親が子どもにつきそって参加する「副籍制度」の交流(べっこうあめアマミさん作)

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 ライター、イラストレーターとして活動するべっこうあめアマミさんは、知的障害を伴う自閉症がある9歳の息子と、きょうだい児(障害や病気を持つ兄弟姉妹がいる子ども)の6歳の娘を育てながら、発達障害や障害児育児に関する記事を執筆しています。

 特別支援学校に通う子どもが地域の学校に交流に行く、「副籍制度」という制度があります。学生時代に、この制度と似たような形で交流に来た子どもを見掛けたことがある人もいると思います。なかなか知られていないこの制度が、具体的にどのようなものなのか、アマミさんが自身の息子の経験を基に解説します。

交流級とは違う「副籍制度」

 東京都には、特別支援学校に通う子どもが地域の小学校の普通級にも籍を持ち、場合によっては時々交流に行く、「副籍制度」があります。

 似たようなもので、特別支援学級に通う子どもが、いくつかの教科だけ普通級のクラスで授業を受ける、いわゆる「交流級」というものがありますが、副籍制度はこれとは似て非なるものです。

 交流級は、国語や算数など、その子が普通級で受けると決めた授業があるたびに、1人で普通級のクラスに授業を受けに行くことが多いとは思いますが、副籍制度はそれほど頻度が高いものではありません。

 子どもによって異なりますが、頻度は多くてもせいぜい1年で4、5回ほど。しかも、必ず親が一緒に参加します。形式上、「副次的なもう一つの籍を持っている」として行きますし、ちゃんと教室に席も用意してくれます。

 しかし、特別支援学校に通う子が、普通級で同じレベルの授業を理解できるわけではないため、あくまで「交流」が目的です。

 そして、同じ学校の違う教室に行くわけではなく、違う学校にわざわざ出向く形になるので、親子にとってはそれなりの一大イベントになります。

 では、副籍制度での交流では、具体的にどのようなことをするのでしょうか。

事前の話し合いで授業を見学することに

 息子の場合ですと、副籍制度の交流において、年度の最初の1回は「打ち合わせ」を行いました。

 子どもたちとの交流ではなく、まずは受け入れ先の小学校の関係者と息子が通う特別支援学校の関係者がどのような活動をするかを話し合うのです。メンバーは、小学校のクラスの担任の先生、副籍の担当の先生、特別支援学校の息子のクラスの担任の先生、副籍の担当の先生のほか、息子、私の計6人です。

 そこで、息子の特性やできそうなことを議論し、小学校側の行事や子どもたちの状況などとすり合わせながら、どういう内容の交流をするかを話し合っていきます。

 息子の場合は、「一緒に何かをする」というよりは、「何かをしているのを見る」スタイルの方が好きな印象があることから、音楽発表会の見学、音楽の授業の見学などをすることになりました。

 さらに、見学だけではなく簡単な交流もできたらいいということ、短時間の方が息子の集中力が切れないことから、帰りの会に何度か参加することにもなりました。ただ、これはあくまで息子の場合であって、子どもによって全然違います。

 体育の時間に一緒に何か運動をする子もいますし、図工で一緒に制作活動をするなど、その子の好きなことや特性によって、柔軟に内容が組まれていくのです。

 息子は、音楽発表会や音楽の授業の見学では、特に本人が何かをすることはありませんでした。

 しかし、クラスの子どもたちと一緒に教室に移動した際に、その道中で子どもたちが息子にいろいろと話し掛けてくれました。授業では「なべなべそこぬけ」のような簡単な遊びを取り入れて一緒に行うなど、息子なりに交流ができたのではないかと思います。

 帰りの会では、用意された自分の席に座り、みんなと一緒に話を聞いて、最後のじゃんけんを一緒にやりました。

 息子はじゃんけんができないので、棒付きのカードでグー、チョキ、パーを出す形でしたが、それを見て子どもたちが、「勝ったね!」などと声を掛けてくれて、楽しい時間を過ごすことができました。

クラスの女子が息子に手渡した1枚のメモ

 副籍制度の交流で、私が印象的だった出来事があります。帰りの会の後、1人の女の子が息子に、掛け算の数式をいくつか書いた小さな紙切れをくれたのです。彼女曰く、それは「カンペ」とのことでした。

「これを持っていたら、きっと頭が良くなるよ、勉強分かるようになるよ」と言って、息子に渡してくれたのです。

 私は内心、「息子の場合はそういうことではないけれど…」と思いつつも、その気持ちがうれしく、何だかかわいいなと思って受け取りました。

 息子も興味深げにすんなり受け取っていて、かみ合っているような、いないような2人のやりとりが、なんだかほほ笑ましく思えたものです。

 ただ、この女の子もそうですが、他の子どもたちが話している内容を聞いても、息子の障害がどういうものかについては、子どもたちはいまいちよく分かっていないようにも思いました。

 やはり小学校低学年ですし、耳が聞こえていないと思っていたり、話せないけど字は読めると思っていたり、なかなか理解が難しいのかもしれません。

 私は、息子の障害について聞いてきてくれた子には、「脳の障害があって、言葉がしゃべれないんだ」と伝えるなどしていましたが、どこまで説明したらいいのかを判断するのが難しかったです。

 そのため、学校の先生に相談して、後日、特別支援学校の先生に「特別支援学校」「自閉症」「知的障害」について、小学校で出前授業を行ってもらうことになりました。

 子どもたちがどの程度、息子の障害について分かってくれたのかは分かりませんが、「こういう人もいるんだ」と少しでも知ってもらえたら、副籍制度を利用したかいがあるなと思いました。

教育現場には「きれいごと」があってもいいのでは?

 副籍制度を利用して、私は障害児と健常児の関わり方について、いろいろと考えました。

 障害児者を取り巻く環境は、リアルな話でもネット上の話でも、偏見や差別や誹謗(ひぼう)中傷が渦巻き、優しくない状況も多いです。

 しかし、そういう陰の部分だけを見つめていては、ネガティブで後ろ向きな気持ちしか生まれません。ですから、それだけでは、どうしても非生産的な気がしていたのです。

 そんな中、息子と利用した副籍制度では、きれいごとかもしれないけれど、障害児である息子を温かく迎えてくれる、健常児の子どもたちの姿がありました。

 限られた場ではありますが、こういう場を体験すると、私はせめて教育の場くらいは、ある程度「きれいごと」があってもいいのではないかと思ったのです。

 確かに世の中には、きれいごとでは回らないことが多いです。それでもせめて、まだ何も世の中を知らない幼い子どもたちが育つ場は、きれいごとであふれていてもいいのではないかと思ったのです。

 この先、子どもたちがどんな風に考え方を変化させていくのか分からないけれど、息子と接したこの幼い日の経験を、きれいな思い出として残してもらえたらいいなと、副籍制度を通じて私は思いました。

 副籍制度の交流は、親としては精神的に疲れることも多いけれど、私の心も、無邪気に息子をかわいがってくれる子どもたちに浄化されて、その一時は、純粋に息子をかわいいと思う、優しい母親になれた気がします。

 そして、障害児をこんなにも優しく受け入れてくれる同年齢の子どもたちがいるという、ほっこりした気持ちも残り、よい経験となりました。何より、息子がうれしそうなのがよかったと思っています。

 ただ、これはあくまで息子が、「お客さま」のような立場でいたからこそうまく成り立ったのかもしれません。

 息子のように重度の障害がある人に対して、明らかに冷たい態度で接したら、いかにも「差別」というような構図になってしまいます。そのため、暗黙のうちに立場を分けて、お客さまのような感じで優しくしてもらえるところはあるのだろうと思います。

 そういう意味では、普通級に混じることができるくらいの障害が軽い子の方が、対等な立場を求められる分、関係の構築はシビアなのかもしれません。

 そのような現実も考えると、障害や病気などの有無にかかわらず、さまざまな生徒が同じ環境で学ぶ、いわゆる「インクルーシブ教育」に向けた課題は山積みなのだと思います。

 しかし、息子くらいの障害の子どもにとっては、「副籍制度」は健常の子どもたちとほどよく関係を持てる、良い制度だったと感じています。

 子どもの状況や障害の程度、受け入れ先の学校の事情、さまざまなことに考慮し、さまざまな交流の選択肢が持てるように、今後もいろいろな取り組みができていくといいなと思っています。