世界中の空港で膨大な数の航空機が離着陸を続ける中、航空業界はいかに安全を保っているのだろうか(写真:まちゃー/PIXTA)

東京国際空港(羽田空港)で発生したJAL A350型機と海上保安庁DH8C型機の衝突事故のあと、SNSで多くの人が言及したのが2016年に発刊されたマシュー・サイド著『失敗の科学』の内容でした。同書は航空業界の「失敗から学ぶ」文化について取り上げています。

改めて同書から航空業界について取り上げた部分を一部抜粋、再編集し、4回にわたってお届けします。2回目となる今回は、映画『ハドソン川の奇跡』の題材にもなった事例から学ぶこと。

1回目:羽田事故のあと話題『失敗の科学』が伝えること

「ハドソン川の奇跡」

2009年1月15日午後3時25分、USエアウェイズ1549便に、ニューヨーク・ラガーディア空港滑走路4からの離陸許可が下りた。

この日は天候に恵まれ、コックピットでは機長のチェズリー・サレンバーガーと副操縦士のジェフリー・スカイルズがチェックリストの点検作業を行っていた。2人ともこの旅を楽しみにしていたが、まさかこのフライトがのちに「奇跡」とまで呼ばれることになろうとは、思いもしなかった。

離陸後まだ2分も経たない頃、カナダガンの群れが機体右方向に突如現れた。あまりに急な接近で、避けるのは不可能だった。2羽のガンが右エンジンに飛び込み、少なくとも1羽が左エンジンに巻き込まれた。

機体が何度かドスンと大きく揺れたあと、あたりは死んだような静けさに包まれた。エンジンが止まったのだ。2人の乗組員は鼓動が速まるのを感じた。認識力が低下していく。危機的状況における典型的な反応だ。なにしろニューヨークの3000フィート(約910メートル)上空で、70トンのエアバスA320の両エンジンが停止したのである。

2人のパイロットは、わずかな時間で一連の決断を下さなければならなかった。管制は、ラガーディア空港に引き返すか、数キロメートル先のニュージャージー州テターボロ空港への着陸をアドバイスした。しかし機長はどちらも断った。機体の落下スピードが速く、そこまで持つとは考えられなかったからだ。

午後3時29分、サレンバーガー機長は管制との交信で、のちに新聞の見出しを賑わすことになる一言をつぶやいた。「ハドソン川に着水だ」

サレンバーガー機長は、最終的に70トンのジェット機をハドソン川に無事に着水させた。すばらしい判断と操縦テクニックである。

機長は着水後も入念だった。機体後方で浸水が始まる中、全乗客が脱出したかどうかを確認するため、客室内を2往復して見回った。その後外に出ると、水面からほんの数センチ覗く主翼の上に乗客たちが退避していた。死者は1人も出なかった。

機長の冷静な対応はアメリカ中の人々を魅了した。当時57歳だった彼は、就任直前のオバマ大統領から直接電話をもらい、勇敢な行動を称えられた。事故の5日後には、就任式にも招待されている。

『タイム』誌が発表した2009年度の「世界で最も影響力のある100人」では、「英雄と象徴」カテゴリーの2位にランクインした。

人々にとって、機長の行動は崇高な個人主義の証だった。極限状態の中、1人の男の冷静な対応が100人を超える乗客の命を救ったのである。

「個人」ではなく「システム」を見よ

しかし航空専門家の意見は少し違っていた。彼らは大局を見ていた。機長個人の貢績ばかりでなく、システム全体を視野に入れていた。中にはクルー・リソース・マネジメント(CRM訓練)に言及する者もいた。

機長と副操縦士との連携プレーは見事なまでにスムーズだった。鳥との衝突の直後、機長はすかさず機体をコントロールし、副操縦士は緊急マニュアルのチェックに努めた。

着水のそのときまで、2人の間では潤滑なコミュニケーションがとられた。機体が落下する中、副操縦士は機長が正確に状況認識できるよう、スピードや高度など必要な情報をできる限り伝えた。

着水のほんの数秒前にも会話が交わされている。「ほかに何かいいアイデアはあるか?」と聞く機長に、「正直言って、ありません」と副操縦士は答えた。

航空専門家の中には、機体の傾きを検知するセンサーが装備されていたことを挙げる者もいる。また、チェックリストや人間工学的デザインを評価する声もある。どちらも緊張状態で不要なミスを犯さないために配慮されたものだ。

興味深い意見ばかりだが、まだ貴重な真実が抜け落ちている。チェックリストは、もともと1930年代に起こった一連の事故を経て生まれた。コックピットの人間工学的デザインは、B―17戦略爆撃機の悲惨な着陸事故を契機に生まれた。CRM訓練はユナイテッド航空173便の事故(編集部注・前記事で紹介)を教訓に生まれた。

どれもいわば逆説的な成功だ。失敗があったからこそ、成功が生まれたのである。

結果だけを見た非難と賞賛

サレンバーガー機長とユナイテッド航空173便のマクブルーム機長に対する世間の反応の違いも見ておいたほうがいいだろう。

マクブルーム機長は、燃料切れ事故を起こしたものの、パイロットとしてはすばらしい技術を示した。建ち並ぶアパートを避け、木々をかわしながら、90トンのジェット機が地面に墜落する衝撃を最小限に抑える場所を探して、100人以上の乗客の命を救った。

しかし彼は非難を浴びた。航空業界では失敗を個人的な問題に帰してはならないという声が大きかったが、世間一般の人々は、事故のときに操縦桿を握っていたマクブルーム機長を責めた。彼らの怒りはすさまじかった。

「訓練を積んだパイロットが燃料切れに気づかずに、問題なく着陸できたはずの飛行機を墜落させるとは何ごとだ!」

マクブルーム機長は、事故後間もなく引退した。そして、それから3年もしないうちに妻と離婚している。彼が亡くなる8年前の2004年、事故関係者の懇親会が開かれたが、生き残った乗客の1人エイミー・コナーは、そこで会ったマクブルーム機長をこう描写している。

「とても傷心している様子で(中略)見る影もありませんでした。操縦士のライセンスを失くし、家族を失くして、残りの人生がめちゃくちゃになってしまったんです」


彼の悲劇(そう呼べるとすればだが)は、人間の認識力やコミュニケーション能力について、まだ十分に理解されていなかった時代にパイロットをしていたことだ。当時のシステムには潜在的な問題があった。失敗はいつ起こってもおかしくない状態だった。

大統領に称えられたサレンバーガー機長も、もし同じ状況に立っていたら、同じ失敗を犯していたかもしれない。彼が成功して英雄となれたのは、航空業界がそれまでの失敗から学んでいたからだ。

これは、謙虚なサレンバーガー機長自身が認めている。「ハドソン川の奇跡」の数カ月後、あるテレビ番組のインタビューで彼は我々に貴重な知恵を授けてくれた。

我々が身に付けたすべての航空知識、すべてのルール、すべての操作技術は、どこかで誰かが命を落としたために学ぶことができたものばかりです。(中略)大きな犠牲を払って、文字通り血の代償として学んだ教訓を、我々は組織全体の知識として、絶やすことなく次の世代に伝えていかなければなりません。これらの教訓を忘れて一から学び直すのは、人道的に許されることではないのです。

*編集部注:実際と異なり、映画『ハドソン川の奇跡』では機長らが事故調査委員会から厳しい取り調べを受ける様子が描写されています。

(マシュー・サイド : コラムニスト、ライター)