『虎に翼』写真提供=NHK

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 時代は1970年代、NHK連続テレビ小説『虎に翼』第25週「女の知恵は後へまわる?」では、還暦間近の寅子(伊藤沙莉)が「一周回って、心が折れる前の、いえ、法律を知った若い頃の本当の自分に戻ったようなんです」と桂場(松山ケンイチ)に語る。

参考:『虎に翼』片岡凜の美佐江&美雪の演じ分けが恐ろしい 最終週予告では寅子と涙の対峙も

 「どの私も私」であり、心が折れる前も後も自分であるという認識を得たという寅子の発言に、寅子は心が折れたあと、その前の彼女とは変わってしまったと思っていたということだろうか。確かにキラキラと法律が大好きだった寅子はもうずっといなかった。戦後、憲法が改正されて涙したあとは眉間にシワを寄せた顔のほうが多かった気がする。航一(岡田将生)との恋とかもあったとはいえ。

 心が折れた出来事とは、穂高(小林薫)に、妊娠したからには仕事を一旦休むように助言されたことである。やる気のある若者の芽を摘んだ穂高を、寅子は最後までゆるさなかった。だからなのか、今回、朋一(井上祐貴)がやる気で勉強会を開いていたら、最高裁から家裁へ左遷されたことを「ゆるさず恨む権利がある」と言うのは、自分の体験に基づいているのだろう。

 作劇の巧妙さは、寅子の心を折った人物・穂高が生前、取り組んだ尊属殺が違憲であるという課題にここへきて再び光が当たる展開である。よね(土居志央梨)と轟(戸塚純貴)が担当する尊属殺人事件の動機は、被告・美位子(石橋菜津美)が父から受けた酷い仕打ちに耐えられなかったからだった。自分を守るためにやったことが尊属であるがために重罪に問われる。だが、穂高派だったはずの桂場はこの件を時期尚早と切り捨てようとする。最高裁長官になった彼は、司法の独立のために容赦がなくなっていた。そこに対抗したのが、航一だった。

 これまでにない激しい口調で桂場に意見した航一は、ようやく戦後が終わった気がすると寅子に語る。総力戦研究所にいたとき、戦争に反対できなかったことに罪悪感を覚え続けていた航一がはじめて自分の意見をはっきり述べたのである。

 戦後が終わった発言は、直明(三山凌輝)もしている。子どもも大きくなり、猪爪家からようやく独立することを決めたのだ。あれほど戦争時に家族と離れ離れになっていたことがトラウマになり、家族と離れることをおそれ続けた直明が晴れ晴れした顔で不安がなくなったと寅子に語る。時代は70年代、「もはや戦後ではない」と言われた1956年からずいぶんと年月が経ったが、戦後が終わるのは人それぞれ、個人の問題なのである。心が折れる前に戻ったという寅子の戦後も終わったのではないだろうか。

 作劇の巧妙さはまだある。殺人にも理由があることを考える尊属殺事件と平行して、20年前、新潟で「なぜ人を殺してはいけないのか」と寅子に問いかけた少女・美佐江(片岡凜)の亡霊のような、娘・美雪(片岡凜・二役)が登場することである。美雪は外観も母に似ているうえ、同級生を駅の階段から突き落として家裁が審判を行うことになった。が、美雪は大事な手帳を意地悪してとられたため突き落としたと証言し、同級生もそれを認めたため寅子は美雪を不問に処す。ことの大小はあれど、理由があれば相手を傷つけることは罪に問われないのか否か。尊属殺は親子の問題ではあるが、いくらか通じるところもあるのではないだろうか。

 寅子自身、かつて、花岡(岩田剛典)を崖すれすれまで小突いた結果、彼は崖から落下し大怪我を負った。よねはかつて、小橋(名村辰)の無礼な態度に怒って股間を蹴り上げた。

 涼子(桜井ユキ)はそのときのことを覚えていて、自分なりの股間の蹴り上げ方(要するに生き方)を模索したすえ、司法試験を受けて合格したうえで弁護士にはならず、カフェを営業する生き方を選択する。他者から勝手に落ちぶれて可哀想と思われたくない。どんなことでもすべて自分が選択したのだと前を向いて堂々と生きていきたいという切実な思い。

 法律を学んできた涼子が法律の変化によって貴族としての地位も財産も奪われたのだから、試験に受かる実力は示しながらもその世界では生きない(でも教える仕事はするらしい)ことを選ぶ涼子独自のプライドのありかたを感じるエピソードである。

 よねは、男装とぶっきらぼうな口調と無愛想なふるまいのまま50代を迎えたが、人知れず、そのきっかけとなった弁護士に身を任せた忌まわしい記憶をずっと抱えこんでいた。だからこそ、美位子の気持ちが誰よりもわかる。

 仕事も育児も両立させたかった寅子はそれを他者に阻まれた。個人の自由を、たとえ小さくとも可能性の芽を、他者から口出しや手出しされる口惜しさ。桂場が、司法の独立を守るため、政治に物申す若い判事たちを左遷させるなど、あってはならないし、少年法の改正や尊属殺を合憲とすることは、少年や親を殺さざるを得なかった子どもの気持ちを理解していないことになる。

 心が折れてからの寅子が眉間にシワを寄せ、キラキラして見えなかったのは(優未は仕事をしているときはキラキラしていると言っていたが)、憲法が変わったとはいえ、彼女を、女性を、いや人間を、抑圧する重たい天井や壁がでんと微動だにせず存在し続けていたからではないだろうか。だから寅子は声を挙げ続けたし、子どもや部下、若者たちが声をあげることを勧める。

 ところが、寅子はかつて、独自の個性や考え方を持っていた美佐江を、犯罪者=悪=こわい=子どもに危害を与えそうというような、寅子視点によってカテゴライズしていた。そのため、美佐江の可能性の芽を摘んでいたことが20年経ってわかる。寅子もまた穂高と同じことを下の世代に行っていたのである。この最凶なブーメランに寅子はどう対峙するだろうか。

(文=木俣冬)