ケンドーコバヤシ

令和に語り継ぎたいプロレス名勝負(13)

越中詩郎デビュー45周年記念大会 後編

(前編:45周年記念大会での場外乱闘の真相 直前に全日本の社長からの謎のひと言>>)

 ケンドーコバヤシさんが語る、デビュー45周年を迎えた越中詩郎。今回は、8月24日に後楽園ホールで行なわれた全日本プロレスの「越中詩郎45周年記念大会」での、セレモニー前に起きた事件について語ってもらった。


(後列左から)小橋建太、藤波辰爾、ケンドーコバヤシ、ザ・グレート・カブキ、(前列左から)天龍源一郎、越中詩郎 photo by 東京スポーツ新聞社

【セレモニー前にレジェンドたちから声をかけられるも......】

――前回は、デビュー45周年記念大会のメインイベントで、自らが巻き込まれた場外乱闘の真相を明かしていただきました。ただ、その試合ではもうひとつ"事件"が起きたそうですね?

「そうです。越中さんの45周年記念セレモニーの直前に起こったんです」

――メインイベント終了後にリング上で行なわれたセレモニーですね。ケンコバさんをはじめ、天龍源一郎さん、ザ・グレート・カブキさん、小橋建太さんが登場することが事前に発表されていました。

「前回お話した、メインベント序盤の場外乱闘が終わると、俺を引きとめていた全日本の社長さんから『(セレモニーの)スタンバイをしてください』と言われて。それで指定された場所に行ったら、カブキさんと小橋さんがおられて、すぐに天龍さんがいらっしゃいました。

 みなさんと面識あったので挨拶をしたあと、俺は試合を見ようとカーテンの隙間からリングを見ていたんです。そうしたら、それぞれの方から声をかけていただいたんですよ」

――豪華メンバーなだけに、うれしいですね。

「そうなんですが......天龍さんには『コバちゃん』と呼んでいただいたんですけど、頭をフル回転させないと、おっしゃっていることがわからなくて(笑)。名前を呼ばれたあとが、まったくわからず......。ずっと話をしていただいているのに、耳を澄ませてもどうしてもわからないんです。

 そこで俺が、おそらく『何を言っているのかわからない』という表情をしたんでしょう。隣にいた、天龍さんの娘さんで『天龍プロジェクト』代表の嶋田紋奈さんが、『聞こえないとは言わせないよ』という顔で視線を送ってくるんです。天龍さんが『ウチのボスは娘だ』っておっしゃっているほどの方で、"天龍一家"の無言の圧に、俺はスーパーコンピューター並に計算して、先回りをして会話しました。

 ただ、たくさん質問をしていただいたのに、天龍さんは俺の答えに対してノーリアクション。だから、俺のスーパーコンピューターは機能しておらず、間違えていた可能性がありますね(笑)」

――試合が行なわれている会場のバックステージですし、より難しそうですね。

「そうかもしれません。小橋さんは、言葉はハキハキしているんです。俺なんかに話しかけていただいて恐縮ですし、失礼を承知で言わせていただければ、『それ、何回聞くねん⁉』ということばかりでした(笑)。

 そしてカブキさんは、ぼそぼそ声で話をされていて、隣にいらっしゃった奥さんの質問などに答えていましたけど、カブキさんは困ったように斜め下を見ていて(笑)。実はそういったことも見越して、カーテンの隙間から試合を見ることに"逃げて"いたところもあったんです(笑)」

【藤波辰爾のひと言で急な予定変更】

――レジェンドのみなさんの個性が存分に発揮された、貴重なお話ですね。その後のセレモニーでは、中学時代の同窓生の方々、セミファイナルに特別参戦した藤波辰爾さんも登場して花束を贈呈され、それぞれの方が思いを込めたメッセージを送りました。

「実はですね......あのセレモニー、最初は『マイクなしで』っていう話だったんですよ」

――ゲストからのメッセージは予定されていなかったんですか!

「その経緯は把握していないんですけど、もしかしたら、天龍さんが照れ屋さんなので『話さなくても越中に思いは伝わる。プロレスラーには言葉よりも大切なものがあるし、マイクはなしでいきましょう』と言ったのかもしれません。ところが、藤波さんの登場ですべてが変わります」

――何が起きたんですか?

「天龍さん、カブキさん、小橋さんと俺がスタンバイしていたところに、セミファイナルを終えた藤波さんがシャワーを浴びて駆けつけてきました。それで、『セレモニーではみんな、ひと言あるんでしょ? そういうの、いいよね』と元気ハツラツに言うんですよ。

 俺を含めて、みなさんマイクはないものだと思っていましたから、一瞬ポカ〜ンとなって。それでも藤波さんは、お構いなしに『小橋くんは、何を言うの?』と声をかけた。"ドラゴン"の勢いに押されたのか、小橋さんは、『は、はい』としどろもどろになっていましたね」

――予想外のハプニングですね。

「本当にそうですね。ただ、集ったレジェンドのなかで、藤波さんだけが新日本プロレス出身で、ほかの3人は全日本プロレス出身じゃないですか。そういう違いからか、藤波さんが突然マイクの話をした時に、その場に微妙な空気が流れたんです。

 その時、『さすがだな』と思ったのは、天龍さんの娘・紋奈さん。苦笑いする天龍さんに対して『大将、やるしかありませんよ!』と声をかけて、雰囲気を変えてくれたんです。それで急転直下、『みんなでマイクをやろう』と一致団結しました。俺の立場からしたら、みなさんの意向を受け入れるのは当然のこと。急遽、メッセージを送ることになったんですよ」

【越中が見せた珍しい表情】

――裏でそんなやりとりがあったとは......。

「予定していなかったことが、簡単にひっくり返される現場を目の当たりにして、『これがプロレス界に言い伝えられてきた、"ボタンの掛け違い"から歴史が動いていく、ということなんやな』と感動しましたよ。

 でも、これも失礼を承知で言わせていただきますが......大変ありがたいことに、藤波さんとも話をさせていただいたんですけど、まったく何を言っているのかわからなくて(笑)。俺の脳内コンピューターは、完全に制御不能に陥りました。しかも、こういったやりとりがあったので、肝心の越中さんの記念試合は序盤とフィニッシュシーンくらいしか見られませんでした(笑)」

――経緯は知りませんでしたが、セレモニーはとても感動的でした。ケンコバさんの『プロレスが大好きで、プロレスラーが大好きで、プロレスラーが苦しいなか立ち上がっていく姿が大好きで、その姿を一番見せてくれた越中選手が大好き。本当に今日、うれしいです』というメッセージも感動しました。最後に『越中さん、おめでとうございますだって!』と、体を震わせるモノマネつきで会場を沸かせたのも最高でした。

「そう言っていただけて恐縮です。ありがとうございます。ただ、メッセージは咄嗟に考えたものでしたけどね(笑)。俺なんかが、大好きな越中さんの晴れの舞台に呼んでいただけるだけでも光栄なんですが、お客さん、何より越中さんに喜んでいただけて本当によかったです。

 俺が見れたのは一部ですけど、試合中も越中さんはうれしそうな顔をしていました。試合であんな表情をする越中さんって、珍しいですよね」

――確かにそうですね。

「では、45周年大会の話はここまでにしましょうか。次回は、俺が考える越中さんの"禁断の試合"についてお話ししましょう」

――ぜひ、よろしくお願いいたします!

(つづく)

【プロフィール】
ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメト――ク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。