長谷部誠(フランクフルト)が今シーズンかぎりでの現役引退を発表した。

 長谷部は「今、発表するのは、残りのシーズンに集中するため。6位以上でフィニッシュしたい」と5試合を残して発表した理由を語った。

 長谷部が引退を発表した会見は、そもそも『引退発表記者会見』と銘打たれたものではなかった。クラブからの案内は、単なる長谷部誠の記者会見として。だが、シーズン中の週なかばに選手の単独記者会見が行なわれるのは、不自然なものだ。


長谷部誠の引退会見の背景には「ありがとう、マコト!」の文字 photo by ©Eintracht Frankfurt

 現在のフランクフルトは、目標である6位を死守するのに必死だ。今週末には7位アウクスブルクとの直接対決を控えており、士気を上げたいところでもある。4月15日の時点でビルト紙が「アイントラハト(フランクフルト)は6位以上を目指すべく、ふだんは試合2日前に監督だけが会見を行なうが、今週はケビン・トラップと長谷部誠も現状に喝を入れるべく会見する」と報じていた。

 とはいえ、負傷中のセバスティアン・ローデに変わってケビン・トラップが会見するのはありそうなことだが、チームの士気を上げるためだけに長谷部まで会見を行なうのは、やはり不可解だった。

 引退発表があることは、会見が始まってようやくわかったことだった。長谷部は、「引退について、娘は何と言っていた?」という質問に対して、「実は、娘にはまだ話していないんです。話してしまったら、学校でバラしてしまうと思うから」と、会見まで周到に準備してきたことを明かした。

 この日の長谷部は、日本人プレーヤーや海外組ではなく、フランクフルトの一員として、もっと言えばブンデスリーガのいちプレーヤーとしてふるまっているように見えた。これまでもそうだったが、ドイツメディア向けに用意された今回のような記者会見で、長谷部はドイツ語以外を発さなかった。

 日本人記者からの質問にもドイツ語で答える徹底ぶりには、長谷部がいかにドイツ社会に馴染もうとしてきたか、そのスタンスの一端が垣間見える気がした。多くの外国人選手はドイツにいても英語ですべてを通すことが少なくないなかで、長谷部はある種の覚悟を決めているのだろう。

【日本サッカーのために...という前提ではない】

「マルクス・クレッシェ(スポーツディレクター)らと話していて、詳細はまだ決まっていないけれど、アイントラハトに残る方向です。それはとてもうれしいこと」

「もう少し長くドイツに残ることになると思う。休暇で親の顔を見るために帰国することもあるけれど、ドイツでコーチングライセンスを取得したい」

 会見で長谷部は、今後のプランを明かした。それはブンデスリーガ監督への挑戦を公言したようなもので、しばらくの間はドイツで新たな道を歩むことになる。

 2022年にクラブと5年契約を結んだ際、長谷部のコメントが印象的だった。

「日本サッカーへの還元はあまり期待しないでほしい、というのが正直なところです。ただ、日本サッカー界のことを考えれば、たしかに時代の流れで選手がどんどん海外に出てきて、指導者もヨーロッパで指導できる人材が増えてくればいいかな、それも自然な流れかなと思います」

 すでにドイツで、コーチングライセンス講習を受けていることに触れながら話した。

 長谷部といえば「日本代表の主将」のイメージが強く、日本代表のことを第一に考えていてくれているに違いないという幻想を彼に押しつけていたことを、逆に気づかされたひと言だった。

 将来について、日本代表に関わるだけでなく、ドイツや欧州でキャリアを構築する権利があるのは当然だ。とはいえ、日本からの期待にも目配せを忘れなかった。

「最終的に日本サッカーのためになればうれしいですけど、日本サッカーのためにこっちで指導者をやろうという前提があるわけではないんです」とも話していた。

 今も気持ちは、その当時と変わらないだろう。今はまず、ドイツでの監督就任チャレンジに取り組む。

 先週末のシュツットガルト戦に出場した時点で40歳86日だった長谷部は、ブンデスリーガ最年長出場ランキング5位にその名を刻んだ。まぎれもなくフランクフルトを代表する現役選手ではあったが、引退しそうな雰囲気はかなり前からただよっていた。

【肉体的、精神的、思考力も衰えを自覚】

「長い間、引退の時については考えてきました。5〜6年前くらいから、ですかね、ずっと考え続けて、今が適切な時期だと思いました」

 長谷部をずっと見てきた側としては、30歳で迎えた2014年のブラジルワールドカップを終えたあと、そのタイミングはいつ来てもおかしくないと思っていた。

 だが、転機は2016年、ニコ・コヴァチのフランクフルト監督就任だった。長谷部をリベロに据え、チームは上昇気流に乗り、長谷部の評価も高まった。コヴァチの2シーズン目にはドイツカップで優勝。そして2018年のロシアワールドカップを機に、長谷部は日本代表を引退する決断を下した。

 2019年にコヴァチが解任された以降も、その次のアドルフ・ヒュッター監督もオリバー・グラスナー監督も開幕序盤は長谷部を先発から外したが、シーズンが進むにつれて彼に頼らざるを得なくなった。今季就任したディノ・トップメラー監督のもとでも同じくいつかチャンスは来るだろうし、そのチャンスを長谷部はまた生かすだろうと思っていた。だが、なかなか難しかった。

「先発から外れてもあんまり焦りとかはなくて、いい選手も揃っているから彼らに何かがあったら僕が出ていくよ、という気持ち」

 以前に長谷部はそう話していたが、出場機会が減っていたのも今季の現実だった。

「出場機会が少ないことも、引退の決め手のひとつです。今季は試合出場が少なくて、そうなると試合のたびにフィジカルコンディションを戻すのが難しい」

「肉体的にも、精神的にも、思考力も回復が遅くなっているのを感じる」

 引退の理由のひとつに、自身の衰えがあることは認めざるを得なかったようだ。

 会見では「引退を決めた正確なタイミングはわからないけど、4、5、6週間前くらいかな」とも話していた。2月のフライブルク戦で今季初めて先発したあと、かつてのようにレギュラーの座に着くかと思いきや再びベンチに戻ったことも、引退を決めたきっかけになったのだろう。

【長谷部が歩んだドイツでの17シーズン】

 もしかすると長谷部の頭のなかでは、監督業に移行して勝負するには早いほうがいい、という判断もあったかもしれない。現在40歳。コーチングライセンス取得後にプロを指導するにも、まだ時間はかかる。また、昨今の監督の低年齢化を考えても、のんびりはしていられない。

 ドイツでの17シーズンを振り返ると、さまざまなことがあった。

 ヴォルフスブルク時代にプレミアリーグ移籍を希望したが叶わず、フェリックス・マガト監督に森の中を何十キロも走らされていたこと。退場者が出た際にマガトからの指令でGKを務めたこと。フランクフルトで毎年レギュラーを取り返したこと。気温35度のセビージャで21時から開始されたEL決勝を制し、ミックスゾーンに来た時にはすっかりくたびれていたこと......。

 思い返すことは山ほどある。

 しかし、監督として勝負する長谷部の姿も見てみたい。そう切り替えて、この一抹の寂しさを乗り越えることにしたい。