【週末映画コラム】歴史の「if」を描いた2本『もしも徳川家康が総理大臣になったら』/『お隣さんはヒトラー?』
『もしも徳川家康が総理大臣になったら』(7月26日公開)
新型コロナウィルスがまん延した2020年。首相官邸でクラスターが発生し、総理大臣が急死した。かつてない危機に直面した政府は、最後の手段として、歴史上の偉人たちをAIホログラムで復活させて内閣を造ることにする。
徳川家康(野村萬斎)を総理大臣に据え、経済産業大臣に織田信長(GACKT)、財務大臣に豊臣秀吉(竹中直人)、官房長官・坂本龍馬(赤楚衛二)、文部科学大臣・紫式部(観月ありさ)、法務大臣・聖徳太子(長井短)、総務大臣・北条政子(江口のりこ)、農林水産大臣・徳川吉宗(高嶋政宏)、厚生労働大臣・徳川綱吉(池田鉄洋)、外務大臣・足利義満(小手伸也)という偉人たちが集結した夢のような内閣が誕生する。
彼らが決して敵対することがないように、記憶も操作されていた。そんな彼らの圧倒的なカリスマ性と実行力に日本中が熱狂する中、アナウンサー志望の新人テレビ局員・西村理沙(浜辺美波)はスクープを狙い、坂本官房長官に接近するが…。
この映画の原作は、眞邊明人の同名ビジネス小説。監督は、古代ローマ帝国人が現代にタイムスリップする「テルマエ・ロマエ」シリーズの武内英樹。脚本は、埼玉県の自虐ネタを詰め込み、郷土愛と隣県同士のライバル関係を描いた「翔んで埼玉」シリーズで武内監督と組んだ徳永友一。ということで、歴史の「if」とタイムスリップ、誇張したコメディーの中に社会風刺を盛り込んだこの映画は、その二つのシリーズの延長線上にあると言ってもいいだろう。
大臣たちの活躍によって現実の政治や社会に対する問題提起が生じる場面もあるのだが、AIの発達によって、これは奇想天外なアイデアだと笑ってばかりはいられず、むしろあり得る話としての怖さも感じる。そこにこの原作や映画の狙いがあると思った。
大河ドラマ「秀吉」(96)以降、秀吉役がおはことなった竹中を筆頭に、それぞれの偉人たちのキャラクターもなかなか面白かった。
『お隣さんはヒトラー?』(7月26日公開)
1934年の東欧のある町。幸せそうなポーランド系ユダヤ人一家の日常が映る。一転、1960年の南米・コロンビア。ホロコーストで家族を失い、ただ一人生き延びたポルスキー(デビッド・ヘイマン)は、町外れの一軒家で孤独な日々を過ごしていた。
ある日、ポルスキー宅の隣の空き家にドイツ人のヘルツォーク(ウド・キア)が引っ越してくる。その青い瞳を見た瞬間、ポルスキーは、ヘルツォークが死んだはずのナチス総統・アドルフ・ヒトラーに違いないと感じた。
ポルスキーは、大使館に出向いて隣人はヒトラーだと訴えるが信じてもらえない。ならばとカメラを購入してヘルツォークの行動を盗撮し、ヒトラーに関する本を買い込んで研究し、自らの手で証拠をつかもうとする。
ヘルツォークの正体を暴こうと意気込んでいたポルスキーだったが、やがて、互いの家を行き来し、チェスを指すようになる。だが、2人の距離が少し縮まった時、ポルスキーはヘルツォークがヒトラーだと確信する場面を目撃してしまう…。
歴史の「if」の一つである、ヒトラーの「南米逃亡説」をモチーフに、実際に起こり得たかもしれない状況を大胆なアプローチで描く。
アウシュビッツ強制収容所の隣で平和な生活を送る一家の日々の営みを描いた『関心領域』(23)同様、また一つ新たな切り口のナチスによるホロコースト関連映画が誕生した。監督は、ロシア出身でイスラエル在住のユダヤ人であるレオン・プルドフスキー。
ポルスキーにとってヒトラーは憎んでも憎み切れない最大の敵。となれば彼の驚きや慌てぶりは分かるのだが、ひげを生やしサングラスを掛けたヘルツォークは、必ずしもヒトラーには似ていないように見える。だから最初はポルスキーの妄想なのではと感じさせる。それ故、証拠集めがエスカレートしていく様子はどこか滑稽に映り、コメディーのにおいがする。
そして、チェスを通して2人の間に友情らしきものが芽生え、不思議な関係に変化していくさまを見ていると、やはりポルスキーの妄想だったのかと思わせるのだが、これが終盤の“どんでん返し”に効いてくるのだから念が入っている。
この映画の最大の魅力は、ホロコーストの被害者とヒトラーが隣人になったらという奇抜な設定にあるが、ポルスキーとヘルツォークの関係の変化を見ると、一体憎むべきものとは何なのだろうと考えさせられる。プルドフスキー監督は「善と悪を単純に割り切るのは難しい」と語っている。
(田中雄二)