天皇陛下と雅子さま、新幹線のお召列車をなぜ利用されなかったのか その内情に迫る
天皇陛下、皇后雅子さまは、2024(令和6)年夏、栃木県那須町にある那須御用邸附属邸でご静養された。愛子さまは、日本赤十字社でのお勤めがあり、同行されていない。即位後となる2019(令和元)年以降、3回目となった那須でのご静養には、東北新幹線のお召列車を利用されなかった。その理由とはなんだったのか、内情に迫ってみたい。
※トップ画像は、E7系を使用した上越新幹線お召列車に乗車される天皇陛下と皇后雅子さま=2019(令和元)年9月17日、新潟駅(新潟市中央区)
なぜクルマで那須へ向かわれたのか
皇居から那須御用邸までは、クルマだと2時間半ほどかかり、東北新幹線を利用しても2時間はかかる。この時間を見る限りでは、大きな差があるようには思えない。東北新幹線で行くメリットといえば、警備を行う警察関係者の負担が少ないことくらいだろうか。クルマもワンボックスタイプであれば、ゆったりとしたシートだから、窮屈さといったご負担も少ないだろう。
東北新幹線を利用しなかった理由の一つには、“ご日程”がなかなか決まらなかったことにあるようだ。お召列車の申込み(運転依頼)は、おおむねご利用の6か月前までに宮内庁から鉄道事業者へ伝えられるのが慣例といわれる。その後、乗車日の10日前までに宮内庁から「お召列車の運転方について」という“依頼文書”が鉄道事業者に渡され、これをもって正式に運行日が確定する仕組みだ。過去にも、ご日程の決定が遅くなり、10日前までに文書の受け渡しがなく、鉄道事業者は運行に向けた準備を進めてよいものか、その判断に困ったことがあったという。今回の那須行きの際も、こうした事情が介在したのではないだろうか。
複雑なお召列車の準備
新幹線のお召列車には、防弾仕様の車両が用意されるという。この車両は、日常では通常の営業列車として運行するため、事前に“ご日程”を把握し、お召列車として使用できるように車両運用を調整し、整備、点検を行い、お召列車の運行に備える。運転士や車掌も事前に宮内庁へ届出が行われるなど、急にお召列車を走らせることは無理なのである。
防弾仕様の編成が、どの車両なのかはトップシークレットだ。ご乗車になるグリーン車は、見た目や内装などは通常の車両と同じだ。唯一、異なる部分といえば、“窓ガラス”にある。通常の窓ガラスには、ガラスメーカーのマークが小さく隅にスタンプされているが、防弾ガラスにはこのスタンプがないらしい。
そして、お召列車が万が一にも故障した場合を想定して、“予備”の列車も用意される。この編成も“防弾仕様”であるといわれ、お召列車の数分後を“影武者”のように走らせているそうだ。ピカピカに磨かれたお召編成と予備編成は、ひときわ目立つ存在だ。
那須への東北新幹線利用はいつから
東北新幹線が開業した1982(昭和57)年のこと、那須御用邸へ向かう昭和天皇と香淳皇后は、それまでの在来線ではなく、大宮駅から那須塩原駅まで東北新幹線に乗車された。いわば“お試し”で乗車されたわけだが、東北新幹線で那須へ向かわれたのはこの一度だけであった。
平成の時代になると、那須御用邸へは東北新幹線の利用が定着するが、香淳皇后(当時は皇太后陛下)だけは、在来線のお召列車を引き続き利用された。
平成年間で那須への東北新幹線利用は、上皇ご夫妻(当時の天皇、皇后両陛下)だけでも49回を数えた。2000(平成12)年までは、一般客も利用する新幹線のグリーン車を貸し切りにして利用していたが、それ以降は専用の臨時列車を仕立てるようになった。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。