年を重ねることは、自分を抑え込むことではありません。楽しみを求める新たなチャンスです。今まで50万人の悩みと向き合ってきた、92歳の聖心会シスター・鈴木秀子さんは、「年を取ったら、自分自身を大切にする。それはわがままなことではありません」と話します。今回は鈴木さんの、人生100年時代を軽やかに生き抜くヒントをご紹介します。

もう「だれかのため」に生きなくていい。自分をいたわって

歩くのが大変になってきたから、習い事をやめる。健康のために食べたいものをがまんする。耳が遠くなってきたから、お友達とのおしゃべりをあきらめる。食が細くなってきたから、家族との外食をあきらめる。年を取ると、体力も気力も衰えてくるのは自然の摂理ですから、抗(あらが)うことはできません。

でも、なにかをあきらめたり、がまんするのではなく、どうか「年を取るほど自分を押し殺さない」、この言葉を自分に言い聞かせてください。

あなたはこれまで、親のため、子どものため、家族のため、仕事のためなど、だれかのために十分に生きてきました。だからそろそろ残された人生を、自分のために生きてもいいのですよ。

年を取ったら、自分自身を大切にする。それはわがままなことではありません。もっともっと自分をいたわってください。

だれかと食事をともにする喜びを大切にする

私の食事について言うと、幼い頃は、ものがない時代でしたから、好き嫌いはありません。ちょっと野菜が苦手なだけです。栄養的にこれを食べるとよいとか、これを食べると体に悪いとか、あまり考えずに、「食べる喜び」を味わうようにしています。

食べることは、生きること。
生きることは、食べること。

食べ方には、その人らしさがあらわれます。ともに食事をすることは、その人のあるがままを受け入れること。

食事をすることは、それほど私たちの人生でかけがえないことではないでしょうか。
ですから、食事のときはたくさんお話しします。食事は、生きていく楽しみをともに味わう場ですから。

同じ釜の飯を食うという言葉があるように、楽しく一緒に食事をすると、なぜか心を許し合えて、まるで人生の苦楽を共にしたような気がするものです。

修道会で私と一緒に生活をしている人たちは、多くが海外で生活した経験をもっています。海外では食事中のコミュニケーションをとても大切にします。

高齢者施設は、それぞれが個室で時間を過ごし、食事や活動は他の入居者とともにするという生活スタイルですから、目的は違えど私の暮らす修道会の暮らし方に似ているように感じます。

「元気の秘訣」は、目の前に出された食事を楽しむこと

私は食事をするとき、決めていることがあります。それは、今日あった嫌なことを思い返さない、ということです。

そのためには、目の前に出された食事のことを考えます。「このニンジンは、どんな農家さんが育てたのかしら。ありがとう」と感謝したり、「お米が実った黄金色に輝く秋の田んぼを見てみたいな」と自然に思いを馳せたり、「今日はつくったことがないレシピに挑戦できたわ」と自分をほめたり。

目の前の食事を楽しむことが元気の秘訣だと感じています。目の前に話す相手がいないときは、亡くなった両親やパートナー、遠くで暮らす家族など、話す相手を心に決めて語りかけます。

生きているときはどんなに厳しくて口うるさい親だったとしても、もうあなたを否定することはありません。亡くなった方は、絶対的に肯定的だからです。

「お母さん、このニンジンは甘くておいしいね」
「このレシピに新しく挑戦してみたの。どう?」

こんなふうに話しかけてみるといいですよ。ひとりで食事をする人であれば、だれに遠慮することもありません。いつ食べてもいいですし、どんなふうに食べてもいいのですよ。最後にもう一度。年を取るほど自分を押し殺さないでくださいね。