プロ野球選手の通訳にはどうしたらなれるか? 元通訳・篠田哲次氏が語る実態「本当によい通訳」とは
米大リーグでプレーする日本人選手が近年増えている。
二刀流で世界的スターとなった大谷翔平選手(ドジャース、29)をはじめ、ダルビッシュ有投手(パドレス、37)、菊池雄星投手(ブルージェイズ、32)、前田健太投手(タイガース、35)、千賀滉大投手(メッツ、31)、鈴木誠也外野手(カブス、29)らが第一線で活躍している。
海を渡った日本人選手を陰で支えているのが通訳だ。だが、プロ野球選手の通訳には、どうしたらなれるのだろう。英語力があればよいのだろうか。
J-CASTニュースは、西武ライオンズと横浜ベイスターズで10年以上通訳を務め、現在は外国人選手の代理人として日米球界に関わる篠田哲次氏(53)に話を聞き、通訳の実態に迫った。
「このまま会社勤めをするか、通訳の夢を追うか」
異国でプレーする野球選手には欠かせない通訳。
運転手やキャッチボールの相手を務めた大谷翔平の元専属通訳・水原一平氏(39)のように、公私にわたって選手をサポートする通訳も存在する。その水原に代わって、新たに大谷の通訳を務めるウィル・アイアトン氏(35)にも注目が集まっている。
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篠田氏が通訳を志したのは、一冊の本との出合いがきっかけだったという。
岐阜県出身の篠田氏は小学1年生の時にソフトボールチームに入り、地元の公立中学では軟式野球を始めた。地元の公立高校に進学し、そこではじめて硬式野球に触れたが、自身の運動センスではとてもプロ野球選手になれないと感じていたという。
高校3年生の時に読んだ「ニッポン野球は永久に不滅です」(ちくま文庫)は、後の人生に大きな影響を与えたという。
「ニッポン野球は永久に不滅です」は、日本文化に関する多くの著書がある米国人作家ロバート・ホワイティング氏が執筆したものだ。同書には、来日したプロ野球の外国人選手と日本人通訳とのやりとりがユーモアたっぷりに描かれている。
選手として限界を感じていた篠田氏は目指すべき職業は「これだ」と思ったという。
現役で慶應義塾大学に合格すると、通訳になるためにバイトをしながら英会話教室に通った。ところが、思うように英語が上達せず1年で挫折。現実を直視して就職活動は一般企業に絞り、少しでも野球とのつながりを持ちたいという思いから、スポーツメーカーに就職した。
2年間、営業マンとして働いた。社会人として充実した生活を送る一方で、諦めていたつもりでいた通訳の夢は完全に諦めて切れていなかったことに気付いた。
そんな時、偶然、カナダのワーキング・ホリデーの求人を見つけた。年齢制限は25歳。篠田氏は24歳だった。心は大きく動いた。
篠田氏は「このまま会社勤めをするか、通訳の夢を追うか。迷っているなら行こうと。後悔しないように現地で英語を学ぶことを決意して退職しました」と当時を振り返った。
だが、人生の一大決心をするも、第1歩目でつまずいた。
カナダ大使館に申し込みに行ったが、受付が終わっていたからだ。すでに会社を退職していたこともあり、途方に暮れた篠田氏は親戚のつてを頼って、米国のサンディエゴに語学留学することになった。
人生は何が起こるか分からない。
篠田氏にとって軌道変更せざるを得なかった米国行きが、その後の人生に大きな影響を与えたのだった。
「格好悪いけれども、やさしい言葉で説明すれば...」
現地の語学学校に通いながら少年野球教室を手伝い、サンディエゴ州立大学野球部に自らを売り込み、雑用係の仕事を得た。
グラウンドの整備からボール拾いまで雑用をこなすかたわら、ベンチ入りが認められ、高いレベルのコーチと本格的な野球の話ができる環境に身を置いた。
ここで「生きた」野球用語を習得した篠田氏は、メキメキと英語力が上がったという。
米国での語学留学後、当初の目的であったカナダに渡るつもりだった。その話をサンディエゴ州立大学野球部のコーチに伝えたところ、カナダの独立チームを紹介してもらう。
チームのオーナー宅にホームステイしながら、記録係やブルペンキャッチャーなどをこなした。
1年間、みっちり英語を勉強して8月に日本に帰国。塾講師のアルバイトをしながら日本球団の通訳求人を待った。
篠田氏は当時をこう振り返る。
「アメリカとカナダでの2年の語学留学で自信がなかったら、日本に帰国していなかったと思います。
自信というか、ひとつ自分で納得ができたのは、ひとつの難しい言葉を知らなくても、かみ砕いたやさしい単語で説明できるようになったこと。これだったら、なんとか通じるかなと思うようになりました。
格好悪いけれども、やさしい言葉で説明すれば、自分が何を言っているか、相手が理解してくれるという実感が持てました。
野球の話でわかりあえたので、もしかしたら通訳の仕事も十分にやれるのではないかと思うようになりました」
1997年11月、高校時代の野球部の恩師から西武が通訳を募集しているとの知らせがあり、すぐに応募した。学生時代に英検を受けたことがなかった篠田氏にとって、英語力を証明するものは何もなかったという。
とはいえ、2年間の語学留学で習得した実践の英語力だけを頼りに、試験を突破する。そして、契約社員として通訳の仕事を得た。27歳だった。球団との契約は1年で、都度契約を更新していくシステムだった。
夢は叶ったが、現実は厳しかった。
いつまでたっても流暢に英語を話すことができず、自信を失った。通訳として働いた5年間のほとんどの期間を2軍で過ごし、1軍での通訳はわずか数試合。自身の限界を感じて西武を退団した。
「ここで学んだことを生かして、もう一度野球の世界で勝負したい」
西武を退団した後、新たな就職先は教育関係の会社だった。
球界とは別世界に飛び込んだことで初めて、客観的に通訳として働いていた過去の自分を見直せたという。社員研修を受ける過程で、再び野球への情熱が湧き上がってきたという。
研修では「こういう考え方で仕事に取り組めば通訳を辞めずに成長できた」と感じ、「ここで学んだことを生かして、もう一度野球の世界で勝負したい」と思い、入社から1か月後に退職して再び通訳を目指した。
就職浪人中は、縁あって大リーグのボストン・レッドソックスの日本担当スカウトをサポートし、日本のプロ野球選手、アマチュア選手らの調査を手伝った。そして翌年の06年に横浜ベイスターズの通訳に応募し、球団職員として使用された。
36歳からの再スタートだった。
篠田氏は横浜で通訳として過ごした5年間をこう振り返った。
「当時、横浜には名通訳と呼ばれた方がいて、私はファームからのスタートと言われていました。ところが、この方にアクシデントがあって、いきなり1軍に呼ばれました。160キロを超える剛速球を誇った(マーク・)クルーンが在籍していた時です。
最初は勝手がわからずミスを連発しましたが、選手たちに支えてもらって、仕事ができるようになりました。1軍のヒーローインタビューも初めて経験させてもらいましたし、クルーン投手と一緒にオールスターにも行かせてもらいました。通訳として本当にいい経験をさせてもらいました」
現在は、外国人選手の代理人として、日米球界とつながりを持つ篠田氏。日ごろから日米の野球ニュースに目を通しており、最近では大谷の通訳を務めるウィル・アイアトン氏(35)の仕事ぶりに感心したという。
篠田氏が指摘したのは、3月26日に行われた大谷の会見だ。元通訳の水原氏の違法賭博騒動に関して初めて自らの口で説明し、世界の注目を浴びた。
「大谷さんが会見で紙を広げていたので、通訳の原稿もあると思ったんですが、アイアトン氏は大谷さんが話したことをメモしていた。それを訳していたので、即興でやっているのだと思いました。
しかも、言葉の選び方が非常に思慮深かった。一字一句訳すというよりも、ちゃんと大事なところをとらえていた。どちらかというと、大谷さんの言葉よりも、彼の英語の訳の方が短く、すごく的確に訳していました。
彼は大谷さんの言葉をしっかり理解していたから、スラっと訳せたと思います。非常に優秀な通訳だと思います。私には逆立ちしてもまねできないと感じました」
「もしタイムマシーンがあって過去に戻れるのならば...」
また、これから通訳を目指す人に経験者として、次のようなアドバイスを送った。
「高校までの野球経験が役立ったこともありましたが、全く通用しなかった現実もありました。
というのは、プロ野球には多くのサインプレーがあるからです。高校時代、攻撃の時のサインはバント、盗塁、エンドランくらいでしたが、プロは10個以上あります。これに加えて、ピッチャーの球種、けん制、バント守備...。通訳は自分が覚えないと選手に説明できないのでサインプレーをすべて覚えます。
私は物覚えが悪かったせいもあり、ミーティングを最後まで聞いても理解できず、ミーティング後コーチに頭を下げて教えてもらったこともありました。サインを覚えることは、通訳になって一番と言っていいほど苦労しました」
続けて、「これから野球の通訳になりたい人には、スペイン語も勉強した方がいいと伝えたい」と語った。
「もしタイムマシーンがあって過去に戻れるのならば、大学生の自分に『第2外国語はスペイン語を取れ』と言います。通訳の二刀流が重宝される時代になりました。日本語ができるのは当然として、英語とスペイン語の二刀流、ということです。
ここに野球経験が加われば鬼に金棒。私が考える通訳に必要なものとは、野球経験、英語力、日本語。本当によい通訳は日本語が美しい。きれいな日本語を話す人がよい通訳です。
つまり、日本語の語学力が問われる。なめらかに訳せるかどうか。通訳それぞれに強みがあるのですが、全部バランスよく持っている人がスーパー通訳だと思います」
今シーズンは今永昇太投手(カブス、30)、松井裕樹投手(パドレス、28)、上沢直之投手(レッドソックス、30)らが新たに大リーグ入りした。日本人選手の活躍とともに彼らの通訳に注目するのも面白いかもしれない。