新ハリー役・吉沢悠にきく舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』~高いエンタメ性の中で描かれる、物語の核とは
2022年7月8日に開幕し、ロングラン上演3年目を迎えた舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』。
小説の最終巻から19年後、父親になった37歳のハリー・ポッターとその息子・アルバスの関係を軸に描かれる本作は、小説「ハリー・ポッター」シリーズの作者であるJ.K.ローリングが、舞台の演出を手がけるジョン・ティファニー、脚本を手がけるジャック・ソーンと共に、舞台のために書き下ろした「ハリー・ポッター」シリーズ8作目の物語。初めて”舞台”という手法を使って描かれ、世界中で好評を得ている。
3年目のハリー・ポッター役として7月19日(金)に初日を迎えた吉沢悠に話を聞いた。(編集注:取材はデビュー日直前に実施)
自身の初日を前に「初日を迎えた」と思うくらい、一体感あるカンパニー
――Wキャストでハリーを演じる平方元基さんは先日7月8日に初日を迎え、吉沢さんもいよいよ間もなく初日というタイミングです。現在の心境をお聞かせください。
不安は一切ないです。先日、平方さんが初日を迎え、カンパニーとしては3年目がスタートしているので、そういう意味ではもう自分も初日を迎えたような気持ちになっています。通常であれば自分の初日を始まりと感じると思うのですが、今回のカンパニーは、全体が動いた時に自分も一緒に心が動くような感覚です。ロングランでやっていく作品ですから、そういったカンパニーがつくれていることを改めて感じられたことは、いいスタートが切れたと思っています。
――そう思える人間関係や信頼関係はどのようにして築いてこられたのですか?
稽古場で誰かが頑張って人間関係を生み出す、ということが必要のない稽古場でした。演出のエリックさんと振付のヌノさんが中心になって、自然とみんなを巻き込んで、「最初から答えを求めなくていいから、いま考えられるものをとりあえずみんなで出し合ってみよう」みたいな時間があったんですね。日本で仕事をしていると、失敗することを怖いと思うこともあるのですが、全体を導くおふたりがその緊張をほぐしてくださるので、自然とみんなも「こんなことをやってみたらどうだろう」「こんなふうに考えているんだけどどうですか?」と話すことができました。そういう時間があったからこそ信頼関係を築けたと思います。
平方さんと話す時間が一番多かった
稽古場の様子/吉沢悠(左)と同じくハリー・ポッター役を務める平方元基(右)
――開幕前の会見では、吉沢さんと平方さんのハリーの違いは「自分たちではわからない」というお話をされていましたね。
そこはすごく不思議でした。稽古が始まるまで、Wキャストはそれぞれがそれぞれの作業をするのかなと思っていたのですが、平方さんと話す時間が一番多かったです。ハリーの解釈だったり動きの部分も含めて、たくさん話をしました。そういう過程を踏んでいったし、同じ演出を受けているので、似たハリーになるかなと思っていたのですが、周りのみんなが「違うハリー像ができあがってる」と言ってくれて。それを聞いて「お互いを尊敬し合って、いいところを吸収し合ってつくりあげていったハリーが、“それぞれのハリー”になったのであれば、それはいいカタチとして生まれているのかもしれないね」と話しました。
――やってる側としてはわからないものなんですね。
そうですね。同じ演出を受けているので。ただ要所要所で、平方さんにつけた演出を僕の時は言われない、ということもあったので。ちょっとした違いは、おそらくエリックさんが俳優個人が発したものを重要視して、その人にあったものをディレクションしてくださっているんだなと思っていました。
――吉沢さんのハリーは、周りの方からはどんな風に言われているのですか?
エリックさんがよく「吉沢さんのハリーはすごくチャーミングだから」っていう言い方をされます。自分ではチャーミングに演じようと思ってないので、どの辺がそうなんだろう?とは思うんですけどね(笑)。
“英雄”になったハリーが19年間をどう生きてきたかを想像した
――稽古を重ねていく中で見つけたことはありましたか?
物語全体に関して言うと、イギリスでこの舞台が生まれた時からテーマになっていることがあって、それは「どんな存在でも――ハリーのように魔法界に大きな影響を与えた英雄ですら、孤立すれば孤独を感じ、闇の世界に引っ張られる可能性がある」ということなんです。そこは台本でもすごく大事に描かれているからわかっておいてほしい、と言われて。そのテーマを聞いた時に僕は「今の社会に似ているな」と思いました。だから魔法界という非現実的な世界の中にも我々が共感できるものがたくさん盛り込まれているんだな、と。この作品はエンターテインメント性が高いのでそちらがフォーカスされやすいんですけど、核は芝居なんだということも感じました。
――ハリーという役に関してはどうですか?
稽古の中では「イギリス人の気質を理解してほしい」と言われていました。全員がそうではないでしょうけど、イギリス人の気質に、自分の気持ちとは裏腹な行動をしてしまう、というものがあるそうなんです。例えばハリーで言うと、本当は愛の気持ちを伝えたいのに表現が下手だから怒ってるようになってしまう、とかね。日本人にもこの気質、ありますよね。劇中で、ハリーとドラコ・マルフォイがお互い素直に気持ちを表現できないから「じゃあ決闘だ!」みたいなシーンがあるんですけど、それもなんか武士みたいですしね(笑)。イギリス人にもそういう気質があるのは、僕にとっては稽古場で新しく発見できたことでした。あとは、ハリーがこんなにも孤独を感じるキャラクターだったんだということも、やっていて気づきましたね。
稽古場の様子
――孤独を感じるのはどうしてなのですか。
エリックさんに投げかけられた問いがあるんですけど、ハリーは幼少期に(両親を亡くして)親の愛情を知らずに育ち、11歳でホグワーツ魔法魔術学校に入って、急に英雄みたいな感じになった。思春期のまだ自分が形成されていない時に“英雄”という冠がついてしまい、さらにヴォルデモート(最大の敵)を倒して魔法界全体がハリーを認め、それ以降はおそらくどこに行っても「ハリー・ポッターだ」と言われるようになる。大きな出来事でなくても、ハリーになにかあればすぐ新聞に載るような、(シリーズ前作の時代から今作の時代までの)19年の間もずっとそういう存在としていたと思う、と。「そういう人物がどうやって生きてきたかを考えてほしい」って言われたんです。おそらく“ハリー・ポッター”という仮面を自分自身でかぶっているのではないかと。本人は気付かないまま。
一歩街に出たら「ハリー・ポッターだ」って言われるし、もしかしたら家族の中でもハリー・ポッターでいるのが自然になっているのかもしれない。息子に対してもハリー・ポッターとして接してしまうから、息子はお父さんの本質を知りたくて「もっと僕を見てほしい」って言う。ハリーはちゃんと見ているつもりなんだけど、息子からすると”ハリー・ポッターとして”見られている気がする。すごく繊細な子ですからね。それで生まれるすれ違いがある。だから意外と周りのほうがハリーのことを見てくれているんですよ。それにハリーが気付いていないというのは、作品としてはおもしろさかなと思います。
――気付いてないハリー本人はけっこう辛いでしょう?
そうですね、辛いです。でもその心のザワつきみたいなものがハリーという人間の厚みを増す要素のひとつかなとも思っています。あとは劇中にハリーにとっての救いのようなシーンもあるので、そこでバランスが取れていたりもします。
僕のクローク(ローブ)さばきの半分は平方さんでできています
――つくっていく中で乗り越えなきゃいけなかったことはありますか?
まだシーンが深く掘り下げられてない段階ではいろいろ悩んだり考えたりしたところはありましたが、稽古の中で丁寧に構築できたのでその辺は解消できたと思います。難しかったのはクローク(ローブ)さばきですね。やってみると結構難しいことがわかりまして。そこは平方さんが、海外作品の経験も多いので所作も美しいんですよ。だから僕のクロークさばきの半分は平方さんでできています(笑)。もちろん動きを見てくださるヌノさんもしっかりつけてくださるんですけど、平方さんからもかなりヒントをもらいましたね。
――ちなみに最初におっしゃった構築するまで悩んだり考えたりしたところって、感情面ですか?
そうですね。どういう思いでこの言葉をかけているのかなとか。あとはやっぱり(ハリーの妻の)ジニーとの場面とかは、ハリーが弱くなる、”ハリー・ポッター”でいられない瞬間もあるので。そこは「どんな感じなんだろう?」というのはありました。
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――感情面に関しては、妻ジニーや息子アルバスがWキャストなので、その組み合わせでもまた変化が生まれそうですね。
そこはすごくおもしろいところです。アルバス役の2人(佐藤知恩/渡邉 蒼)は、佐藤知恩くんが20代で、渡辺蒼くんが10代なんですよ。僕自身の実感としても、10代と20代って結構大きい差があると思うんですね。その差がいい具合に違いを生んでいるのもいいなと思います。ジニー役の大沢あかねさんは、ウィーズリー家のお母さんのような活発さがあるんですけど、「ハリーをどうにかして支えよう」みたいな接し方な気がします。白羽ゆりさんは継続キャストなので前のディレクターに演出されているという違いもありますし、なんか『母ちゃん』感があるというか。はいこれやって!はいあれやって!あなたお父さんでしょ!みたいな。そういうチャキチャキした感じのあるジニーです。それぞれが生み出したキャラクターが違っていますし、組み合わせでさらに違いが生まれますから、一回として同じ空気になることはないんじゃないかなと思います。
――キャストの違いを楽しむのはこの作品の醍醐味のひとつですね。
キャストに関して言うと、アンサンブルのみなさんもかなり新キャストになっているんです。すごく大変な役割を担っていて、客席から観えないところでもやることがたくさんありますし、2階席で観ると特によくわかるんですけど、アンサンブルの人たちがすごいエネルギーを持ってワッと入ってくることで、舞台上が動くんですね。それをつくる彼らも今回僕らと一緒にゼロからスタートしているメンバーが多いので、きっと「このシーン、こんな感じだっけ!」と新鮮に感じられる瞬間もあると思います。
ラストシーンは託されている
――稽古の中でエリックさんに言われて心に残っていることはありますか?
ハリー、ハーマイオニー、ロンが揃うと、シリーズを観ている方からすればやっぱり映画のあの仲がいい3人なんですよね。そんな3人が大人になっても近くにいて、会えばやっぱりああいう空気になるんだなって描写が今回の舞台にもあって。ただ、ハーマイオニーってハリーの上司なんです。そこでエリックさんに「(人事に関して)ハリーはそれでいいと思っているんだけど、どこかで上司としてのハーマイオニーの言葉にイライラしてる」ってことを言われて。「わかるけどさ」みたいな(笑)。実際、ハーマイオニーの言ってることは正論なんですよ。職務をきちんと全うしているだけ。でもハリーは少し子供っぽいところがあって「ハーマイオニーにそんなこと言われたくないよ」みたいな部分がある。それをふたりのシーンでやっていいよって言われたので、考えていろいろやってみてたんですけど、「チャーミングでおもしろいんだけど、全部もっていくからちょっと押さえようか」って言われて(笑)。
――(笑)。やりすぎたんですね。
やりすぎちゃいましたね(笑)。
――観てみたかったので残念です(笑)。吉沢さんご自身が幕が開いた先で楽しみにされているのはどんなことですか?
最後のシーンです。実は最後のシーンはほぼ演出がついていないんです。この作品は世界中で上演されているので、核の部分はひとつの共通認識があって、そこはもうほんとに細かくつくっていきました。だけど最後のシーンだけは「ここまでやってきたから生まれるモーメントがある」と。その日に生まれたものでやっていいと言われているんです。僕はまだ実際に舞台に立っていないのでわからないんですけど、先に立った平方さんが、「自分でも、え?ってところで気持ちが溢れてきて涙が出てきそうになった」と言っていて。そういうことが起きるだろうなと思うと、楽しみですね。
――制作陣からの信頼を感じるエピソードです。俳優に対してもですし、演劇に対してもですし。
そうですね。「あなたたちがこれだけがんばってきたんだから、このシーンは渡します」っていう信頼を感じました。
取材・文=中川實穗 撮影=中田智章