鉄道のレールは100年以上前からリユースされ続けてきました。だからこそ残る激レア古レールを求めて全国行脚する鉄道ファンもいるそうです。

100年以上続く「リユース」の精神

 国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)をきっかけに、様々な素材のリユースやリサイクルが注目を集めています。ただ、鉄道の世界では、だいぶ昔から使えなくなったレールを、屋根などのホーム上屋や跨線橋を作る材料に転用してきました。なかには、明治時代に外国から輸入したレールが再利用されているケースもあります。

 鉄道のレールは鋼鉄製ですが、日本で鋼鉄製のレールが作られるようになったのは、1901(明治34)年に官営八幡製鉄所が操業を始めてからのことです。それまでは、外国の製鉄会社にレールを発注し、輸入していました。


JR浅草橋駅ホーム上屋を支える古レールの列柱(咲村珠樹撮影)。

 レールは車輪との摩擦で少しずつすり減るので、ある一定の年月で定期的に交換しなければなりません。結果、国鉄を始めとした鉄道事業者には、用済みとなった古レールが溜まっていきました。

 鉄道のレールとしては使えなくなったものの、質の良い鋼材であると同時に十分な長さを持つ古レール。鉄鋼製品の生産量が少ない時代、他の用途であれば、まだまだ使うことができる素材を転用しない理由などありません。

 レールはI字型の断面をしているため、いわゆる「形鋼」と見なせることから、駅のホームを支える上屋(屋根などの構造物)や、跨線橋を作る際の部材としてリユース・リサイクルするのは、自然な発想だったといえるでしょう。

 こうして、用途に合わせて曲げや溶接、リベット留めといった加工を経て、古レール製の構造物は全国の駅に広がっていきました。ちなみに、これらに使用されている古レールは、1924(大正13)年に日本標準規格(当時はJES、現JISの前身)で鉄道用レールの国内基準が制定される以前、規格や製造方法などがまちまちで品質が統一されていない時代のものが多くなっています。

140年前のレールを現役使用する駅も

 古レールが使われたホーム上屋や跨線橋などの構造物は、明治・大正・昭和・平成を経て令和になった今でも各地に残っていることから、それを見るために全国行脚する鉄道ファンも少なくないとか。東京都内では上野駅の山手線・京浜東北線ホーム(1〜4番線)や水道橋駅、浅草橋駅をはじめとする大正〜昭和初期に作られたホーム上屋が相当します。

 特に水道橋駅はアーチ状に加工された姿が美しいだけでなく、1880年代製のものを含む国内外のレールが各所に使われており、さながら古レールの博物館のようです。製造年とメーカー名が記された刻印が確認できるだけでも、イギリス(キャンメル、バーロウ)、アメリカ(カーネギー)、ドイツ(ウニオン)、そして日本(官営八幡製鉄所)とバラエティ豊か。なお、国鉄だけでなく、国有化される前の日本鉄道(東北線、高崎線、常磐線、山手線を建設した明治時代最大の私鉄)が発注したものも、そのなかに含まれます。

 同じく東京都内に残る跨線橋では、日暮里駅そばにあるものや、2023年12月に撤去工事が始まる三鷹駅近くの「三鷹跨線人道橋」などが古レールをリサイクルして作られています。三鷹の跨線橋は、近くに住んでいた作家の太宰治が愛したことでも知られます。


明治時代の輸入レールが使われたJR水道橋駅(咲村珠樹撮影)。

 これら古レールは駅の景色に溶け込んでしまい、意識して見ないと製造年やメーカー名に気付けませんが、横須賀駅など一部の駅では見つけやすいよう厚い塗装を落とし、目印となるボードを設置しているケースもあります。

 また、JR阪和線の紀伊中ノ島駅(和歌山市)ホーム上屋には、当時の阪和電気鉄道が官営八幡製鉄所の操業当初に製造されたレールを再利用して建設したものがあり、2009(平成21)年には産業考古学会の推薦産業遺産に認定されているほどです。

 前半生はレールとして、そして後半生はホーム上屋などの部材として、文字通り日本の鉄道を100年以上にもわたって「支えて」きた古レール。しかし、近年は駅のリニューアル工事などで数を減らしつつあります。

 そんな古レールが、日常の鉄道風景に存在するのも永遠ではありません。見つけた時には、そっと歴史の重みを想像してみるのも、悪くないような気がします。