時代は町田!パリ五輪でも2人が活躍…東京都町田市が生んだ「サッカーの名選手」7人
今季の明治安田J1リーグで首位を走るFC町田ゼルビア。
多くのクラブと同様いくつもの困難を乗り越えて現在の快進撃に至っている彼らだが、街自体は昔からサッカー熱が高く、都内屈指の“サッカーの街”として知られる。
これまで何人も名選手を生み出し、現在開催されているパリ五輪で活躍中の選手も。そんな東京都町田市出身の名選手たちを7名紹介する。
北澤豪
1968年8月10日生まれ
まずは、町田出身のフットボーラーとして一番のレジェンド。
中学時代は読売ジュニアユースでプレーし、修徳高校から本田技研工業へ加入。1990-91シーズンの日本サッカーリーグ(JSL)では得点王に輝いた。
1991年に読売クラブへ移り、ヴェルディ川崎の一員としてJリーグ開幕戦に出場。華々しいチームメイトの中でも長髪をなびかせながらピッチを縦横無尽に走り回るさまは際立ち、Jリーグ創世期を彩るスターとして今も記憶されている。
残念ながら1998年のフランスワールドカップは大会直前でメンバー落ちをしてしまったが、日本代表でも長く活躍。引退後も解説者を務めながらJFAなど多方面で日本サッカーの発展と成長に寄与している。
林健太郎
1972年8月29日生まれ
2人目は、卓越したゲームコントロールで中盤の底から試合を支配したボランチ。
高校は桐蔭学園へ進み、同級生には同じ町田市出身の福永泰、1学年上にはのちにヴェルディ川崎でチームメイトになる長谷部茂利(現アビスパ福岡監督)がいた。
1995年に駒澤大学からヴェルディへ加入すると、すぐさまその天才ぶりを発揮し、1年目から加茂周監督の日本代表に招集され2試合に出場。広い視野とプレービジョンを持つ大型MFとして期待された。
しかし独特のプレースタイルもあってか伸び悩み、2009年にヴァンフォーレ甲府で現役を引退。2018年から古巣ヴィッセル神戸のスタッフとなり一時は暫定監督も務めたが、今季からガイナーレ鳥取で監督に就任している。
秋元陽太
1987年7月11日生まれ
ここから3人は1987年生まれの同級生。
中学から横浜F・マリノスのアカデミーに進んだ秋元陽太。ただ、高校はFC町田ゼルビアのホーム、町田GIONスタジアムのすぐそばにある野津田高校に通っていた。
10代の頃は世代別代表の常連で、2006年に横浜F・マリノスでトップ昇格。2012年に移籍した愛媛FCでレギュラーを獲得すると、2015年に加入した湘南ベルマーレでは守護神としてJ1昇格に貢献した。
2016年にFC東京へ引き抜かれたものの1年で湘南へ戻り、2020年に地元のFC町田ゼルビアへ。翌年こちらも復帰の愛媛FCで1年間プレーしたのち現役を引退した。現在は指導者となっている。
太田宏介
1987年7月23日生まれ
2022年に地元へ戻り、FC町田ゼルビアで現役を引退した日本代表サイドバック。
麻布大渕野辺高校(現・麻布大学附属高校)から2006年に横浜FCでプロ入りすると、2年目にはJ1で17試合に出場。その後、清水エスパルス、FC東京とステップアップし、2014年と2015年にはJリーグベストイレブンに選出された。
日本代表としては7試合に出場。また、オランダのフィテッセ(2016-2017)やオーストラリアのパース・グローリー(2020-2022)など海外でプレーした経験も持つ。
町田が悲願のJ1昇格を成し遂げた2023シーズン限りで現役を退き、今年1月に「FC町田ゼルビア アンバサダー」に就任した。
小林悠
1987年9月23日生まれ
太田宏介とは麻布大渕野辺高校の同級生。チームメイトにお笑い芸人・ぺこぱのシュウペイがいたことも知られている。
小林悠は拓殖大学時代にMFからFWへコンバートされると得点センスが開花。特別指定選手として水戸ホーリーホックで2008年にJリーグデビューを飾った。
川崎フロンターレに内定後、ひざの前十字靱帯を断裂する大怪我を負うがそれを乗り越え、プロ2年目の2011シーズンには早くも11ゴールを記録。
川崎のエースストライカーへと成長し、2017シーズン、キャプテンとしてクラブ悲願の初タイトルとなるリーグ優勝を達成。個人としてもMVPと得点王に輝いた。
藤田譲瑠チマ
2002年2月16日生まれ
今後、「町田」の名を背負って世界で飛躍する選手になりそうだ。
ナイジェリア人の父と日本人の母の間に生まれた藤田譲瑠チマ。小学校時代は町田大蔵FCに所属しながらFC町田ゼルビアのスクールにも通い、その後、東京ヴェルディのアカデミーへ加入して2020年にトップ昇格を果たした。
プロ1年目からチームの心臓として活躍すると、徳島ヴォルティス、横浜F・マリノス、そして現在所属するシント=トロイデンと毎年のようにステップアップ。
世代別代表でも中心となり、パリ五輪ではキャプテンとしてU-23日本代表をけん引している。
藤野あおば
2004年1月27日生まれ
最後は、パリ五輪初戦となった世界王者スペインとの一戦で、目の覚めるようなフリーキック弾を叩き込んだ20歳。
藤野あおばは中学時代を日テレ・メニーナ・セリアスで過ごしたものの、メニーナには昇格できず。女子サッカーの強豪・十文字高校で成長し、2022年に日テレ・東京ヴェルディベレーザへと帰還した。
高校時代のフィジカル強化により万能アタッカーへと進化した藤野。特にシュートに関してはすでになでしこ歴代トップクラスの能力を誇り、ここのところプレースキッカーとしてその才能を開花させている。
今年6月にはマンチェスター・シティへの移籍が報じられており、パリ五輪での活躍とともに“その後”にも注目が集まる。