顔しているくせに、自分が少しでも不調だと「具合が悪い、もうだめだ」と大騒ぎする夫は多い。さらには「こんなにつらいオレのことを察して」と言わんばかりの態度も。困った夫を、「かわいい」と見るか「うっとうしい」と見るかは、結婚してからの夫婦関係をどう築いてきたかの試金石かもしれない。
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ヨリコさん(53歳)は、少し悔しそうな表情でそう言った。今年の春、20年以上連れ添った夫と離婚したばかりだという。原因は夫の不倫だった。
「子どもが産まれてから私の愛情が子どもにばかり注がれることに夫はなんだか釈然としない気持ちになっていたんでしょうね。子どもが熱を出すと、『オレも具合が悪い』とよく言っていました。あなたは大人なんだから、自分で何とかしてよと私もよく言ってたけど、結局はめんどうを見てしまう。
子どもたちが成人して、これからようやく夫とふたりで向き合いながら過ごせるのかなと思ったら、夫の目は他の女性にいっていた。なんだか虚しかったですね」
「冗談めかして、うちは子どもが3人ですって言うと、夫もそれなりにおもしろがっているように見えた。でも内心は、かまってちゃんとしてしか存在感を示せなかったのかもしれない」
最後、夫は「他に好きな人ができた。彼女はオレを頼ってくれるんだ」とのろけた。そんな夫を彼女は「思い切り、一発ぶん殴ってやりました」。もっと早くそれができていれば、夫婦としての関係性は変わったかもしれない。
「察しろ察しろというけれど、私はあなたじゃないから、あなたの本心は言わなければ伝わらないといつも言っています。でも夫はそれが不服な様子。妻は自分の分身だと思っている節がありますね。夫婦も人間関係のひとつだから、そう簡単に相手の気持ちなんてわからない。
じゃあ、私の気持ちが分かるのかというと、夫は『だいたい想像がつく』って。でも完全に的外れなんですよね……」
こういう人とどう付き合っていったらいいのかと悩んだ時期もあったとマイさんは言う。だが今は、「察したふり」をすることに慣れてしまった。それでも時々、夫は「どうしてわかってくれないの、どうして察してくれないの」と駄々をこねるような時がある。
「かまってちゃん」も「察してちゃん」も根は同じなのだ。妻なら、自分を誰より理解してくれて当然だと思い込んでいるところがある。
「夫が父親を亡くした時、けっこう平然とした顔をしていたんです。父との確執は聞いていたから、複雑な思いがあるんだろうなとは思っていました。四十九日がすんだころ『あなたも大変だったね』と声をかけたら、急に夫が泣き出した。
『兄妹も母親も、オレの気持ちなんてわかってくれなかった。やっぱりマイだけだよ、オレの心がわかっているのは』と言われたんです。
でも話していて分かったのは、私はまったく夫の心理を察していなかったことだった。私は夫が複雑な心理を抱きつつ父を見送ったと思っていたんですが、夫はなんだかんだあってもとにかく悲しかっただけらしくて……。まったく察してなかったのに、察したと思い込んだ夫に感謝されていたんですよね」
「私は夫が『察して察して』というところから揉めるのが嫌なんです。多少の誤解があっても穏便にすめばそれでいい。本気で人と人が理解しあうなんて不可能だと思っているから。でも夫はそれが可能だと思っている。そこからしてもう合わないわけですよ。
だから誤解や思い込みも含めて、穏やかな関係が築ければいい。ある意味では逃げかもしれないけど、日常生活、深刻に向き合ったら疲れるだけですから」
どこに主眼を置いて暮らしていくか、それは人それぞれ。かまってちゃんと察してちゃん、いずれにしても夫は妻にそこはかとなく甘えたいものなのかもしれない。
▼亀山 早苗プロフィール明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
(文:亀山 早苗(フリーライター))
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夫を「長男」と位置づけてはいけない
「ふたりの子を育てていく時期に、なんとなく夫を“長男”と位置づけてしまった気がするんです。それが私の大失敗だった(笑)。夫はその地位が居心地よかったんでしょうね。長男として私に甘え続けた。いつでも私はかまってくれて、甘えさせてくれる存在だと思っていた。それは私を下に見ることにつながったんだと思います」「子どもが産まれてから私の愛情が子どもにばかり注がれることに夫はなんだか釈然としない気持ちになっていたんでしょうね。子どもが熱を出すと、『オレも具合が悪い』とよく言っていました。あなたは大人なんだから、自分で何とかしてよと私もよく言ってたけど、結局はめんどうを見てしまう。
子どもたちが成人して、これからようやく夫とふたりで向き合いながら過ごせるのかなと思ったら、夫の目は他の女性にいっていた。なんだか虚しかったですね」
子ども扱いでなく、男女として向き合うべきだった
もっと早くから、一人の男と女として向き合っていればよかった。たとえ子どもがいても、夫まで子ども扱いしなければよかった。そうは思ったが、時すでに遅しだった。夫のような「かまってちゃん」の相手はしていられないと何度も思ったし、いっそ子ども扱いしてしまったほうが自分も楽な側面があったのは事実だという。「冗談めかして、うちは子どもが3人ですって言うと、夫もそれなりにおもしろがっているように見えた。でも内心は、かまってちゃんとしてしか存在感を示せなかったのかもしれない」
最後、夫は「他に好きな人ができた。彼女はオレを頼ってくれるんだ」とのろけた。そんな夫を彼女は「思い切り、一発ぶん殴ってやりました」。もっと早くそれができていれば、夫婦としての関係性は変わったかもしれない。
何でも「察しろ」というけれど
「言わなくてもわかるでしょ」「察してよ」が口癖の夫をもつマイさん(45歳)。結婚して16年、中学生のひとり娘がいる。夫は娘にはデレデレの甘い父親だが、マイさんには「何でも察してほしい」とわがままな態度を貫いている。「察しろ察しろというけれど、私はあなたじゃないから、あなたの本心は言わなければ伝わらないといつも言っています。でも夫はそれが不服な様子。妻は自分の分身だと思っている節がありますね。夫婦も人間関係のひとつだから、そう簡単に相手の気持ちなんてわからない。
じゃあ、私の気持ちが分かるのかというと、夫は『だいたい想像がつく』って。でも完全に的外れなんですよね……」
こういう人とどう付き合っていったらいいのかと悩んだ時期もあったとマイさんは言う。だが今は、「察したふり」をすることに慣れてしまった。それでも時々、夫は「どうしてわかってくれないの、どうして察してくれないの」と駄々をこねるような時がある。
「かまってちゃん」も「察してちゃん」も根は同じなのだ。妻なら、自分を誰より理解してくれて当然だと思い込んでいるところがある。
「夫が父親を亡くした時、けっこう平然とした顔をしていたんです。父との確執は聞いていたから、複雑な思いがあるんだろうなとは思っていました。四十九日がすんだころ『あなたも大変だったね』と声をかけたら、急に夫が泣き出した。
『兄妹も母親も、オレの気持ちなんてわかってくれなかった。やっぱりマイだけだよ、オレの心がわかっているのは』と言われたんです。
でも話していて分かったのは、私はまったく夫の心理を察していなかったことだった。私は夫が複雑な心理を抱きつつ父を見送ったと思っていたんですが、夫はなんだかんだあってもとにかく悲しかっただけらしくて……。まったく察してなかったのに、察したと思い込んだ夫に感謝されていたんですよね」
気持ちがすれ違う実感に苦笑
こうやって気持ちがすれ違っていくという実感があったと、マイさんは苦笑した。だが、夫が「妻は察してくれている」と思い込んでいれば、不要な諍いは避けられるとも感じたそうだ。「私は夫が『察して察して』というところから揉めるのが嫌なんです。多少の誤解があっても穏便にすめばそれでいい。本気で人と人が理解しあうなんて不可能だと思っているから。でも夫はそれが可能だと思っている。そこからしてもう合わないわけですよ。
だから誤解や思い込みも含めて、穏やかな関係が築ければいい。ある意味では逃げかもしれないけど、日常生活、深刻に向き合ったら疲れるだけですから」
どこに主眼を置いて暮らしていくか、それは人それぞれ。かまってちゃんと察してちゃん、いずれにしても夫は妻にそこはかとなく甘えたいものなのかもしれない。
▼亀山 早苗プロフィール明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
(文:亀山 早苗(フリーライター))