部屋の中のお気に入りスペースで一人、読書を楽しむ多良美智子さん(画像:書籍『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』〈撮影:林ひろし〉より)

これから人は100年生きるという。しかし、お金や孤独、健康不安がなく老後を迎えられる人はどれくらいいるだろう。年を取ることが怖いーー。

多くの人が漠然とした不安を抱く中、老後の人生こそ謳歌している人もいる。その元気は、気力は、生きがいは、いったいどのようにして手に入れたのか。本連載では、“後期高齢者”になってなお輝いている先達に、老後をサバイブするヒントを聞く。

今回は、前回に続き、登録者数16.8万人の『Earthおばあちゃんねる』を配信し、エッセイ本『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』も出版している多良美智子さん(89歳)にお話を伺った。

前回記事:【89歳人気YouTuber「夫の遺品すべて処分」した意味】

多良美智子さんは1934年(昭和9年)、8人きょうだいの7番目として長崎市に生まれた。生家は両親、祖母に子どもたちの11人の大家族だった。高校を卒業した18歳のとき、父に家を出て自活したいと直談判し、大阪で就職し、念願の一人暮らしを手に入れる。

夫との出会いは26歳のとき。9歳年上で亡くなった先妻との間に10歳の娘がいた。家族も親戚も結婚に大反対。

「9つも上の先妻の子どもがいる男なんて苦労するに決まっている! と、すごかったです。私もこんなに反対されるなら、この結婚は諦めよう……と思いました」(多良さん、以下同)


家族写真も断捨離したという多良さんが厳選した大切な家族写真(画像:書籍『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』〈撮影:林ひろし〉より)

子どもたちとも「つかず離れず」

ところが、夫の人柄の良さを感じた三女である姉が結婚を後押しして皆を説得してくれた。27歳で結婚。長男、次男が生まれ、5人家族になった頃、夫の転職で神奈川県に移る。2年後、新築だった今の団地に引っ越して、以来57年、現在も3DKの団地暮らしを続けている。

新婚時代は短い間だったが、姑と同居もした。いわゆる“嫁・姑”の洗礼も受けた。お互いに気を遣い合う関係が、息苦しさからギクシャクとしていき、義理の娘との仲にも影をさしていった。

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長男が生まれると、多良さんはついに姑との重たい空気に疲れ果て、夫に「この家を出たい。家族だけで暮らしたい」と懇願する。最初は困惑した夫も多良さんの意志の強さに折れて、電車で数分のところに家を借りてくれた。

「これが見事に功を奏しました。離れてみるとお互いに相手のいいところが見えるんですね。姑とはすごく仲よくなりました」

同居の失敗から多良さんは教訓を得た。ある一定の距離があると、相手にやさしくなれる。子どもたちはそれぞれのペースで離れて暮らし、つかず離れずが一番居心地がいい。それは人づきあいも同様だ。

「広く浅く、深入りせず。子どもの頃から一人遊びが好きで単独行動は苦ではなかったですから、今は旅行も一人で行きます」

今は、と断りを入れるのは、一緒に旅行した夫が10年前に亡くなったから。夫婦二人の生活になってからは、あちこちに旅行したという。しかし、残念ながら旅先ではけんかも多かった。

「観光したいところが全然違うんですよ。私がゆっくり観たいと思っても、主人はスタスタと先を行くわけです。もうお父さんと一緒に旅行しない! とよくけんかしましたね」と笑う。夫が亡くなってからは、一人でイギリス旅行へ出かけたこともあった。


30年前から続けているひと言日記。ルールは「マイナスなことは書かない」。たまに読み返すと楽しい(画像:書籍『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』〈撮影:林ひろし〉より)

「人生には悪いときも良いときもある」

友人やご近所さん、習い事仲間との交流も「広く浅く、深入りせず」がモットー。1対1よりもグループの輪の中のつきあい。自宅を行き来するような関係も避ける。多良さん自身が踏み込まれたくないから、人にも踏み込まない。

多良さんは現在、絵手紙、写経、麻雀、着物のリフォームの4つの習い事に通っていて、週1回はどれかの教室がある。地元のNPO法人が介護予防活動支援事業の一環で運営しているので、会費も定額で、受講生も同世代で気の合う人たちに恵まれた。


多趣味な多良さん。ミシンは使えないというが、手縫いでコースターから洋服まで作ってしまう(画像:書籍『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』〈撮影:林ひろし〉より)

毎回、いろんなおしゃべりをして盛り上がるという。「理想の死に方」から「おいしい店情報」まで話題はさまざま。小さい頃から人見知りだった多良さんはもっぱら聞き役だが、アンテナに引っかかる話も多く、毎回楽しみにしているという。

とはいえ、教室以外に個人的にお茶をしたり、自宅を行き来したりすることはしない。

「会ったときにその場で楽しい時間を過ごして、時間がくれば解散です。それでじゅうぶん満足しています」と多良さん。

そういうグループが4〜5つほどあるので、毎週新鮮なおしゃべりを楽しめる。習い事はすべて自宅で一人でできることばかり。広く浅く、同好の士と交流し、家では一人の時間をとことん楽しむのだ。

老後の孤独を心配する人は多い。多良さんの人付き合いの仕方は、一般的には珍しいものかもしれない。

「一人暮らしになって、ようやく自分のペースができました。このペースが私にはちょうどいいのです」


骨董品屋で手に入れたランプに、趣味で描いた絵手紙を貼ったお手製照明(画像:書籍『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』〈撮影:林ひろし〉より)

「Earthおばあちゃんみたいに年を取りたい」「自分もこういう老後を迎えたい」。YouTubeのコメント欄には多良さんの生き方に憧れる声が多く寄せられるが、

多良さん自身は「私は水の流れに沿って生きているだけなんです」と謙遜する。

生家は果物の卸と小売り業を営んでいたが、浮き沈みがあり、悪いときは日々の食事にも困るほどだったという。子ども心にも家の経済状況には敏感だった。人生には悪いときも良いときもある。少女時代に身を持って体験したことが、多良さんの生き方の根底にある。


昔からおしゃれすることが大好きで、80歳ではじめてピアスを開けた(画像:書籍『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』〈撮影:林ひろし〉より)

何ごともくよくよ悩まない。物事は良いほうに考える。やりたいことはすぐにやる。ダメなときはすっぱり諦める。

「結局、水の流れに沿って生きるのが一番楽なんです。戦中戦後を経験しましたので、つらかったことも随分とありました。

長く生きていれば、生き別れも死に別れもあります。水の流れを素直に受けとめて抗わず、私は流れに沿って泳いでいるだけなんです」

飄々と生きているように見える多良さんだが、それでも子育ての最中は「母はこうあるべき」ということに縛られていた。いわゆるママ友とのつきあいも濃密にならざるをえない時期もあった。

「だから子どもたちが成人してから、すべての『こうあるべき』を払いのけたんです。そしたら気持ちが軽くなって、生きていくことがすごく楽になりました」

足し算引き算しながら、気分よく暮らす

80歳を過ぎてから、歳を重ねるたびに“できないこと”はどんどん増えていく。掃除機が重くなり、食べることが大好きなのに量が食べられなくなった。


ニットのベッドカバーは手作りで、壁に飾った絵も多良さんが描いたものだ(画像:書籍『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』〈撮影:林ひろし〉より)

「仕方ないです。どんどん死に向かっているんですから。できなくなったことや上手にできたことを足し算引き算しながら、その日一日を気分よく暮らしたいと思っています」。多良さんの眼は一点の曇りもなくどこまでも明るい。

いつ死んでもかまわないという多良さんだが、子どもたちは高齢一人暮らしの母を心配しているのではないだろうか。

「私が病気をすれば心配でしょうが、今、元気で楽しんでいるぶんにはこれでいいと思っているんじゃないでしょうか。子どもたちにも家庭がありますからね。自分たちの家庭を大事にしてくれたら、私はそれが一番です」

最近、多良さんの家計簿に「特別費」と「接待費」が新しく加わった。特別費は遊びにきてくれる孫たちへのお小遣いや息子に渡すガソリン代。接待費はたまに夕食を食べにやってくる次男親子にふるまう料理の食材費だ。

「ちょっといい食材を買うので、1カ月分の食費の予算をオーバーするんです。だから貯金から出す接待費にしました(笑)」

自分のために時間と交通費をかけて訪ねてきてくれる息子や孫たちへの感謝。これはちゃんと形に表さなければいけないと思っている。お金という形にするのは「今はモノがあふれているので、何が欲しいのかわからないから」だという。

距離を取りつつも、冷たくない。多良さん流のゆるく温かい家族との付き合い方だ。


2週間に一度、次男が孫のあーす君と一緒に食事をしにやってくる。この日はお手製ちらし寿司を振る舞った(画像:書籍『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』〈撮影:林ひろし〉より)

この「古い団地」で一生を終えたい


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一人暮らしの自宅も人間関係も風通しよく、多良さんは暮らしている。

独身時代も結婚後も、多良さんはいつの時代も「居心地のいい場所作り」を生活の軸足にしてきた。そして大切にしてきたのが「自分の家」だった。

どこにも出かけず誰とも話さず、録画しておいた古い映画を一日観ている日もある。夜寝る前に1時間や2時間の読書を楽しむのは至福のひととき。多彩な趣味も居心地のいい場所の大事なピースだ。古い団地のこの家が、多良さんにとっての居心地のいい場所の総決算なのである。


少し小さいけれど、こだわりを詰め込んだキッチンが気に入っている(画像:書籍『87歳、古い団地で愉しむ ひとりの暮らし』〈撮影:林ひろし〉より)

夫は寝たきりだった病院のベッドで「家に帰りたい」と多良さんに訴えた。そして住み慣れた自宅で、妻と子どもたちに見守られながら穏やかな最期を迎えた。


夫の介護という経験を通して、利用できるサービスや何を頼ればいいのかなどひと通り学んだので、一人でも何とかなるのではないかという思いを強くした。夫のように、居心地のいいこの場所で一生を終えたいという。

一人は孤独。年を取ったときに誰かがそばにいなければかわいそう――それは私たちがとらわれていた呪いだったのかもしれない。

「今はiPadだってスマートテレビだって、便利なモノがいっぱいあるでしょう。一人でできることはたくさんあります。趣味なんて大層なものではなくても、やりたいことを誰に気兼ねすることもなく自由にやったらいいと思うんです。“一人になってしまった”んじゃなくて、“一人がいい”んです」

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(桜井 美貴子 : ライター・編集者)