ミニスカポリス時代の来栖あつこ(C)山岸伸/ワニブックス

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正統派に「それならできるかも」

第2回【「来栖あつこ」の名前が“ひらがな”だったワケ さとう珠緒から受け継いだ「戦隊モノ→グラビア」の流れ】からの続き

 女優でタレントの来栖あつこ(46)。現在は実業家、アパレルのPR担当として活動する。来栖を一躍、有名にしたのは「出動!ミニスカポリス」(テレビ東京系)だ。1998年から5代目リーダーとして活躍した。その後はドラマや舞台などにも出演する。当時の様子や思いを振り返ってもらった。(全5回の第3回)

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【写真】当時から「圧倒的な美脚」&美スタイル…ミニスカポリス時代の来栖あつこ、キュートな“敬礼ポーズ”も

――ミニスカポリスの活動はいかがでしたか。

ミニスカポリス時代の来栖あつこ(C)山岸伸/ワニブックス

 私たちの代から正統派アイドルにするというコンセプトの変化がありました。「それならできるかも」という感じです。私は、胸の“ボタン飛ばし”とかはしなかったんですね(笑)。その前は、戦隊モノでヒーローをしていましたから。

――“ボタン飛ばし”は3、4代目リーダーの大原がおりさんがやっていました。

 はい、大原さんが大活躍でした。5代目の私たちからは、ガラリとコンセプトが変わりましたね。

――オーディションはどのような感じでしたか。

 最初、オーディションに行った時には帽子を被らされて、「敬礼してみて」と言われました。実際に、敬礼しましたね。

――ミニスカポリスとしての活動は楽しかったですか。

 楽しかったです。NHK以外の他局にも出演させていただきました。NHKは出た記憶がないですね。ミニスカート自体にも抵抗はなく、めちゃくちゃ楽しんでやっていました。

自分の名前をタグに明記

――番組はセクシーな路線でしたが。

 私たちは逆にセクシーじゃなかったです。ゲストで出る人がセクシー女優さんだったりしました。

――当時、嫌な思いをしたことはありましたか。

 いまだにそうなんですが、プライベートで「制服を着て」とか言われることがありました。友達や彼氏とかに。「ミニスカポリス」の制服は家に保管していましたが、プライベートで着用したことはありません。

――メンバー同士、制服を間違えたりはしなかったのでしょうか。

 自分の名前がタグにマジックで書いてありました。これは私のセットみたいな感じで。ただ、制服は代々引き継がれていたので、前に着ていた人の名前が書いてありました。これは、誰々さんと同じサイズなんだなとか思いながら着ていましたね。

――ちなみに、誰の服を着ていたのですか。

 シャツは(さとう)珠緒さんのお下がりで、スカートは大原(がおり)さんでした。

――制服は自宅保管だったとのことですが、自分でクリーニングに出していたのですか。

 いえ、家でジャブジャブ洗っていました。ビニール製なので。クリーニングに出すのは抵抗がありましたね……クリーニング屋さんにコスプレ好きだと思われるのは嫌でしたから(笑)。

――ミニスカポリスで思い出に残っていることは。

 夜の繁華街でロケをしていた時に、たまたまミニスカポリスのお店を見かけたことがあります。確か新宿だったと思います。女性がクオリティの高い姿になっていて、私たち“本家”よりも様になっているなと思いました(笑)。

さとう珠緒らと女子会

――ミニスカポリスの先輩、さとう珠緒さんや大原がおりさんと会われたりしていますか。

 よくお会いしています。楽しい女子会です。

――何を話すんですか?

 最近は健康のことが多いですね。犬好きっていう共通点があるので、ワンちゃんの話もしますね。あとは、2人ともまだご結婚されてないので、「最近どうですか」みたいな話を私から聞いたりします。

――誰か、(お相手を)紹介することもあるんですか。

 紹介はさすがにハードルが高いですね……2人のお眼鏡にかなう人がいるかどうかわからないので(笑)。

――「ミニスカポリス」のあとは、俳優としても活動されています。ドラマの現場はいかがでしたか。

 これも楽しかったですね。戦隊モノで鍛えられていたので、ドラマの現場は優しく感じました(笑)。特に月9の現場は、ロケバスやロケ弁の豪華さに驚きました。

――特に思い出に残っている現場はどこですか。

「はみだし刑事」です。約2年半やりました。東映のスタッフや照明さんが「激走戦隊カーレンジャー」の時と同じだったので、「あつこ、帰ってきたか」と温かく迎えてもらえました。

――お仕事は順調そうでしたが、26歳の時に芸能活動を一時休業して、アパレルのPRの仕事に転職をされています。いかがでしたか。

 意外と一般の仕事にも馴染むことができました。(アパレルの)面接の時には、「特別扱いしないけど大丈夫ですか」とよく聞かれましたが、「そういうつもりで受けてないので大丈夫です」と伝えていました。採用の方も思った以上にきちんとしていると、ビックリしていました。ただ、現場では2年ぐらい芸能人として見られることが多かったです。自分が思っている以上に忘れられていないんだなと感じました。

――芸能活動を一時休業して、次のステップについて考えるようになったきっかけを教えてください。

 2003年に舞台「アニー」でリリー役を演じました。その時、小さな子供たちが頑張っている姿を見て、千秋楽で泣いてしまったんです。「みんな、頑張ったね」という気持ちになると同時に、次に何をしようか考えました。その時、周りの人たちがキャリアアップしていることに気づいて、自分も何かしなければと思ったんです。

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 第4回では、来栖が20代の頃、プライベートで起こった“事件”について振り返る。

来栖あつこ
1978年、茨城県生まれ。96年、デビュー。「出動!ミニスカポリス」の5代目リーダーとして活躍。2023年、結婚相談所「W」を設立。

デイリー新潮編集部