阪神で活躍した田村勤氏【写真:山口真司】

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元阪神守護神の田村勤氏は島田高で1年夏からベンチ入り…評判の投手に成長

 最後は、まさかだった。元阪神、オリックス投手の田村勤氏は静岡・島田高で甲子園出場は果たせなかった。1年夏からベンチ入り、2年春の静岡大会4強入りが最高成績。エースとして臨んだ1983年の3年夏は、準々決勝で静岡高に敗れた。2-2の9回にサヨナラ2ランを浴びて終わった。「公式試合では初めて打たれたホームランだったと思う」。進路は大学1本で、目標のプロは先送り。これには“意中の球団”の動きも無関係ではなかったという。

 島田高時代について、田村氏は「練習は無茶苦茶きつかったですし、芝田(耕吉)監督は恐ろしかったですよ」と振り返った。「高校に入った時、ピッチャーは3年生に1人、2年生に1人、僕の学年は僕だけでした。その3人で走って来いと言われました。まず10キロを走らされて、それから200メートルダッシュを20本か30本くらいやって、その後にピッチングです。もう毎日ヘトヘトでしたよ」。しかも先輩2人がすごかったという。

 田村氏は足も速く、中学では野球部に在籍しながら、陸上の大会にもかり出された。「400メートルは(榛原)郡で優勝しました。駅伝にも引っ張り出されたし、脚力には自信があったんですけど、(島田高の)3年生の金原さん、2年生の立林さんの先輩2人はついていけないくらい速かった。しかも妥協しない。悪い先輩だったら10キロも走っていたらサボったりもするじゃないですか。折り返しのところで水でも飲むか、とかね。そういうのも一切なかったんですよ」。

 田村氏は舌を巻く。「あんな手抜きしない先輩、人生でもなかなか見たことがない。取り組む姿勢がとんでもなくすごかったです。もう、ついていくしかないじゃないですか。背中で教えてもらうというのはこういうことだなって思いました。入った時の2、3か月がそうだったんですが、ホント、しんどくて、しんどくて。でも、おかげで鍛えられました」。1年夏からベンチ入り。1-4で敗れた1回戦・沼津北部戦にも「ちょっとだけ投げた」という。

 2年春の静岡大会では準決勝に進出し、静清工に1-2で惜敗。2年夏は4回戦に静岡商に5-6。「夏はリリーフで僕が勝ち越された。強烈なセンター返しを打たれた覚えがあります」と話したが、左の本格派として田村氏は評判の投手になっていった。2年秋からはエース。打っても4番で、しかも俊足。「出塁したら盗塁したりしていました」。そして迎えた高校生活最後の夏だった。自信もあったのだろう。はっきり甲子園を意識して臨んだそうだ。

高3夏は準々決勝で静岡高に敗退…駒大進学を決めた

 高校3年の夏、島田高は1回戦・農業経営を10-0、2回戦・市沼津を4-0、3回戦・富士東を6-3、4回戦・星陵を4-2で下して、準々決勝にコマを進めた。相手は静岡高だった。「サヨナラホームランを打たれたんですよね」と田村氏は悔しそうに話した。2-2の9回に痛恨の一発を浴びた。「左バッターだったし、打たれるわけがないと、ちょっとなめていました。記憶ではそれまで公式試合でホームランを打たれたことがなかったので……」。

 まさかの一発で自身の高校野球が終了。衝撃は大きかった。「落ち込ましたよ。みんなは『次の日に海に行くぞ』って言い出したんですけど『ちょっと待ってくれ』と頼みました。もう放心状態でしたからね。結局、その次の日か、そのまた次の日かに海に行きましたけどね。私服とか持っていなかったので慌てて買いに行ってね」。進路はその時点で駒沢大進学がほぼ決まっていたという。

「駒大の太田(誠)監督と(島田の)芝田監督は親しい関係にあって、まぁまぁつながっていて、視察か何かで来られて、僕が投げて打って走れるということで……。芝田監督にも『駒沢に入れるぞ』って言われていて、その時から何となくそういう感じにはなっていましたね。プロのスカウトも見に来てくれていたんですけど、もう大学に行ってやるんだよなって雰囲気でした」

 プロ野球選手は小学校低学年頃からの夢。父・甲子夫さんから「無理だと思うまでやれ!」と言われたことも忘れずに目指していたが、この時は「親父にも『大学に行け』と言われた」という。「プロはどこの球団が来ていたのか、僕は聞いていなかったんですけど、巨人は来てなかった。その情報だけはわかった。巨人ファンの親父はそれが面白くなかったみたいで『大学に行け!』って」。それによって高校からプロ入りの可能性は完全に消えたのだ。

 田村氏はそれから7年後の1990年ドラフト会議で阪神に4位指名された。島田高、駒沢大を経て、社会人野球・本田技研からのプロ入りだったが、もちろん島田高3年時には想像できるはずがないし、それこそ当時、巨人に誘われていたら、すべて流れは変わったことだろう。だが、それもまた野球人生。「巨人に相反する阪神に決まった時、親父は複雑な顔をしていました。でもその後は阪神ファンになったんですけどね」と田村氏は話した。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)