客引きから「ショバ代」集金、覚せい剤に溺れて「破門」…元ヤクザ・遊佐学さんが語る「歌舞伎町」の今昔
少年院と刑務所に合計3度入ったことのある遊佐学さん(49)は、20代半ばからの約5年間、東京・歌舞伎町に事務所を構える暴力団の構成員だった。この町に住み、客引きをする女性からショバ代を集める仕事などをしていたが、徐々に覚せい剤に溺れていった。
マンションから飛び降り、右足が不自由となったことで「破門」になったが、今でも定期的に歌舞伎町に顔を出す。非行少年らを支える立場となった遊佐さんと「日本一の歓楽街」を歩き、街や自身の生き方の変化を聞いた。(ジャーナリスト・富岡悠希)
●覚せい剤の影響でビルから落下、右足に後遺症が残った
筆者が遊佐さんと会うのは、今回が2度目。最初はコロナ禍の2021年12月、歌舞伎町で女性支援をしているNPO法人「レスキュー・ハブ」(坂本新代表)の事務所だった。
坂本さんから「『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系列のドキュメンタリー番組)で取り上げられている方ですよ」と紹介を受ける。遊佐さん本人から簡単に経歴を教えてもらうと、たしかに劇的だった。
穏やかな話し方と時折見せる柔らかい笑みからは、にわかには想像しがたい。その分、「いつかじっくり話を聞きたい」と印象に残った。
歌舞伎町は昨今、悪質ホストや大久保公園周辺での客引き、トー横キッズなど、ニュース報道の現場で、筆者も取材で訪れる機会が増えている。
一学年上の遊佐さんから町の変わりようを聞いてみたくなり、連絡を取った。
7月5日午後6時、JR新宿駅東口から歩いて5分の距離にあるディスカウント店の前で待ち合わせる。
「どうもお久しぶりです」
2年半ぶりに再会した遊佐さんは、こう発すると、右手を差し出してきた。あいさつを交わし、取材の流れを確認してから歩き始めたが、ほんの数分で2人とも汗だくとなる。気温35度を記録した日のため、ともかく暑い。
そして金曜でもあり、日本人や訪日外国人が共に多い。飲食店を目指して足早に追い抜く人たちもいる中、遊佐さんは右足を引きずるようにしながら、ゆっくりと歩いていく。
29歳だった夏のある日、遊佐さんは当時住んでいた歌舞伎町のマンション5階から地面に落ちた。日に数回も使用するようになった覚せい剤の悪影響で「頭がおかしくなっていた」。
ベランダにあった鉄格子にぶら下がり、そのままアスファルトへ。幸い命に別状はなかったが、右足の骨が粉々になり、その後遺症が残っている。
●歌舞伎町はホストよりヤクザが目立つ街だった
「歌舞伎町一番街」と掲げてあるアーチの下で写真を撮ったあと、東急歌舞伎町タワー(歌舞伎町1丁目)前のシネシティ広場に向かう。ここにたむろするトー横キッズが補導されるたび、ニュースに出る。遊佐さんや筆者の世代は「新宿コマ劇場前の噴水広場」だった記憶を共有している。
「キッズたちもそうですが、今の歌舞伎町は10代から20代の若い人が多いですよね。昔はもっとサラリーマンで賑わっていましたね。コマ劇前に大学生とかはいたけど」
「あとは旅行者ではない、イラン人とか中国人もいましたよね。オレらのようなヤクザも、もっと目立っていました。ホストは今よりは少なかったですね」
北側に歩みを進め、新宿区立大久保公園の周辺道路に入った。ここ数年、客引きをする女性と、買ったり冷やかしたりする男性の双方が激増し、日によってはカオス状態になる。外国人女性が立っている通りもあるが、女性の中心は日本人だ。
「20数年前は、ほぼタイ人とか韓国人の外国人でしたよ。ごく少数いた日本人は、30歳代以上という記憶です」
遊佐さんがいた組は、彼女たちからショバ代を集めていた。「代金は、日本人・外国人を問わずストレートは5千円、ニューハーフは3千円。他の組員と手分けして、2人で回収することが多かった」という。
「たまに『もう払った』とか言って、ちょろまかそうとする女性もいたけど、払わない子はいなかったですね。オレの前の担当が、未払いの女性に厳しくあたったそうですから」
女性が多かった金・土曜には、ショバ代は合計で20万円にもなったとのことだ。
●暴走族でケンカに加わって少年院送りとなった
次は遊佐さんが住んでいたマンションに向かうため、歌舞伎町2丁目の東側に向かう。途中、ラブホテル街を通り過ぎる。
「ここらはラブホ街で変わらないけど、雰囲気は明るくなりましたよね。前は、いかにも、コソコソ入るエリアだったのですが」
こんな言葉を聞いたとき、少し前を歩いていた若い女性と中年男性のペアが、左側のラブホテルに入った。手をつなぐこともなく、微妙な距離感だったことから察するに、パパ活か客引きで間違いない。
そうこうしていると、1978年から営業を続ける「新宿バッティングセンター」に差し掛かる。前にある大き目の駐車場に「組の車を止めていました」(遊佐さん)。暴力団に入った当初、運転手をつとめていたという。
そこからすぐの所に、遊佐さんが転落したマンションがあった。5階の高さは想像以上だった。
家庭環境に大きな問題があったわけではないが、遊佐さんは地元・栃木にいた中学生のときから、タバコやシンナーを覚えてしまう。高校に行かずに入った暴走族でケンカに加わり、18歳のときに少年院送りとなる。
半年で出てきたあと、20歳のころから1年間、歌舞伎町で「ぼったくりバー」の店員などをして過ごした。地元に戻るが、やりたいことが見つからず、覚せい剤を覚えてしまう。
そこから抜け出すために環境を変えようと、25歳のときに戻ってきた。ヤクザとなったのは、その組に地元つながりの縁があったからだ。
しばらくは覚せい剤から距離を取れたが、遊佐さん曰く「脳が覚えてしまっていた」。ときを経るごとに依存が強まり、結局、事故を起こしてしまう。
●塀の中で聖書を読み始め、出所後は非行少年を支援
退院後、このときの覚せい剤使用で最初の刑務所行きとなる。この服役ではやり直せず、出所の2年後、売人として扱っていた覚せい剤所持の罪で2度目の刑務所送りとなった。
ようやく、ここで光が差す。塀の中で、『悪タレ極道いのちやりなおし』(講談社)を手にした。著者の中島哲夫牧師も元ヤクザで覚せい剤の使用歴があった。初めて、心から「人生をやり直したい」と思えた。
刑務所の中で聖書を読み始め、出所後に通った教会で洗礼を受ける。2013年7月のことだ。そこから徐々に人生にあがく人たちを支える側に回る。
2022年8月には、非行少年たちの社会復帰支援を担う一般社団「希望への道」を地元の栃木に設立した。
そして今は、少年院を出た子どもたちを受け入れる自立準備ホームの設立を目指し、8月上旬までクラウドファンディングで活動支援金を集めている。
クリスチャンとなった遊佐さんは、聖書の「マルコによる福音書9章45節」の次の言葉を心の支えとしている。「両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかるほうがよい」。
遊佐さんは取材の最後、歌舞伎町をこう表現した。
「今も昔も、カネがうごめく欲望の街であることは変わらない。夢を見させてくれるけど、夢に破れる奴らも生む。だからこそ、若い人たちを惹き付ける。良い悪いで語れる街ではない。若かったオレは、ここが好きだった。結局、何も見つけられず、足の自由を失った街だけど、またちょくちょく来ますよ」