MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』ゲスト:男性ブランコ・平井まさあき

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MOROHAアフロの『逢いたい、相対。』第四十四回目のゲストは男性ブランコ・平井まさあき。以前から交流の深い2人の対談は、心の通い合った親友同士がキャッチボールをしながら語り合うような、温かくて愛情深い空気が流れていた。一方は相手の投げたい球筋を理解してミットを構え、もう一方は相手がキャッチしやすいように球を投げるような意思疎通が感じられる。なぜ、こうも理解し合っているのか? それは後半で語られる戦闘民族であることや、降りない姿勢が大きいのかもしれない。そして、これまでの連載で一番笑い声が絶えなかった回のように思う。

作詞することは自己洗脳に近いのかもしれない

平井まさあき(以下、平井):昨日はありがとね。

アフロ:いや、マジで不可解過ぎたからね! 明日ガッツリ話すのに「21時くらいから飲まない?」って連絡をくれたじゃん。ひょっとして対談が不安なのかなと思って行ったら、ただ飲みたかったっていう。

平井:ハハハ、そうそう。YouTubeでmudaの動画(※カルチャーメディア・mudaの連載動画新シリーズ『【ネッシーハンターラッパー】』にて、アフロがスコットランドのネス湖へ行き、5日間にわたってネッシーを探す密着ドキュメンタリー番組)を4話まで見たのもあって、ふとアフちゃんに会いたいなと思って。

アフロ:ウハハハ! ただ飲みたかったんだなと分かってから、明日喋りたいことは対談にとっておかなきゃいけないと思って、どうでもいい話をしようとするんだけど、酒が進むとね。

平井:そうなるよな。

アフロ:昨日めちゃくちゃいい話をしたよね。

平井:したした! お互いのルーツとか「何を悔しいと思ってる?」とかね。

アフロ:そんなこんなもありつつ、リアルタイムの話をすると、さっき平ちゃんが撮影中にすまし顔をしたら、俺が「家に細い花瓶がありそう」と言ったでしょ? ああいう一言が出てきた時は一番気持ちいいね!

平井:実際あるしね、家に細い花瓶が。

アフロ:ハハハ、当たってんのかい。コントの中でも、家に細い花瓶を飾ってそうなキャラクターを演じることが多いよね。

平井:あ、それは初めて言われたかもしれない! そうか、だからスッと腑に落ちたのかも。そもそもコントで女装をすることは多いんだけど、自分の中では1パターンしかないんだ。で、それが一番適してるんだと思う。ちょっと強めの気丈な性格で、それこそツンとしているような、キャリアウーマンっぽい感じでね。

アフロ:美術館のキュレーターをしているような、女性を演じることが多い印象がある。

平井:そうそう。なんでだろうと考えたら、自分の好みのタイプなのかなって。自分の好きなタイプを自分で演じてるっていう……キショい話なんだけど。

アフロ:ウハハハ、いいね! 分かるわかる。

平井:うん、ネタで演じている女性は俺の好きなタイプなんだよ。ちょっとピシッとしたような、しっかりした女性がさ。

アフロ:俺が女の子目線の歌を書く時も、大体が自分のタイプの人なんだよ。

平井:そうなっちゃうよね。自分の中にそこまでリアルな知識がないから、自分のタイプというか、こういう女性だったらいいなって願望も込めて演じているのかもしれない。それこそリリックを書く時に、多少は大袈裟にするとか、表現を少し変えてみることはあると思うけど、本当に無の状態から歌詞を書こうって感じではないでしょ? 

アフロ:そうだね。1を5にすることはあっても、0を5にすることはないね。あとは1を10にするのはやりすぎかなと思ったりする。

平井:うんうん、盛るっていうところで言うとね。

アフロ:でもさ、現実で10どころか12のことが稀に起きたりするのよ。それはリアルに起きたことだから、正直に12で書いていいはずじゃん。でも、現実に想像を追い越すようなことがあった場合、それを表現してもみんな信じてくれなかったりね。当然なんだけど1から5に膨らませたくらいの話にリアリティを感じるわけで。

平井:MOROHAの曲で言うと、心情というか自分自身の内側から湧き出る気持ちもちょっと増して書くことはある?

アフロ:増して書くというより“そうありたい”が強いかも。「チャンプロード」の<天下獲る 絶対に獲る>というフレーズを書いた時は、「俺らもよく頑張ったな」と同時に「まあ、こんなもんかな」と思ってしまっていた時期だったんだよね。

平井:だからこそ、あえて自分を刺しにいったんだ。

アフロ:うん、「達観するのは早いだろ? もう1回奮い立てよ」という気持ちで曲を書き始めた。不思議なのが“言霊”というのは確かにあってさ、ライブで歌っていると「そうだぞ、アフロ! 行け、天下を獲れ!」って気持ちになっていくから、作詞することは自己洗脳に近いのかもしれない。もはや願いだよね。

平井:それは面白いね! 「そうあれよ、アフロ」って自分自身を焚き付けているのか。俺はネタ作りにおいて、気になったことからイメージを増やしていく感じだから、やっぱりゼロイチじゃないんだよ。無から何かをひねり出すネタ作りをしたことがないから、ちょっと似ているかもしれないね。

些細なことでも気になったらメモをする

アフロ:気になったことって、具体的にどんなこと?

平井:誰かの言葉もそうだし、とにかく些細なことでも気になったらメモをするね。例えば何があるかな? ちょっと携帯を見てもいい?

アフロ:メモをするのは一緒だ。俺も自分のメモを開いてみよう。

平井:あえてメモをしない人もいるよね。

アフロ:メモをしなくても心に残るようなことが、本当に大事なことだと考えるタイプね。

平井:そう、俺はそれができなくて。書かないと忘れちゃうんじゃないかなって、不安で仕方がない。

アフロ:そっち側の人はさ、ブルジョワだなと思わない? 心が豊かだし余裕があるよね。紙とペンを持たずに出かけてさ、旅をして帰りの飛行機に乗って、帰宅して最後に残ったものが大事だっていうね。俺もそういうことを言ってみたいけどな。

平井:こっちはその都度メモするから。

アフロ:最近は、メモをするのはスマホじゃない方がいいんじゃないか、と思っていて。スマホを開くとさ「LINEが来てるな」とかで、旅の純度が下がっちゃうじゃん。その瞬間、意識が東京に帰っちゃうから、俺はスコットランドに行った時は紙にメモをしたね。

平井:それは大事かもしれないな。

アフロ:それこそスマホを触ったのは、平ちゃんに電話をかけた時だよ。

平井:『【ネッシーハンターラッパー】』でね。

アフロ:ネッシーを発見した時、「見つかったよ!」と知らせるにあたって最も純粋かつ、こっちが一番嬉しいリアクションしてくれそうな人に報告しよう、と考えて平ちゃんに電話をかけたの。そしたらまんまと期待通りのリアクションをしてくれて。「アフちゃん、それはすごいぞ!」って。

平井:前もって探しに行くことを聞いていたから、「ホンマにネッシーが見つかったんか!?」ってね。動画も送ってもらったし、実際に見つかったんだよね。

アフロ:水面でうごめく巨大生物の影が……。いや、影かい!っていう。

平井:いや、でもアレは本当にネッシーだったよ。

アフロ:長年ネッシーを研究してる学者さんに見せたら「この影は波だ」と言われたけどね。でも、その人が最後に「This is your Nessie」(これは君のネッシーだ)と言ってくれたの。

平井:素敵な言葉だよな。

アフロ:学者さんはいろんな見知から「ネッシーは存在しない」と結論づけているけど、心の中ではいて欲しいと思っていてね。それはすごく良かった。で、平ちゃんがものすごく嬉しいリアクションをしてくれたじゃん。逆の反応も聞きたいなと思って、オズワルドの伊藤(俊介)ちゃんにも連絡をして。

平井:すぐに金の話をしてたよね。

アフロ:アレは最高のコントラストだったね。

平井:ハハハ、あの映像は面白かったな!

アフロ:その旅先でも俺は一生懸命メモをしていて。

平井:『【ネッシーハンターラッパー】』の#5で「今後の人生で再びネス湖に来ると思いますか?」と聞かれた時に、アフちゃんが「ここから旅好きになる気配がして、そうなるといろんなところに行きたくなりますよね。いろんなところに行って行って行って、その果てに原点回帰みたいな気持ちになるかもしれないです」と言ったでしょ。実は、俺も今年に入って旅が好きになったんよ。36歳にして、生まれて初めて観光目的のために海外旅行へ行ってさ。それがすこぶる良くて! そもそも俺は生き物が好きなの。ただ、野生の生き物は、鹿や猿ぐらいしか見たことがなかったんだけど、ジャングルの熱帯雨林で、目にしたことのない生き物を見たいと思い、マレーシアのボルネオ島に行ったんだ。正直、そこまで過酷な旅ではなかった。なんだったら、すごく整備されたいいリゾート地で、そこでみんなとトレッキングをしたりして。俺はノートにその日のことをメモしながら、「こんなにいいものなんだ、旅って」と思って旅行が大好きになった。

アフロ:ネタに昇華しようと思いながら、メモを書いていたの?

平井:それとは違う感覚でメモっていたかな。どちらかと言えば、誰に見せるわけでもない日記だね。「野生のオラウータンを見れた」とか、そういうことばっかり書いていて。ネタ用のメモで言ったら、やっぱり言葉とかが多いかもしれない。

「まことに骨の頂き」

アフロ:そろそろお互いのメモを発表する?

平井:えーっとね……「まことに骨の頂き」って書いてある。なんか、こういうのが好きなんだよね。「真骨頂」って言えばいいのに「これはもう、まことに骨の頂きでございまして」って。

アフロ:それ、めっちゃいいね! 熟語を解体して語呂の良い文章に変換するんだ。

平井:漫才にも組み込めそうだし、流れに沿っていないボケを入れる時に使えそうだなって。

アフロ:本を読んだり何かを聴いたりしていたら、「真骨頂」って言葉が出てきて「これって、まことに骨の頂きだな」と思ったんだ。

平井:そうそう。それでメモしたね。

アフロ:「まことに骨の頂き」って、歴史上の貴族に置き換えてもいいかも。

平井:中臣鎌足みたいなリズムね。いや、その音楽的な捉え方はさすがやな! 俺はリズム感がないから、その発想は出てこなかったわ。そっちはどういうことをメモるの?

アフロ:ついに言ってしまうけど……このメモは、俺の中では後ろめたさがあるんだ。

平井:え、何なに?

アフロ:ラーメンズさんのコント「帝王閣ホテル応援歌」の中に、「星の数ほどの星の数」というフレーズが出てくるの。お店の評価を決めるのに星を使うじゃん。そういう意味で言ったのね。その言葉がズーンときて、俺はそこから「Apollo 11」の<星の数程の人がすれ違い 月の数程の人と出会い>に行き着いた。芸人さんがボケで言ったフレーズが胸にきた時に、歌詞の参考にさせてもらうことがあって。勿論そのまま使う事はしないけど「Apollo 11」の場合は、一捻りしてるだけだから「これは大丈夫かな?」という後ろめたさがどこかにあるのよ。

平井:いや、全然大丈夫だと思うよ。そもそも「星の数」ってすでにある言葉だしね。俺が「これいいな、自分のネタでも使いたいな」と思うのは、演劇を観た時。例えばサスライト(サスペンションライト)で一人語りをする手法は、前々からあっただろうけど、演劇はそれをめちゃくちゃ美しく見せてくれるわけだよ。美しく見せるって、ある種の振りになるのね。綺麗な振りであればあるほど、しょうもないことを言うと面白くなる。だから演劇を見て「あ、この演出は取り入れられそうだな」と思ったら参考にしちゃう。例えば、ポールをぐるぐる回ることで螺旋階段を登ってるように見せるとかさ。演劇の人たちって、動きだけでどう臨場感を作るかのプロだから、発見がたくさんあるよね。

良くなるために悪くなる人がいるんだよ

アフロ:「この仕掛けを使いたい」からコントを考えることもある?

平井:そういうこともあるね。「これは絶対に驚くぞ」とか。

アフロ:近い話で言うと、俺よりも20歳近く上で洋服のデザイナーをしている友達がいてさ。その人と傘の展示会に行ったの。会場に入ると早速一本の傘が展示してあって。その傘の作り方はまず生地を柄に染めるところから始まって、その後にその生地を解いて糸に戻すの。そしてもう1回布に戻して傘生地にすると。

平井:それはどうして?

アフロ:そうすると元通りにはならないんだよ。

平井:ちょっとずれるってこと?

アフロ:うん、そうなの。少しズレることで柄が滲んで見えてなんとも言えない独特な味になるのよ。その傘を見た瞬間に、友達のデザイナーさんが会場を出て行ったの。アレ? つまらなかったのかなと思いつつ、俺が展示を一通り見て外に出たら、その人がガードレールに腰掛けて俯いてるわけ。「面白くなかったですか?」と聞いたら「あんなもん見たらあかんわ……」って。「アレはすごいで。あの手法をやりたくて作ったものじゃなくて、作りたいものがあったからそのために必要な手法として用いた。それがビシバシ伝わってきた。物作りはああであってほしい」って。

平井:その人はくらっちゃったんだ。

アフロ:その場にいられないほど、速攻でKOされたらしくて。俺はその時に、目的よりも手法がデカくなっちゃいけないんだ、と思ったの。つまり手法が目的になっちゃいけないんだなって。

平井:最終的なゴールを見据えて、そのための手法を使うのは真っ直ぐなルートっぽいよね。

アフロ:身近な言葉に置き換えるとラップがしたいから、って理由ではなくて。

平井:これを伝えたいからラップということだね。

アフロ:ただね、その考えも変わってきてね。今では「言いたいことはないけどラップがしたい」と思って始めた人が、ラップをキッカケに言いたいことを見つける場合もあると思うようになったの。「どうしてもこの手法をしたい」という動機の元、素晴らしいクリエイティブが生まれることもある気がするんだ。

平井:「自分はラップをしたいから、言いたいことを探してる」ということに自覚的だったら、俺はどっちも正しい気がする。伝えたいことが湯水のごとく湧き出る人もいるかもしれないけど、基本はそこまでたくさん出てこない気がするんよね。割と、言い方を変えて同じこと伝える場合が多いと思う。それでスランプに陥った時に、こっちの手法でやろうとか「こっちがちょっとスランプに陥ったら、元に戻してこうしよう」とか。そうやって切り替えられそうだから、自分が自覚的に「今こういう手法でやってるんだ」と理解していたらいい気がする。

アフロ:迷った時に戻る場所があって、そこでちゃんと選択肢として見えたら良いよね。どこかでリフレッシュして、別の脳みそを作れるかもしれないし。

平井:それで言ったら、長く考え続けられる方法が欲しいよね。「もう俺には何も考えられない」と思いたくない、というかさ。そのために言いたいことを探すのか、それとも「関係なくこの手法を使いたい」なのか。俺らで言ったら、漫才なりコントなりに形式を変えてみるとかね。俺はコントの単独ライブを一番に置いているけど、もちろん漫才もするし、自分の好きな生き物の仕事だって全然する。アフちゃんは、ラップのスタイルを変えようとはならないの? ポエトリーって言われるやない? それ以外のラップはやったりしない?

アフロ:打楽器的な役割で楽器の一つとしてラップする人を見た時に、「うわ、すげえ!やってみたいかも」とは思うんだけど、これを俺がやったところでこの人に勝てないな、と思っちゃうのね。凄い人にたくさん出会う程に、どんどん自分がやるべきことが明らかになったかも。「これだったら俺が一番だろう」と思えるような手法をとっているのが現状だね。でも、自分がそれに飽きてきたら「とりあえず2番でもいい。やり続けることで、もしかしたら何か見つかるかもしれない」という意気込みを持って、良くなるために悪くなる瞬間があるかもしれない。

平井:うんうん。

アフロ:ラッパーでも良くなるために悪くなる人がいるんだよ。それがすごいなと思うし、勇気があるなとも思う。言ったら、そのベクトルならナンバーワンをキープできるのに、トレンドのリズム感や拍子やフローを取り入れたりする。そうすると、今まで応援していた人はガッカリするわけ。でも、そこから2、3年した時に、ちゃんとスタイルが出来上がってきて、その人にしかできないラップを手に入れて「最高のアルバムだ」ってみんなを唸らせることもあるんだよね。まあ、1回は評価が下がっているんだけどさ。

平井:ちょっとスタイルを変えるとね。

アフロ:そうそう。俺もぶっちゃけリスナーとしてはガッカリしたし、「なんでこんなことをするの?」って思った。でも、その人は良くなるために悪くなる選択をした。いや、悪くなるって言い方は違うかもしれないね。

平井:自分の中では悪くなってるとは思ってないだろうしね。

アフロ:真相は本人のみぞ知ることだけど、「まだ俺が目指してるところまで行ってないけど、1回形として出さないと、変えたベクトルの先にある次のステップに行けない」と思って出してる場合もあると思う。

平井:すごくいいなって思うけどね、俺は。その方がどういう感じなのかわからないし、最近マンネリしてるから誰か若い子から「これが流行ってます」みたいなアドバイスを受けて、取り入れてるのかもしれない。それとも自分で思い詰めて、これがカッコいいって最良の選択をしてそうなったのかもしれないけど、それだけ変化させてるっていうのは、1つの物語としていいけどね。

アフロ:平ちゃんにもそういう時はあったの? 自分のスタイルから大きくハンドルを切って、自分の軸にてこ入れをした経験が。

平井:単独ライブでお客さんをたくさん集められる芸人になりたい、ってずっと思っていて。でもそれが叶わず、めっちゃ気合を入れた単独ライブで「これが最高だ」というネタを出し続けたにもかかわらず、お客さんが減っていったことがあって。その時に「自分はそこまで魅了することができないんだ」と気づいてから、これまでの考えを捨てたね。やれることは全部やろうと思って、「M-1」「キングオブコント」とかお笑いの賞レースにも挑んだし、オーディションにも果敢に挑戦するようになった。正直に言うと苦手なんよ、テレビは。すごい人らがいっぱいいるし、テレビの最前線でやってる人らを目の当たりにする度に「うわぁ、すげえな」と思って。そんなに「やったったぜ!」みたいな時もない。それでも声をかけてくれるんだったら、一生懸命頑張ろうと思えるようになったけど。それまでは「いやいや、俺は単独ライブで」みたいな感じで斜に構えていたね。

アフロ:単独ライブの動員が伸びなかった時、どうやって自分を保っていたの?

平井:本当に絶望過ぎたよね。でも同期や先輩に相談したら「いや、大丈夫や。お前らは面白いから、あとは“順番”やって」と言ってくれたのよ。それにかなり救われていた。

アフロ:順番という言葉は深いね。

平井:やっぱり面白い人はめっちゃおるんよ。賞レースで言ったら「こんなの絶対優勝するやん」と思っても、そのコンビが決勝に上がらないことがある。それはいわゆる時の運でさ。「今年は行かなかったけど順番を待ってる状態のところにはいるんだから」って人たちがいっぱいいる。エントリーはされていて、ただ順番を並んでるだけ。

アフロ:それは救いでもあり、残酷な言葉でもあるね。どれだけ実力をつけても、あとは順番次第。つまり運の要素が多くあるんだから、ってことだよね。とはいえ「その順番を抜かすぞ」「序列を変えるぞ」って一撃で全てのルールを揺るがす渾身のネタを作るんだ、と思って書いているわけじゃない? そういう人からすると、すごく複雑な響きではあるよね。

平井:うんうん。ただ、そこまでの気概がなかったのはあると思う。ほんまに絶望してたから。10年ぐらいずっとやり続けて「あ、これで減る!?」となって、俺は奮い立ってへんかったから「序列変えてやるぜ」なんて無理やったわ。だから「順番」という言葉に救われたんだよな。

自分が望んでいた姿じゃないけど、それを愛おしいとか素敵だと思ってくる人はいるのかも

アフロ:2人で飲んだ時にさ「今日、テレビの収録でめちゃくちゃ滑った」と言っていた時があったじゃん。

平井:そんなのしょっちゅうあるよ。

アフロ:そう言われると、余計にその番組を観たくなっちゃうんだよね。

平井:ハハハハ。

アフロ:その番組を観て「ああ、これが嫌だったんだろうな」とは思うんだけど、平ちゃんはその時に「できない」とか「ウーン」って悩ましい顔をするじゃん。あれって、とっても素敵なんだよ。キャッチーだし、きっと多くの人が「ああ、平井いいな」って思う表情。それをテレビが引き出してくれてるんだなと思って。それが自分の希望にもなったの。俺も時々テレビに呼ばれるようになってさ、自分が見せたい自分じゃないなと思って落ち込むことあるんだけど、「自分が望んでいた姿じゃないんだけど、それを愛おしいとか素敵だと思ってくる人はいるのかもな」と思えた。

平井:それは初めての解釈だな。

アフロ:本当は超カリスマになりたいじゃん? スッと出ていってどかーんと笑いを起こすみたいなさ。でも、俺らは想像以上にそれが……。

平井:できねえ! 

アフロ:そう! できねえんだけど、でもできない姿が似合う授かり物もちゃんともらっているんだなって。平ちゃんは全然嬉しくないかもしれないけどさ。

平井:いや、嬉しいかも。そう思ってくれるんだなって勇気をもらえた。それはそれでいいんだって。

アフロ:平ちゃんは絶望の淵にいて、そこから賞レースに向けて頑張っていくけど、その努力が実る瞬間はいつだったの?

平井:2020年から「とにかく賞レースで勝てる5分のネタを頑張ろう」と動き始めて。で、これも運が良かったんだろうけど、翌年の「キングオブコント」で初めて決勝に行けたんだ。そこで「ああ、よかった」とは思ったかな。

アフロ:その日、家に帰ってからどうだったの?

平井:もちろん決勝があるから緊張感はあったけど、あの日の夜は人生で一番嬉しかった。これでまた一つ頑張れる理由ができたぞ!というか。「よかった」って1人で何度も言ってたな。

アフロ:それを超える夜はそうないかもね。

平井:そうね。12年分がそこで初めて報われたね。もちろん優勝したかったけど、やっぱりファイナリストになったことが一番嬉しかったな。

アフロ:それこそゼロイチだよね。たくさんネタは作ってきたけど、社会的にはゼロの状態だったというかさ。

平井:そうそう。ようやくネタを純粋に見てもらえるようになれたよね。それまでは「知らんやんこいつら」で弾かれていた。ネタの内容は別に変わっていないけど、ようやく歌の内容ちゃんと見てもらえる、ってところまでこれたなって。

我々って根っからの“戦闘民族”なんよ

アフロ:賞レースに挑んだことで、単独にもいい作用はあった?

平井:ほんまは賞レースには出ず、単独で好きなことをやるのが1番の理想だったの。ただ、好きなことをやって1回心が折れてるから「仮に長尺のネタをやったとて、お客さんがついてきてくれるのか?」って疑問もあった。そこまでの自信も持てていなかったけど、賞レースがあるっていうことを鑑みながら、単独のネタを作る方が、ちゃんと笑いを起こそうという思考へ無意識に働くんじゃないかって思った。「単独で披露するネタのお笑いの強度をちゃんと高めよう」という意識になるから、賞レースと同時並行するのはいいのかもしれない。もし賞レースをやめて、ただ単独ライブのことばかり突き詰めてしまった時がちょっと怖いね。お笑いの要素が少なくなるんじゃないか、って。

アフロ:「お笑いの強度」を言語化するのは難しいと思うけど、別の言い方ってある?

平井:分かりやすいボケを入れるとか、ボケの手数を多くするってことだね。俺は15分の間にボケを1つだけしか入れないで、逆にそれがオモロいやんって思うタイプなんだ。でも単独のスタイルを知らない初見のお客さんからすれば、「何を見せられてんの?」と困惑されかねない。そういう意味では、ボケの構図を分かりやすくすることかな。

アフロ:平ちゃんはさ、お客にどう笑ってもらうのが一番嬉しい? 音楽のライブはお客が踊ったり歌ったり、泣いたり黙ったり、いろんなリアクションがある。でもお笑いに関しては、笑うか・笑わないかしかない。だからこそ、1つの目的に向かって愚直に突き進む姿が美しいと思うんだよ。そんなことを又吉(直樹)さんに言ったら「僕はボケた瞬間にお客さんが笑わなくても、家に帰ってから寝る前に面白くなって笑うこともあると思うから、お笑いのリアクションは1つじゃないと思う」と、又吉さんらしい柔らかい口調で言ってくれたのね。15分の中にボケを1つだけ入れるのも、今の話に近いのかなと思った。ボケた瞬間はボーンと爆発的な笑い声が上がらないかもしれないけど、帰り道までずっと余韻が続いて「今日の変だったな、オモロかったな」と思い出し笑いをすることもあるじゃない?

平井:うん、あるある。

アフロ:でも、やっぱりドカーンと沸くのが嬉しい?

平井:そうだね。単純だけどデカくウケた方がさ……俺、メガネやけどさ。

アフロ:ハハハ、その枕詞は何?

平井:ひょろひょろメガネやけど、我々って根っからの“戦闘民族”なんよ。ずっと板の上で戦ってきたから、ドカン!っていう笑い声はいわば“勝ちの狼煙”。だから、それを聞きたい体になっているかもしれない。

アフロ:その戦闘民族っていうのは、音楽にも通じる言葉かも。例えば、どれだけモッシュが起こるか、ダイブが起こるかっていうところで勝負するのがフェスのカルチャーだよね。一緒に歌う人がどれだけいるか、とか。

平井:自分のステージにどれだけお客さんを呼べるかもそうだよね。

アフロ:そうそう。それってフェスにおける戦闘民族の勝ち負けになってくると思うんだけど、この基準においては俺たち最弱なんだよ。

平井:え、そうなの?

アフロ:だってお客と一緒に歌ったりしないし、モッシュもないし。

平井:それは周りの判断基準もそうなの? 聴き入る曲だったら「モッシュが全然起きねえじゃねえか」とはならないよね?

アフロ:観客はフェスに一体感とかお祭りを求めて来るわけで、俺らはそもそもの主の目的に沿わないことをやりに行ってるんだよ。でも、そういうスパイスが欲しいと思って主催者さんは呼んでくれているんだけど、あくまでスパイスだからさ。俺たちがフェスの王道のポリシーに則った盛り上げ方はできないし、求められてもいないのが現状。呼ばれたからには「今日は休みだ! みんなでビールを飲んで音楽を楽しむぜ!」って浮かれている人に、「でも、明日は月曜日だぜ」と言いに行くのが俺の仕事だと思って。盛り上がるのとは対極の歌があるのも音楽だから、その役割を全うするのはいいんだけど。でも、あくまでフェスだからさ。

平井:うんうん。

アフロ:大トリというか、フェスの主催者がメインビジュアルにしたいのは、みんなでワーって祝祭をやってる人たちのステージなんだよ。戦闘民族達からしたら、そこが「まことに骨の頂き」だよね。

平井:つまりは真骨頂だ。

アフロ:そういうフェスの真骨頂に俺達はいないんだと思うと、やっぱり自分達の居場所ではないんだよ。そして、これは決して負けだと思わないし、思っちゃいけない。

平井:その祝祭に寄せるわけでもないしね。

アフロ:いや、俺は愚かだから寄せることもしたよ。俺たちなりに声を上げられる場面を作ろうとか、自分らなりにやったけど、それは俺の愛情としてお客に伝わっていればいいかな。フェスに対する愛情や歩み寄る姿勢というのも、きっとライブの中で愛情として出るからいいんだけど……まあ、そういうことじゃないよな、とやってみて思った。そっちに行っても勝てないしね。

平井:それでのまれちゃうこともありそうだしね。フェスに出たらこうしなきゃいけない、とか。例えば、我々もなんばグランド花月でネタをやる時は、お客さんが修学旅行の生徒さんだったり、バスツアーのおじいちゃんおばあちゃんだったり、社員旅行のお客さんだったりするからさ。たまたまツアーの1つに含まれていた、ライブを観に来たお客さんに向けてのネタって、そんなキレキレなことをやっても刺さらない。むしろ特技をやって「今日は顔だけでも覚えてください」と言わないといけないとか。そうやって、場所ごとに自覚を持ってやるのは大事かもね。フェスは王道のところではないけど、スパイスの役割として「俺たちはいるんだ」っていう。無理に寄せなくても、自分の頂きで戦うところがあるからさ、MOROHAには。

アフロ:そうだね。ただ、今の話をした後に「でもフェスで優勝する志も捨てちゃダメだぞ、アフロ」と思ったら、その時はそういう曲を書くね。

平井:そこにカチ込める何かが見つかるかもしれないしね。

アフロ:そう、望みを捨てるべからず。その色気がないとスパイスにすらなれなくなっちゃうから、やっぱり戦闘民族の意識は持たないと。

平井:挑むからこそ良かったりするんだろうね。

基本は降りなかったら降りないほど良い

アフロ:今日はこの話もしたいと思ったんだけど、単独ライブを観に行かせてもらったじゃん。

平井:うんうん、来てもらったね。

アフロ:俺はね、芸人さんが笑わせようと思って作るライブだからこそ、泣きそうになる時があるのよ。

平井:どういうこと?

アフロ:舞台役者さんが同じネタをやったとしても、きっと泣けないんだよね。芸人さんが「笑わせよう」という基本のスタンスを持っているからこそ、ちょっとしたところでグッとくる。笑わせようとしてる直向きなスタンスだからこそ、胸を打たれる瞬間がある。そこがすごく良かったんだよね。

平井:それは自覚してないかな。本人だからかもしれないけど。

アフロ:そして、あなた方はネタ中に黄昏れるよね。

平井:ハハハ、黄昏れる! 夕方が好き、とかね。

アフロ:それが男性ブランコならでは、だなと思う。

平井:せっかくコントをやっているんだし、ちゃんとしたお話にはしたいんだよね。それが根底にあるから、お話を進めて行きたいんだけど、人によっては「いらんやろ」とか「何をカッコつけてんねん」みたいに言う人も全然いると思う。ただ、俺はそれが好きなんよ。なんだったら、それをカッコいいと思ってやってる。だからいいんかなって。俺はそれを笑ってほしいしね。「これが自分は好きなんです」と披露して、それをいじってもらえるのがいい。そっちの方が面白いし、逆に「これがカッコいいんでしょ?」というのが一番良くないんだろうな。

アフロ:真っ直ぐにね。

平井:そう、やってる側は真っ直ぐに行く。やってますよ、じゃダメなんだよね。

アフロ:言い換えるなら、“降りない”ってことだよね。

平井:真っ直ぐに行って「いや、何をしてんねん!」と言われるのが一番好きかもしれない。お客さんの心の中で、それを突っ込んでもらうのが最も嬉しいかな。

アフロ:昨日も「降りない」って話をしていたよね。何度聞いてもすごくいい言葉だなって思う。芸人さんの美学に「降りるな」ってあるじゃん。降りるとみんなも安心するし、空気は和むけど。

平井:分かりやすい「緊張と緩和」があるのなら、いつでもできる緩和だよね。

アフロ:そうだね。この前、モグライダーさんとツーマンをした時、最後に芝(大輔)さんが始めて間もないトランペットを吹いてUKのギターとセッションしたんだけど、吹いてる最中に一切降りないんだ。正直、演奏は拙いんだけど、本人は一生懸命にやっていてさ。芸人さんだし、アンコールだし、途中でニヤッとしちゃって「全然ダメじゃないか!」みたいに笑いを起こす選択肢もあっただろうけど。でも、ずっと真剣に吹いて一切降りなかった。緊張でガチガチになりながらさ。

平井:うんうん、それが面白いんだよな! バカにしてるとかじゃなくて、面白いんだ。「カッコいい!」とか「頑張れ!」とか、それも含めて面白い。

アフロ:それをやってる瞬間は、客観性を持っちゃいけないのかもしれないね。

平井:没入したもの勝ちではあるんだろうな。でも、どこかで自分が引いちゃう瞬間もあるし、俺は一回も降りたことがないか?と言われたらそんなこともない。降りたくないけど、降りてしまったこともある。それで後悔をしたり、とかね。逆に、100%降りるなって話でもなかったりして。「ここで降りた方がみんなの為になる」という場合もある。

アフロ:自分じゃなくて人のことを思って降りる。

平井:そう、みんなの為に降りるのはアリかもしれない。でも、自分の為に降りるのはダメだよね。基本的に降りるのって、自分を守るためにそうしてるイメージがある。基本は降りなかったら降りないほど、良いような気がする。降りるって技術がいるからさ。やっぱりさ、真っ直ぐに熱中している姿が一番いいんだよ。

文=真貝聡 撮影=森好弘