ベテランプレーヤーの矜持
〜彼らが「現役」にこだわるワケ
第1回:丹羽大輝(アレナス・クルブ・デ・ゲチョ/スペイン4部)/前編


「スペインでプレーする」夢を実現した丹羽大輝。写真:本人提供

 インタビューで向き合った"闘う男"は、相変わらず熱かった。

 丹羽大輝。かつてガンバ大阪の三冠達成にも貢献し、日本代表にも選出されたセンターバックだ。

 その後、サンフレッチェ広島やFC東京などでもキャリアを積み上げた彼が、以前から抱いていた「スペインでプレーする」夢を実現するべく海を渡ったのは、2021年1月のこと。以来、今も彼はスペインの地で戦いを続けている。

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 スペインでのプレーを本格的に描くようになったのは、2020年の夏頃だったという。当時、34歳。年齢やポジション的に「海外にチャレンジするのなら、ラストチャンス」だと考えた。

「2020年でFC東京との契約が満了になることを踏まえ、もしスペインでプレーする道を探るなら、このタイミングしかないな、と。しかも、ヨーロッパのウインドウが閉まるのは2月1日ですからね。その頃にはほとんどのJクラブが始動していることを踏まえると、そのタイミングで僕がヨーロッパでのプレーを考えるなら、Jクラブからの話を断って、フリー契約の身になって現地に渡るしかない。その覚悟で、夏頃から現地の知り合いを通じて、いろんなチームに打診してもらっていました」

 シーズンが進むなかでは、J1を含めて複数のJクラブからオファーが届いていただけに、周囲からは無謀なチャレンジだと捉えられることも多かったが、一度きりの人生に悔いを残したくなかった。

 とはいえ、2019年、2020年は公式戦への出場機会が減っていたからだろう。当初は「プロフィールは魅力的だけど、近年は試合に出ていないよね」と流されることが多かったと聞く。ところが、2020年12月にAFCチャンピオンズリーグのパース・グローリーFC(オーストラリア)戦にフル出場して、完封勝利に貢献したことで状況が変わった。

「ACLのニュースが出た途端に、現地の仲介人から連絡が来て『正式なオファーではないけど、大輝に興味を持っている3部リーグのチームがいくつか出てきた。ただ、移籍ウインドウが閉まるまでの時間を考えると、今のうちにスペインに来ておかないと契約まで漕ぎ着けられないだろう』と言われて、じゃあ、『FC東京の活動が終わったらすぐに行きます!』と。

 1時間おきぐらいに状況が動くヨーロッパの移籍ウインドウでは、『契約しましょう』という話になってから日本を出発したのでは、時差や手続きの煩雑さを考えてもおそらく間に合わない。ましてや、当時はコロナ禍の真っ只中で世の中も不安定でしたから。飛行機もいつ飛ばなくなるかもわからなかったので、早めに予約しておいたんです。そしたら、出発した日に(首都圏を対象に)緊急事態宣言が出されて焦りました(笑)」

 出発の日に彼から届いた写真には、空港の出発便を示す掲示板に「欠航」の文字がズラリと並んでいたのを思い出す。そんななか、唯一「運行」と記されていた便が、丹羽の予約していた飛行機だったという幸運にも背中を押され、彼は2021年1月7日、フランクフルト経由でスペイン・ビルバオに渡った。

「30歳をすぎた頃から『自分で生きていく力をつけなければいけない』と思うことが増えていたなかで、その考えがコロナ禍に直面してより強くなったというか。この先は、どの職業も縦のつながりや過去の関係性だけで仕事をしていくのが難しくなるはずで、そうなればひとりの人間として問われることがもっと増えるだろうと思ったんです。

 であればこそ、僕自身ももっといろんな経験をして、いろんな力を備えていかなければいけないな、と。世の中的には誰もが動き出すことに臆病になっていた時期でしたが、そういう時だからこそ、僕は攻めの選択をしたかった」

 もっとも、移籍先が簡単に決まることはなく、現地に渡ってからも交渉の難しさに直面し、翻弄され続けた。当初、彼の獲得に意欲的だったクラブも、契約成立を目前にして監督が解任となり、話は白紙に。他クラブをあたっても、話が進みかけては頓挫して、を繰り返した。

 それでも、現地の伝手(つて)を頼りに人の輪を広げ、いろんなチームに練習参加をさせてもらいながらトレーニングを積み、語学学校に通って言葉を覚え、スペインという国やスペインサッカーを学びながら可能性を探った。

 そのなかで、4部リーグのセスタオ・リーベル・クルブとの契約交渉がまとまったのは3月上旬だ。その際も就労ビザの取得に手こずり、さすがに「これでアカンかったら厳しいかも」と心が折れそうになったが、最後はサッカーがつないでくれた縁にも助けられ、ビザ取得に漕ぎつけた。愛する家族にも支えられて。

「妻は僕がスペインでプレーしたいという思いを伝えた時からずっと、『パパがやりたいようにやればいい。スペインでも、国内でも、それ以外の選択をしても、パパなら大丈夫ってわかっているし、私や子どものことは考えなくていいよ』と背中を押してくれていました。どんなアクシデントも、それを一緒になって面白がり、笑い飛ばしてくれた。

 当時、10歳、7歳、4歳だった3人の子どもたちをひとりで見るのは大変だったはずですけど、不平不満は一切漏らさず、僕と一緒に夢を追いかけ続けてくれた。そんな家族がいたのはホンマに心強かったし、だからこそ、家族に胸を張れる生き方をしよう、妻や子どもたちが自慢できるパパでいよう、と踏ん張れたんだと思います」

 そうして丹羽は5月、晴れてセスタオ・リーベル・クルブの一員となり、スペインでのキャリアをスタートさせる。結果的に、同シーズン(2020−2021)は昇格プレーオフを戦うのみにとどまったが、2021−2022シーズンからコンスタントに出場。2022−2023シーズンには、チームの4部リーグ優勝、3部昇格に貢献した。

 そして2023-2024シーズンからは、同じバスク州のアレナス・クルブ・デ・ゲチョに戦いの場を移している。

「セスタオでは、本当にすばらしい時間を過ごしました。移籍の大変さなんてどうってことなかったと思えるくらい、毎日ワクワクしっぱなしでした。お世話になったクラブへの一番の恩返しは、チームの目標だった3部昇格への貢献だと思っていたので、それを実現できたのもうれしかったです。

 僕がセスタオでプレーすることが決まったあとに、まったく面識のない日本企業がスポンサーに名乗り出てくれたりもして、僕のプレーを通してスペインと日本が新たなつながりを持てたのもうれしい出来事でした。ただ、自分のプロサッカー選手としての芯に据えてきた『選手として最も必要としてくれるチームでプレーすること』を基準に、最もその熱意を感じたアレナスへの移籍を決断しました」

 今年で38歳、プロキャリアも21年目を数えることもあり、近年はプレーへの評価に限らず、たとえば「若い選手に経験を伝えてほしい」「クラブを日本に知ってもらうために力を貸してほしい」といった声を掛けられることも増えた。新シーズンを迎えるにあたっても、アレナスを含む3クラブからオファーが届いたものの、あからさまにプレー以外の役割を期待されたクラブもあったと聞く。だが、信念は揺らがなかった。

「本来、プロサッカー選手のあるべき姿はチームを勝たせるために、ピッチの上で、選手としていいプレーができるかが、第一の評価であるべきだと思うんです。もちろんキャリアを積めば、必然的に備わった経験値に期待されるのもわからなくもないですが、それはあくまで付加価値でしかない。

 だから、自分がその付加価値でしか勝負できないと感じたら、引退を選びます。でも今は、まだまだピッチで戦えると思っているし、それどころかコンディションもめちゃめちゃいい。一周まわって、フレッシュにサッカーと向き合えています。自分でも怖いくらいですよ(笑)」

(つづく)◆38歳の丹羽大輝「今日もサッカーができる。その事実に、心が踊る」>>

丹羽大輝(にわ・だいき)
1986年1月16日生まれ。大阪府出身。ガンバ大阪のアカデミー育ちで、2004年にトップチーム昇格。当初はレンタル移籍を繰り返して、徳島ヴォルティス、大宮アルディージャ、アビスパ福岡でプレー。2012年にガンバへ復帰。2013シーズンからスタメンに定着し、2014シーズンにはチームの三冠達成に貢献した。翌2015年には日本代表にも招集された。その後、2017年にサンフレッチェ広島へ完全移籍し、翌2018年にはFC東京へ。そして2021年5月、スペイン4部のセスタオ・リーベル・クルブへ完全移籍。現在は、同じスペイン4部のアレナス・クルブ・デ・ゲチョでプレーしている。