谷口彰悟「アジアカップを振り返らずに、前には進めない」ベトナム戦のピッチ上で覚えた違和感の正体
【連載】
谷口彰悟「30歳を過ぎた僕が今、伝えたいこと」<第16回>
◆【連載・谷口彰悟】第1回から読む>>
◆第15回>>筑波大で風間監督に言われた衝撃の事実「全然、できていないよ」
2024年の日本代表チームの活動は、元日の親善試合・タイ戦に始まり、1月中旬から2月にかけてのAFCアジアカップ、3月下旬にワールドカップ・アジア2次予選の北朝鮮戦を経て、次は6月上旬のミャンマー戦とシリア戦へと向かっている。
アル・ラーヤンSCの一員としてカタールリーグを戦いつつ、招集された代表メンバーとしても全力を尽くす谷口彰悟に、この3カ月を振り返ってもらった。呼び起こされた記憶の多くは、やはり準々決勝で敗退したアジアカップでの悔しい思いだった。
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アジアカップの決勝ラウンドで出場機会は訪れなかった photo by Sano Miki
日本代表の戦いはAFCアジアカップを経て、再び2026年ワールドカップ・アジア予選に舞台を移した。
個人的には、アジアカップを振り返らずに前へ進むことはできない、という思いや考えがあり、カタールで戦った1月の記憶を呼び起こしたい。
カタールで開催されたアジアカップは、自分にとって、土地、気候、文化、スタジアムと、すべてに馴染みがあり、なおさら日本代表として戦う自分の姿を想像しながら準備できた大会だった。
個人的にも、この大会にかける思いは強く、日本代表としてもアジアを引っ張っていくのは日本であることを証明する大会にしたいと思っていた。
また、大会を勝ち進めば、活動期間は1カ月を越える長丁場になる。短期間での活動を繰り返すワールドカップ予選とは、また異なる成長と課題を垣間見ることができる、貴重な期間とも位置づけていた。
結果的に日本は、準々決勝でイランに敗れてベスト8で敗退。多くの課題を感じ、そして持ち帰ることになった。
先発出場したグループステージ第1節のベトナム戦は、4-2で勝利したものの、やはり大会初戦の難しさを実感させられた。
【慢心と言われたらそれまでだが...】選手たちも、初戦が大事であり、かつ初戦が難しいことは百も承知している。過去の歴史や経験もそれを物語っているように、わかりきっていることではあったが、それでも結果、内容含めて苦しい時間帯があり、苦しい展開になった。
あらためて、アジアカップも含めて、簡単に勝てる大会、簡単に勝てる試合などひとつもないことを思い知らされた。
ベトナム戦を振り返ると、先制したあと、16分には同点に追いつかれ、33分には逆転を許してしまった。
CKからゴールを許した16分の失点は、デザインされた相手のプレーもスーパーだったが、個人的にはセットプレーからの失点は、自分たちが隙を見せた結果だと解釈している。
まず前提として、どういう形でセットプレーに至ったかは、反省すべきポイントのひとつ。それを考えると、ベトナム戦ではセットプレーになる前に、球際でボールをこぼしているシーンが目立っていた。
ベトナムは前回のワールドカップでも最終予選に進出しているように、近年、サッカーの向上に力を注いでいる国のひとつだ。決しておごっているわけではないが、それでも日本から見れば格下と言える相手でもある。
そのベトナムに対して、球際で相手にボールが転がってしまう状況に、僕は少し違和感を覚えていた。
チームとしても、ボールを奪えたと思ったところで相手に入れ替わられてしまったり、ボールが転がってしまったりする状況が続いた。ベトナムもボールをつないできたため、想定していたエリアでボールが奪えない、または相手にボールがわたる回数が多かった。
そうしたところに、僕ら日本の隙はあったと思う。
33分に許した2失点目も同じくセットプレーからで、クロスを折り返され、ゴール前で相手に詰められた。あの場面は全員が下がりきれていなかったり、ボールを見てしまっていたりと、やはり細かい部分が隙になっていたと思っている。慢心と言われたらそれまでだが、やるべきことをやっていなかった甘さが招いた2失点だった。
【どこか横綱相撲をしてしまっている】それでも前半のうちに逆転し、最終的に4-2で勝利できたことはポジティブに捉えていた。2失点したこと、内容的に苦しかったことも含め、選手全員がアジアカップの難しさ、厳しさを実感し、さらに手綱を締めていかなければいけないと話していた。
第2節のイラク戦は、会場も違う雰囲気になる。中東のチームが相手であり、アウェー感はさらに増すだろう、と。
また、ベトナムとは異なり、ボールが行ったり来たりを強いられる展開になる可能性もあると警戒していた。そのため、ロングボールへの対応や前からのプレッシャーの掛け方、ポジショニングも修正して臨んだ。
しかし、結論から言えば、1戦目の教訓を生かせずに2戦目も終わってしまった。
第1節でも球際の緩さに表れていたように、チーム全体がどこかフワッとしているというか、どこか受けに回ってしまっている感覚が拭えなかった。横綱でもないのに、どこか横綱相撲をしてしまっている──。そう指摘されても、決しておかしくはなかっただろう。
前半に2失点した日本は、1-2で第2節を落とした。得点源であるFWに2得点を許したのは、センターバックとして反省すべき点であり、責任を感じている。
その結果、ハーフタイムで自分は交代することになったが、アジアカップではその後、プレーで挽回する機会は訪れなかった。第2節以降は、自分自身でもチーム内での序列が下がったことを受け入れなければならず、さらに悔しさが込み上げた。
それでも最年長として、チームに対してやれること、できることはあると考えていた。
2年前のカタールワールドカップでも、試合に出る可能性が低くとも、毎試合、準備を怠らなかったことでチャンスは巡ってきた。それを思い出せば、ここで緊張の糸を切らしてしまうと、次の機会を生かすことはできないと思えた。これは自分の心に課していたことだが、大会期間中は、何があってもやり続けようと覚悟を決めていた。
【見返してやる、這い上がってやる】また、チーム全体を見れば、自分以上にチャンスに恵まれていない選手もいた。そうした選手たちがポジティブな姿勢で練習に臨めるように、自分が雰囲気や緊張を保つこと、そして準備を怠らない姿勢だけは、率先して見せようと思っていた。
チームはグループステージを突破し、ラウンド16でバーレーンに勝利したが、続く準々決勝でイランに1−2で敗れた。
敗れたイラン戦は、胸を張れる内容ではなかったかもしれないが、1−0で前半を折り返した時には、戦い方を修正しながらどう勝ちに行くかという戦いはできていたと思う。ただし後半になり、相手のアグレッシブなパワープレーに対して、自分たちのリズムで試合を進める時間が減った印象を、ベンチから感じていた。
優勝を目指して臨んだアジアカップで、準々決勝敗退という結果に終わり、選手やメディアも含め、多くの人たちが敗れた原因や理由を語り、つづっていた。
個人的には、チームは同じ大会でも、ワールドカップと同じ熱量でアジアカップに臨んでいたのか、戦えていたのだろうかと振り返った。
森保一監督は予選でも必ず「ここは日本代表だ。スイッチを切り替えてくれ」と話している。アジアカップでもクラブのことを忘れて、日本代表の活動に100パーセント集中して臨んでいたのか。これからも続くワールドカップ予選を戦っていくためにも、それぞれが自分の心に問いかけるべきだろう。
大会を終え、アジアカップで直面した悔しさが、新たなエネルギーを生んでいる。
第2戦以降、出場機会を得られなかったこと、チームが準々決勝で敗退したこと、また、自身がプレーするカタールが優勝した悔しさも相まって、見返してやる、這い上がってやるという気持ちがにじんでいる。
実は大会前、アル・ラーヤンSCのチームメイトからは、「日本が優勝するだろう」と言われていた。しかし終わってみれば、カタールが優勝し、僕が彼らに対して「おめでとう」と祝福する立場になった。
【アジアカップで再認識できたこと】すばらしい結果を残したカタールの選手たちに対して、その思いは決して嘘ではない。一方で、カタールが優勝して、代表選手にオフを与えるためか、リーグ戦の再開が急遽、うしろ倒しになった現状も踏まえて、悔しさも湧いてくる。自分の課題に向き合いつつ、その悔しさをリーグ戦でぶつけたいとも思っている。
また、アジアカップでは、あらためてさまざまなサッカーに触れた。
実際、僕自身も、日本でやっていたサッカーが普通だと思っていたが、カタールに来て異なるサッカーに触れた。両国で得た知識や習慣が、カタールでいい方向に転じることもあれば、自分の感覚が悪い方向に転ぶこともあった。
それと一緒で、ヨーロッパでやっているサッカーだけがサッカーではないし、南米でやっているサッカーだけがサッカーではない。世界にはさまざまなサッカーのスタイルがある。アジアカップでそれを再認識できたことは、これからも続くワールドカップ・アジア予選で教訓にできるはずだ。
◆第17回につづく>>
【profile】
谷口彰悟(たにぐち・しょうご)
1991年7月15日生まれ、熊本県熊本市出身。大津高→筑波大を経て2014年に川崎フロンターレに正式入団。高い守備能力でスタメンを奪取し、4度のリーグ優勝に貢献する。Jリーグベストイレブンにも4度選出。2015年6月のイラク戦で日本代表デビュー。カタールW杯スペイン戦では日本代表選手・最年長31歳139日でW杯初出場を果たす。2022年末、カタールのアル・ラーヤンSCに完全移籍。ポジション=DF。身長183cm、体重75kg。