介護保険を「撤退戦」から守るたった1つの方法
国民生活に定着した介護保険制度。今後取り組むべき課題は何でしょうか(写真:Luce/PIXTA)
敬老の日の2024年9月16日に『こんなはずじゃなかった、介護保険』というYouTube上で8時間に及ぶマラソンシンポジウムを上野千鶴子先生(東京大学名誉教授、社会学者)が企画していました。
私がいただいたテーマは「究極の財源問題/税・保険折衷方式は正しかったのか?」でした。正しい、間違いの話は抜きにして、この方法だから介護の社会化ができたのだろうというのはあります。このシンポジウムで話したことや準備していたけど読み飛ばしていたことを記しておきたいと思います。
まず、介護の世界で著名な池田省三先生(龍谷大学名誉教授、故人)は、私が2011年に書いた「空想的社会保障論」に共感してくれていた話を紹介します。
それまで、池田先生に会ったことがなかったのですが、突然、池田先生の「空想的介護保険論からは何も生まれない」(『介護保険情報』2011年10月号)の抜き刷りが送られてきました。
読むと、確かに私が言いたいことを理解してくれている。つまり、私の文章「方向性・理念を語ることが社会保障論だと信じていた、空想的社会保障論者がこれまで等閑視していたこと、それは社会保障問題は財源調達問題であるという側面だ」が引用されていました。
そして池田先生の論考にある、「保険料と公費による新たなファイナンスシステムを構築したからこそ、介護サービスは生き残れたのである」という理解に、私のほうからも共感しています。
所得再分配国家は五公五民国家にあらず
以下は『経営協』2023年12月号の「連帯してみんなで助ける仕組みをもっておく、ただそれだけのこと」に書いたことです。
そこでは、「『労働力希少社会』を迎えて、・・・そのときに需要される医療・介護従事者を確保するためには、賃金は一層高くならざるを得ません。これを実現するためには、どうすればいいのでしょうか? この問いに対して、すぐに『税、社会保険料を増やす』と答えることができる人が増えること、それが、特集のタイトル『いまあるフクシを超えていく』ためには必要なこととなります」と書いています。
そして、「社会保障を中心とした再分配国家を五公五民の政府に例えるおかしさに気づく人がどれほど多くなるのかどうか。そうしたことに、いまあるフクシを超えて、新しい世界を切り拓くことができるかがかかっている」とも書いています。
昨年の統一地方選挙の時に、ある政党は、日本の今の政府を、江戸時代の五公五民に例えて批判していて、そうだそうだという人がメディアやネット界隈には大勢いて、その政党は勢いを強めていました。これは、そうした空気を意識しての文章です。
次の文章もあります。
池上彰氏と佐藤優氏の対談『日本左翼史』という3冊からなる本があります。社会党、共産党などと関係のある左翼の人たちについて論じられた対談です。そのなかで興味深いのは、この国では、左翼の人たちが、歴史上、一度も再分配(社会保障)のための財源調達の話をしてこなかったことです。
国際的な常識の世界では、「社会民主党」に代表される左翼政党は、市場による所得分配の有様を否定的に見て、税や社会保険料の引き上げと、それを財源とした給付によって分配のゆがみを正そうとします。ところが、この国の左翼は、税や社会保険料の引き下げを繰り返し言ってきただけでした。
日本の福祉は、一体誰が整備してきたのだろうかというのは、答えるになかなか難しい問いです。2009年5月、麻生内閣時の与謝野馨財務大臣は、国会での民主党峰崎直樹参議院議員の質問に、「(自民党は)北欧型の社会民主主義に近い政党であったというのが私の認識でございます」と答えています。
そして与謝野さんは、後に菅直人内閣で内閣府特命担当大臣として呼ばれ、社会保障・税一体改革、すなわち市場による所得分配のゆがみを正していく政策を牽引していきました。時代が変わっても、適正な分配政策を行うためには財源が必要なことに変わりはありません。
この文章の最後は、次で終えています。
(第7回こども未来戦略会議(2023年10月2日)での発言)
現代の福祉国家、再分配国家がやっていることは、みんなの所得をプライベートに使ってよいお金と、連帯してみんなの助け合いのために使うお金に分けて、後者をいま必要な人に分配し直しているだけなのです。だから、私は負担と呼ぶのにもどうも抵抗があるわけです。
再分配というのは戦争で負けたときに賠償金を求められる負担をみんなでどうするかというような話ではなく、給付があるわけです。給付を行うためにお金を先ほどの金庫、貯金というか貯金箱みたいなところにお金を預けて必要な時に利用していくわけですけれども、その制度を作ったほうが確実にみんな生活が楽になります。
政府は、その年に生産された付加価値(所得)を、いますぐに必要でない人からいますぐに必要な人に分配し直している(所得を再分配している)だけであり、そうした連帯、助け合いの仕組みが社会保障であるという理解が広まるかどうか。
社会保障を中心とした再分配国家を五公五民の政府に例えるおかしさに気づく人がどれほど多くなるのかどうか。そうしたことに、いまあるフクシを超えて、新しい世界を切り拓くことができるかがかかっている――そのようにも思えます。
この図をご覧ください。
横軸は家計所得、縦軸は医療サービス支出です。左は日本、右はアメリカです。国民皆保険の日本は、所得とは関係なく医療サービスが支出されています。アメリカは、所得が高いほど医療支出が大きくなる。どちらの国がよいですか?ということですね。
八代尚宏さんたちのグループがこの本を書いています、彼らは、右側がよいという。そのためにこの図を作っている。しかし、みなさんはどうでしょうか?
もし、左のように、せめて医療くらいは必要に応じて利用できる社会、みんなが平等に利用できる社会が望ましいと考えるのであれば、それを実現できる方法は、医療サービスの支払いを市場から外して、支払いは税・社会保険料で賄うしか方法がありません。
介護も、支払い能力ではなく必要に応じて利用できる社会が望ましいと考えるのならば、税・社会保険料で賄うしかありません。
公的介護サービスが劣化している、介護マンパワーの賃金が低すぎる、介護マンパワーが不足しているというのであれば、この問題を克服するために税・社会保険料を上げるという政治家を応援するしかない。ただ、現実には、逆のことを言ったほうが支持者が増えるという傾向は強まっています。
所得の再分配とは・・・いま一度
次のスライドには、社会保障が果たしている所得の再分配のイメージを描いています。
家計は、右側の市場で働いて得た所得を、いったんは政府に、税・社会保険料として預けて、今度は、必要になったときに給付を受ける。市場が家計に分配した所得を「一次分配」、政府が家計に分配する所得を「再分配」と呼びます。この再分配を充実させるためには、この図の中で、家計から政府に向けた矢印、税・社会保険料を増やすしかない。
今の時代は、この再分配としての社会保障が政府活動のメインです。GDP(国内総生産)の2割を占めています。そうであるのに、多くの面で、政府の歳入と歳出を分けて議論している。それはおかしいだろう。そのような問題意識から、第2回政府税制調査会(2024年5月13日)で、私は次のように話しています。
今のような再分配国家、福祉国家全盛の時代に、絶対君主制の時代に生まれたカメラリズム(官房学)的な国家の収入と支出を分離した形で議論すれば、支出側面で社会保障の悪口を言って、その悪い制度の負担を国民に強いるというストーリーにどうしてもなっていくのではないのかなと思っています。だから、五公五民キャンペーンに簡単にやられてしまうのだというのが私の去年の様子を見ていた感想であります。
消費税にしても、みんなに平等に給付を行う社会保障のために消費税を使うとすると、負担マイナス給付のネットで見れば低所得者はマイナスの負担、高所得者はプラスの負担になる。そうしたネットの負担額を一人一人の所得で割った平均税率というのは、所得が増えるにつれてマイナスからプラスへと徐々に高くなっていく累進的になっていきます。したがって、逆進的と批判されている消費税を用いた社会保障目的税を充実すればするほど、(不平等を表す)ジニ係数は小さくなっていきます。
ピケティも言うように「万人にかなりの拠出を求めなければ国民所得の半分を税金として集めるのは不可能」ですので、財源調達側面だけを見ればピケティの国、フランスが付加価値税に頼ったように、万人が関わっていく社会保険も含めて逆進的とも言われる方法で福祉国家は運営していかざるを得なくなるのは当たり前のことです。
人々の生活水準に関係するのは(市場が家計に分配した)当初所得から税と社会保険料を控除して、医療、介護、保育サービスなどの現物給付を含めた社会保障給付というものを加算した再分配所得ではないかと日頃から思っている。だから、当初所得から税・社会保険料を引いた可処分所得、手取りというものを基準にして政策を論じるには違和感がある。
所得再分配がメインである今の政府活動を考えれば、本当は、老健局、保険局、年金局、それにこども家庭庁のように、給付と財源をセットに議論しなければならない。そういう話を、歳入にのみ焦点を当てた税制調査会で話しています。
社会保障が行う時間的、保険的再分配
特に社会保障の財源調達のあり方を考えるうえでは、「消費の平準化」という考え方を理解してもらいたい。
この図の青い折れ線グラフは、年齢の高い人たち(左側)から人口を累積していったグラフ、グレーの折れ線グラフは、年齢の高い人たちから医療給付費を累積、オレンジ色のグラフは、介護保険給付費の累積グラフです。
この図では、65歳以上の人は29%です。そしてその29%の人が医療給付費の61%、介護給付費の95%を使っている。加えて、年金給付の83%ほどが老齢給付です。
要は、高齢期にどうしても必要となる消費に若いときから長く関わって、毎年の負担を低く抑えているわけです。これをわれわれの世界では消費の平準化、Consumption Smoothingといいます。
社会保障給付費の9割ほどが社会保険で、社会保険のほとんどは消費の平準化を果たしています。多くの人が勘違いしているのですが、社会保障、特に社会保険は、高所得者から低所得者に所得を垂直的に再分配するのがメインの仕事ではありません。
メインは、1人の人間の時間的、保険的再分配です。
ちなみに垂直的再分配がメインの生活保護は社会保障給付費の3%程度です(「社会保障は金持ちから貧困層への再分配にあらず」)。
次のスライドでは、家計における収入と支出のギャップを生む原因となる「支出の膨張」と「収入の途絶」の話を書いています。
この図は、20世紀初頭にイギリスで行われた貧困調査の結果ですが、貧困に陥るのはライフサイクルがあり、それは子どものとき、子育て期、そして老齢期などが、この図のように可視化されることになります。
こうした生活リスクに対して賃金という市場が家計に所得を分配するシステムはなかなか対応できず、こうしたリスクをきっかけに人は生活が苦しくなり、貧困に陥っているという、「賃金システムの欠陥」が、広く認識されることになります。
この賃金システムの欠陥を補う制度として、消費の平準化を果たす労使折半の社会保険制度が普及してきたわけですが、この国では、長く、子ども子育て期の「支出の膨張」と「収入の途絶」に対応する再分配制度が待望されていました。
子ども・子育て支援金制度の位置づけ
そうした中で今年、子ども・子育て支援金制度として、賃金システムの欠陥を補う他の社会保険制度と同じ方式で、新たな再分配制度が誕生したわけですね。
1つコメントしておきたいのは、次のスライドにあるように、今回の子ども・子育て支援金の法的性格は介護保険料と同じで、医療保険料とは独立して徴収されます。
介護保険料を医療保険料の流用という人はいないと思いますが、昔から年金をはじめ制度の理解が苦手な人たちが揃って、今回も医療保険料の流用といって騒いでいましたし、メディアはファクトチェックをすることもなく、彼らの論を報道していました(「子ども・子育て支援金と風評被害」)
社会保険は、賃金システムの欠陥を補う賃金のサブシステムで、保険料の賦課ベースは、医療保険が最も広範囲です。全世代型社会保障という「給付も支えるのも全世代で」という理念に基づいて、今回の子ども・子育て支援金の賦課ベースとして医療保険料の賦課ベースが選ばれたわけです。
この観点からみれば、高齢期における支出の膨張が必然である介護保険だけが、40歳以上ということの方がおかしい。
年金も医療も介護も、そして子育ても、賃金システムの欠陥を補う賃金のサブシステムとして制度ができているわけですから、普通に考えれば、介護保険もドイツや他の国のように医療保険と同じ賦課ベース、あるいは年金のように20歳から被保険者となる制度にする方が自然です。
次のスライドには、賃金システムの欠陥を補う再分配制度、サブシステムの全体像を描いていますが、介護保険のところに20歳から39歳でブランクになっているほうが不自然です。
だから、私は、昔から、このブランクを埋めようと言っている。
ところが、世の中の人たちは、年金は長期保険、医療や介護は短期保険と信じ込んで、介護には若い人たちの給付がないからといって、40歳以上のところに加齢を原因とする特定疾病という実に不自然な仕組みをもってきて、介護保険の被保険者を40歳以上からとしている。
最後に、介護保険に新たな財源を得る方法として、被保険者の拡張以外に、介護関係者がよく言われる公費負担割合を増やすという話があります。この案に、私は反対はしませんし、陰ながら応援もします。
給付削減・抑制の圧力とどう戦うか
今の世論の有り様、そしてこれまで長く給付を先行して作り上げてきた給付先行型福祉国家日本の財政状況を考えると、今後は高齢化で増えゆく公費の削減圧力が一層高まると思います。そのために、給付の削減と介護報酬の伸びの抑制圧力が、今よりも高まると思います。
財源調達に関する判断というのは一種の総合格闘技のようなもの。四半世紀も前に書いていたように「目標と現実と実行可能性とに制約された術(アート)」のようなもので、さまざまな知識と経験の総合的な判断に基づくものになります。
私の読みでは、介護保険の財源を確保していく戦線は、公費負担割合の引り上げ辺りではない。読みは外れるかもしれないが、私は、介護保険の被保険者の拡張の戦線に、ひとりでもいいので居続けようかと思っています。他はご自由に。
昨年5月に、子ども未来戦略会議の第4回会議に意見書を提出していまして、その中に、公的な医療、介護、そして年金があるために使われないままに家計に残った資産が、相続人にわたる前に、その幾分かを社会保障目的税としていただけないだろうかという話を書いています。これは何十年も言い続けてきました。
介護保険や高齢者医療で高齢化を原因として今後増えていく国庫の部分は、そうした形で賄っていくから、あんまり査定を厳しくしないでくださいねという感じでしょうか。
その一方で、介護保険は賃金の欠陥を補うサブシステムなのだから、今回の支援金と同じように、医療保険賦課ベース全体を活用するようにしようとも言い続けていきたいと思っています。
もし実現できれば、介護保険における協会けんぽの第2号保険料率、65歳以上の第1号保険料はともに2割強下げることができるし、新たな財源を給付に回すのであれば、その分、介護保険を撤退戦から守ることができます。
時間になりましたので最後に--。財源さえあれば、介護保険をこんなはずじゃなくしている厚生労働省老健局も財務省も、いい人になると思いますよ。
(権丈 善一 : 慶應義塾大学商学部教授)