「四季報丸写し」が会社員人生に与える驚きの変化
山川隆義(やまかわ・たかよし)/ビジネスプロデューサー合同会社代表社員、株式会社HEROES ENTERTAINMENT代表取締役CEO。京都大学工学部卒、同大学精密工学修士(生産システム専攻)。横河ヒューレット・パッカード(現在の日本HP)、ボストン コンサルティング グループ(BCG)を経て、ドリームインキュベータ創業に参画。2005年取締役副社長、2006年代表取締役社長を経て、2020年6月より現職。著書の『瞬考』でも四季報写経の効能について説明している(撮影:尾形文繁)
「四季報写経」をご存じだろうか。これは『会社四季報』に書かれている主要項目をスプレッドシートにコツコツと書き写していく修行のこと。書き写しながら気になった銘柄について情報交換をする輪が静かに広がっており、インターネットテレビのアベマでもニュースとして取り上げられた(3カ月で1400社!? “四季報写経”行う女性)。このムーブメントの震源ともいえる中心人物に、四季報写経の効能について話を聞いた。
「四季報書き写し」を始めた理由
ーー山川さんは『会社四季報』の内容をスプレッドシートに書き写す「四季報写経」を提唱しています。四季報を書き写すことで得られる効能について教えてください。
私は大学院を卒業後、横河ヒューレット・パッカード(現在の日本HP)に入社しました。そこで半導体計測装置の研究開発をやるはずが、瞬く間に日米半導体摩擦の煽りを受け、半導体不況になってしまいました。いくつかの部署を転々としてUNIXコンピュータのシステムエンジニア(SE)になった後、ボストン コンサルティング グループ(BCG)に転職。その後ドリームインキュベータの創業に参画し、社長を務めていました。
四季報の書き写しを始めたのは横河ヒューレット・パッカード時代です。UNIXのSE職に異動後、とにかく暇でした。なぜ暇かというと、当時のUNIXマシンは市場に出たばかりで、信頼性が薄く、たいして仕事がありませんでした。
今はSEの皆さんは大変忙しいですが、当時は大型コンピューターからダウンサイジングと称してUNIXマシンが出現し、値段が100分の1とか1000分の1ぐらいにまでなっていました。何十億円もする大型コンピューターには、SEのコストもセットでついていましたが、ここまで安くなってしまうとSEのコストを負担できなくなってしまったのです。
何もしてないと、給与泥棒扱いされ評価も下がるので、「ちゃんと仕事を取ってこい」って上層部から言われるわけです。まだ26〜28歳ですから、サービス対価で仕事なんか取れるわけありません。一度も営業なんてしたことがありません。そんなこと言うなら、部長や課長が仕事とってきて見本を見せろ!といつも文句を言っていました。かなりめんどくさい社員だったと思います。
とにかく暇な状態が3年ぐらい続きました。そんなとき、当時、よく面倒を見てくれる先輩がいて、心配してくれたのです。大学院を卒業したやつを暇にさせておくと、ろくなことがないと思ったのでしょう。『会社四季報』をたくさん渡して、「君、これを片っ端から入力して、どこの会社が儲かっているかを調べて、君の作ったミドルウェアを売り込んでみたらどうか」と。
ーー最初は、売り込み先を探すための写経だった。
儲かっている会社を見つけ出して、そこに売りに行く。儲かっている会社に行けば、500万円ぐらいのソフトウェアなら買ってくれるんじゃないかと思ったのですが、結局1つしか売れませんでした。
当時はまだ26〜28歳で、画期的だと信じているソフトウェアの機能の説明ばっかりやっていたので、さっぱり売れませんでした。「こんなすごい機能なんですよ、画期的でしょ。プログラム言語も、フォーマットも、OSも関係なくプログラム間通信できるんですよ」って一方的に説明しましたが、当時はまったく意味不明だったようです。
とはいえ、ひたすら『会社四季報』を入力するということを、1993年から半年ぐらい集中的にやりました。その後は継続メンテナンスモードです。とにかく暇すぎて、広告欄も、前書きも、全部舐めるように読んでいました。それでもいよいよ暇なので、これは辞めようということで会社を辞めて、BCGに転職しました。
BCGに入ると、周りのみんなはハーバードのMBAとかスタンフォードのMBA。私だけが理系の大学院上がりでした。14人くらいが同じ年に入ったのですが、MBAなし、海外留学なし、というのは私だけでした。これはやばいところに入ったな、と思いました。
ところが入社して半年ぐらいから急激に、『会社四季報』を書き写していたことが、むちゃくちゃ役に立ち始めました。かなり早めに昇進して、あっという間にそこそこ偉くなりました。1998年〜1999年ごろ、BCGに入って3年目から4年目にかけて、精密機械メーカーやコンピューターメーカー、証券関連などからプロジェクトをいくつか自分で受注してしまい、まだパートナーにはなっていなかったので、他のパートナーの方に仕事を配るという状態になっていました。
その大きな原因は、やっぱり『会社四季報』をせっせと写経したからだと思います。他にはあまり思いつきません。
業界の変化が自然と見えるようになった
ーー具体的には何が役立ちましたか。
最大の幸運は、まずいろいろな事例が頭に入っていたということです。
多くの企業の全体像を頭にインプットしてるので、この業界のこういう会社が伸びてきたら、この後はこういう業界が伸びていくぞ、といったことがわかるようになっていました。10年分ぐらいの四季報を入力していたので細部が見えてきます。
例えば、自動車メーカーが儲かってくると、部品メーカーもそれに合わせて儲かるっていう当たり前のことも、実際の具体的な社名を含む形で頭に入ってきます。景気が良くなったら不動産業界がみんな良くなるんですけど、景気が傾くと、真っ先にそこがダメになっていくといったことも、四季報写経を通じて頭に整理されました。こうした変化や動きを時系列で理解できている人は、実は多くありません。
また四季報を写経していると、マザーズ(現在のグロース市場)に上場している企業の情報もどんどん入ってきます。新しいビジネスについては、年配の方はそれほど知らないので、こちらのほうが知識が豊富でした。よって、「多くの企業経営者が知らないことだけれども、本来であれば知っておくべきこと」を伝えることができました。だからコンサル先の経営者にそれなりに重宝されたのだと思います。
どこの会社が過去に何をやったのか、それはうまくいったのか、結局ダメだったとか。そういうことが『会社四季報』のコメント欄に書かれています。コメント欄に書かれていることは記者の皆さんが取材をした内容。その取材の蓄積を入力することで、自分自身の地頭の栄養分になったわけです。
これが本当に効きました。ハイテク専門だったんですけど、情報、通信、金融、消費財、エンターテインメント。当時どの分野でもオールマイティでコンサルティングをできたのは、『会社四季報』が10年分くらい頭に入っていたからです。
ーーそこで、「四季報写経」を部下にも勧め始めた。
BCGの時はあまり言わなかったのですが、ドリームインキュベータに移ってからは言い始めました。絶対に『会社四季報』を覚えたほうがいいよと。
当時、若手社員は仮説やフレームワークを論じている本を読んでいましたが、頭の中にデータがなければ、いくら仮説本を読んでも使い方がわかりません。データを先に頭に入れちゃったほうがいいよ、というのが私の考えでした。みんな地頭はすこぶる良いのだから、そこにデータという栄養分を与えれば仮説がバンバン出てくるようになる。良質なインプットをすることが大切、ということです。
でも、当時は写経とはいわずに「四季報を丸暗記しなさい」って言っていました。この言い方がよくなかったかもしれません。覚えるなんて無理!ということでほぼ誰もやる人はいなかったようです。
「四季報写経」のムーブメントは急拡大中
それがすっかり変わったのは、平田智基さんや四季報写経ウーマンさんがSNSなどを通じて四季報写経の効能を説くようになってからです。
テンプレートも用意してあるのでハードルがガーンと下がりました。これまで20年以上、私がいろいろ騒いでも誰もやらなかったのに、今現在は500人ぐらいの人があちらこちらで『会社四季報』を写経し出すというムーブメントが始まりました。
四季報写経の中心メンバー。中央が平田智基さん(イーストベンチャーズ勤務)、左が四季報写経ウーマンさん。平田さんは山川さんのnoteの記事を読んで、四季報写経を開始。「日本のGDPを引き上げるために四季報を配る」という活動を行っている。四季報写経ウーマンさんは平田さんから四季報をもらって四季報写経を始めた(撮影:尾形文繁)
ーー最初にイベントを行ったのは?
昨年夏に平田君から「山川さん、8月の真夏の日曜日に『四季報』の勉強会をやるので来てください」と言われて顔を出しました。どうせ3人か4人ぐらいで、ピザでも食べながらやるのかなと思っていたら、150人ぐらい来場するというではないですか。驚きました。本当に集まっていたんです。
みんな黙々と『会社四季報』を持ってきて写経するという、もう見たことのないような光景が繰り広げられていて、不思議な光景でした。
その後、正月明けてすぐ、もう一度、四季報写経会の講師を頼まれました。またそこでも60名の方が休日の朝から写経をしに集まっていました。これはなんか、おかしなことになってるなと思っていたら、今度は3月から四季報写経ウーマンがどんどんと写経していることが、X(旧Twitter)で流れてきました。
しかも、彼女は写経をした結果、仮説がバンバン湧いてくるようになって、深い洞察ができるようになっていました。彼女のXを見た人たちが「これはすごいぞ」「自分もやれば仮説が湧くかも!」ということで、さらにそこに人が集まるようになり、現在に至っています。
最近はこの3人で株式会社四季報写経を設立して、法人向けセミナーをスタートしました。四季報写経のやり方から、効能、仮説構築へつながる方法論などについてコンサルティングなどを開始しています。
300社書き写すと変化を実感できる
ーー何社くらい書き写すと、変化が出ますか。
私の考えでは300社ぐらいです。100社でも変化を感じる人はかなりいると思いますが、本音は300社なんです。ただ300社はややハードルが高いので、講演などでは100社って言っています。そのぐらいに抑えないとやる気が失せるので。まずは100社、そして300社と話しています。
300社くらい写経すると、いろんなデータの関連が見えてきます。資本関係とか取引関係とか。あと新聞などのニュースを読んでいても、「あ、この会社、四季報でみたぞ」っていうのが出てきます。大切なのは、1つの会社に興味を持ったら、さらにその周辺を調べることです。
若いうちは1を聞いて10調べるっていうことを繰り返さなければダメです。1を聞いて10を知る人は、1を聞いて10調べる人です。私のように年を取ってくると、だんだん調べることが億劫になり、1を聞いたら10自慢するっていうことになっちゃうけれども、若い人はとにかく調べる必要があります。つまり書き写す+さらに調べるです。
1を聞いて10を調べるっていうことを繰り返すと、どんどん栄養が頭の中に入っていきます。私自身も今年59歳なので、情報をどんどんインプットしないと、枯れたアウトプットしか出てこなくなってしまいます。
エンジンの排気量が大きくても、ガソリンを入れないと走らない。すごく肥沃な土地も、しばらく収穫を繰り返すと、肥料がなくなってダメになっちゃう。これとまったく同じことで、新たな情報という栄養が入らない限り、荒れ地化します。とくに若い方には、なるべく早く写経を始めたほうがいいよと話しています。とにかくアウトプットを気にせず、ひたすら情報を頭にぶち込む期間を作るべきだと思います。
ーー個別銘柄だけでなく6〜7ページの「業種別業績展望」も重要だとか。
たぶんほとんどの人が見ていないと思いますが、この冒頭の2ページは非常に重要です。書き写している企業が、業界平均と比較して良いのか、あるいは悪いのか、ということを意識することが大切です。
あともう1つ、個別銘柄ページ以外に重要なものがあります。それは広告です。四季報にどのような会社が載っているのかをちゃんと把握してほしいと思います。
四季報に広告を載せるっていうことは、経営者がそうとう自信を持っているはずです。これから業績がガタガタになるのであれば、そんなところに広告を載せている場合じゃないので。広告を出している会社を写経してみると面白いと思います。
時間と量の積分値は大きな武器になる
ーー継続の大切さも説いていますね。
シニアにあって、若者にないのは、長い歴史と過去の経験です。しかし、これも四季報写経を過去から行うことで、過去の経験とデータを一気に得ることができます。皆さんの先輩方が蓄積したデータを全部栄養分として吸収できるのです。
そして、継続することが大切です。差別化というものは基本的に時間と量の積分値。積分値となった差別化というものには、そう簡単に追いつけないので、本当に強いのです。
ーー株式投資にも役立つと思いますか。
絶対に役立つのですが、私自身にはちょっと苦い経験があります。15年ほど前に、持続的に成長を続けるに違いないとの仮説を立ててアスクルやモノタロウ、10年前は米国四季報も写経していたので、AMD、NVIDIAなどの株式を購入したことがあります。PCはインテル、携帯はクアルコム、AIや自動運転はNVIDIAと仮説を立てました。2015年のドリームインキュベータのセミナーで発表もしました。ところが、上がり始めてしばらくすると、欲にまみれてすぐに手放してしまいました。
株価が少し上がり始めると、どうしてもこのくらいで利益を確定させてしまいたい、と考えてしまいます。今振り返ると、AMDやNVIDIAは本当に惜しい魚を逃したな、と思います。四季報写経によって強い仮説を持つようになれば、自分を信じて少なくとも10年くらいは握り締めないとダメなのでしょう。
でも、それがけっこう難しい。本家の般若心経を毎日写経することで、欲に負けない精神力を鍛えないといけないのかもしれません。
(山田 俊浩 : 東洋経済 記者)