屋鋪要インタビュー(後編)

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 1994年に巨人に移籍し、念願の日本一を味わった屋鋪要氏。翌年、18年間のプロ野球人生に別れを告げ現役を引退。その後は、プロの指導者、アマチュアの指導者などを歴任する傍ら、趣味の蒸気機関車の撮影に没頭。現在は異色の「鉄道文化人」としての顔も持つ。


野球指導の傍ら、鉄道カメラマンとしての顔も持つ屋鋪要氏 photo by Sano Miki

【巨人移籍後、悲願の日本一を経験】

── 屋鋪さんは18年間の現役生活で、通算1628試合に出場し、1146安打、打率.269、58本塁打、375打点、327盗塁という成績を残されました。あらためて、これらの数字をどう思いますか。

屋鋪 私は野球を一生懸命やりましたけど、一方で遊びも酒も好きだったんです。今をときめく大谷翔平くん(ドジャース)みたいに、ストイックに野球に取り組んでいれば、もっと好成績を挙げられたのはないかと思います。だから、通算成績については納得していません。通算盗塁数も歴代24位(2023年終了時現在)。だいぶ順位が落ちました。

── 現役生活のなかで、最も思い出に残るプレーは何ですか?

屋鋪 巨人移籍後の94年、西武との日本シリーズです。第2戦、9回二死から鈴木健くんのセンター前方、結果的にウイニングボールとなる飛球をキャッチして、槙原寛己くんの完封をアシストしました。槙原くんとはかつてトレード相手として名前が挙がったこともあり、なんとも不思議な縁ですよね。

 その日本シリーズは4勝2敗で巨人が日本一になるのですが、長嶋茂雄監督に「あのワンプレーで流れが変わった」と言ってもらえました。今でも「あのプレーを覚えていますよ」と言ってくれるファンの方もいます。あれが人生最高のプレーでした。

── ほかに印象に残っているプレーはありますか。

屋鋪 プロ4年目(81年)の初本塁打です。広島の北別府学さんから打ちました。ストレートを右中間に持っていったのですが、「左打席でも力がついてきたな」と実感する一発でした。

── 多くの投手と対戦されたと思いますが、ベスト3を挙げるとすれば?

屋鋪 若い時の江川卓さん(巨人)のストレート。ミートしても球が重くて、押し込まれてしまう。あと西本聖さん(巨人)のシュートは、落ちるものと鋭く曲がるものの2種類ありました。大野豊さん(広島)の右打者の内角に食い込んでくるスライダーは、キレがよすぎてボール球でも思わず振ってしまいましたね。

【プロ・アマの指導者として活躍】

── 引退後のセカンドキャリアは?

屋鋪 プロのコーチをトータルで4年間やり、子どもへの野球塾を含めたアマチュア野球の指導は20年以上やっています。また2013、14年は神奈川大のコーチを務めました。ちょうど13年に、茺口遥大(現・DeNA)が入学してきました。プロとアマの違いを感じましたが、チームを強くするために厳しく指導して、14年は全日本大学選手権大会で準優勝を遂げました。20年から社会人軟式野球のソレキア株式会社(IT企業)の監督を務めています。

── 指導するうえで、打撃におけるポリシーはどういうものですか。

屋鋪 基本はレベルスイングです。バットの芯でとらえて、ゴロを打つのではなく、ライナーを打つ。そして内角は引っ張る、外角は流す。構えからテイクバックの動きや、バットの角度やグリップの位置も大切ですが、最も大事なことは間(ま)の取り方。内外角のコースを打ち分ける体の使い方や、高い確率でミートさせるための動きまで、子どもたちにわかりやすく教えています。

── 守備におけるポリシーは?

屋鋪 打球方向を予測するポジショニングです。常に「自分のところに打球が飛んでこい」と、積極的な思いで守ることが大事です。

── 盗塁については、いかがですか?

屋鋪 もともと走ることへの興味は薄かったのですが、スイッチヒッターに転向してから、盗塁することが自分の使命だと考えるようになりました。よく「足にスランプはない」と言う方がいますが、そんなことはありません。そのなかでスタートを切る"勇気"を持つことが大切です。アウトになるのは結果でしかありません。

【撮り鉄にラベンダー栽培】

── 現在は「鉄道文化人」だそうですが、屋鋪さんが機関車を撮り始めたきっかけは何ですか?

屋鋪 11歳の時に蒸気機関車の魅力にはまりました。父はカメラが趣味で、私が撮影したい気持ちを父に伝えたのが始まりです。「なら、連れて行ってあげよう」ということになり、1971年の春に関西本線。夏は、父とふたりで4泊の北海道撮影旅行にも出かけ、憧れの函館本線「急行ニセコ C62重連」などを撮影できたことは、今も深く思い出に残っています。以来、「撮り鉄」です。

── 蒸気機関車の魅力は何ですか?

屋鋪 ひと言では語れませんが、とにかくカッコよくて、きれい。電車ではなく、蒸気機関車です。ただ、地方鉄道とブルートレインの撮影には行きました。

── 全601保存機の撮影を制覇したそうですね。

屋鋪 プロ野球の現役中はまったく撮りませんでした。2007年から7年2カ月をかけて、当時全国に保存されていた601輌を撮り尽くしました。全601輌を制覇したのは、私が初めてらしいです。おかげで、少年時代から憧れていた"日本初の鉄道カメラマン"の広田尚敬氏と知り合えたことはうれしかったですね。

── ラベンダー栽培もしているそうですね。

屋鋪 19年と20年に知り合いの女性の方から3株ずつ分けていただいたのが始まります。「うまく育つのかな」と自分なりに勉強しました。ラベンダーの香りで癒されますね。野球少年の育成もラベンダーの栽培も難しい分、やりがいがあります。うまく育って、花を咲かせる。相通じるものがあると思いますね。ラベンダーの花言葉は「あなたを待っています」「期待」「幸福」です。まさに、手をかけた野球少年やラベンダーの成長を期待して待ち、それが幸福につながるといったところでしょうか。


屋鋪要(やしき・かなめ)/1959年6月11日、大阪府生まれ。三田学園高(兵庫)から77年のドラフトで大洋(現・DeNA)から6位指名を受けて入団。高木豊、加藤博一とともに「スーパーカートリオ」として活躍。84年から5年連続でゴールデングラブ賞を獲得し、86年から88年まで3年連続盗塁王に輝く。94年から2年間巨人でプレーし、95年に現役引退。引退後は巨人のコーチ、解説者、野球教室など精力的に活動し、2020年から社会人軟式野球の監督を務めている。鉄道写真家としても活躍している