近年の科学技術の発展で、体細胞からさまざまな細胞に分化できる人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作り出すことが可能になったため、人間の皮膚細胞を機能的な卵子や精子に誘導することが現実味を帯びており、将来的には「男性の卵子」や「女性の精子」を作ることも可能かもしれません。もし人間の体細胞から生殖細胞を作り出す技術が実現した場合、体外受精や不妊治療、同性婚といった分野でどのような課題が生じるのかについて、オーストラリア・モナシュ大学の生命倫理学講師であるジュリアン・コプリン氏らが解説しています。

Eggs from men, sperm from women: how stem cell science may change how we reproduce

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これまで、人間の生殖活動は女性が作り出す卵子と男性が作り出す精子が受精し、子宮内膜に着床することで成立していましたが、iPS細胞の登場によって本来の性別とは逆の生殖細胞を作れる可能性が浮上しました。

多くの科学者は、iPS細胞から生殖細胞を作り出す技術が人間に応用されるのはまだ先のことだと考えています。しかし、記事作成時点ではすでにオスのマウスの体細胞から卵子を作り出して受精させ、「親が両方ともオスのマウス」を作り出す実験が成功しています。

オスの細胞から作った卵子と精子で「親が両方ともオス」のマウスが誕生 - GIGAZINE



コプリン氏らによると、体細胞から生殖細胞を作り出す技術には、3つの異なる臨床的な応用が考えられるとのこと。1つ目が「体外受精を合理化する」というもので、記事作成時点の体外受精では採卵のためにホルモン注射を繰り返し、いくらかの外科的処置を行うため、卵巣を過剰に刺激するリスクが伴います。もし体細胞から生殖細胞を作り出せるようになれば、体外受精に伴うリスクを軽減できる可能性があります。

2つ目は、「ある種の医学的不妊症を回避できる」というものです。たとえば、卵巣が機能しない状態で生まれた女性や、早期閉経して卵子が作れなくなった女性の体細胞を使用し、卵子を作ることができるようになるかもしれません。

3つ目は、この技術を応用して「男性の卵子」あるいは「女性の精子」を作成し、「同性カップルの子どもを作る」ことです。従来の生殖行為では、同性カップルは両親の遺伝子を受け継いだ子どもを作れませんが、この技術を使用すれば同性カップルでも両親と遺伝的に関係のある子どもを育てられる可能性があります。



コプリン氏らは、人間の体細胞から生殖細胞を作り出す技術が実用化された場合、以下の5つの課題に直面すると指摘しています。

◆1:それは安全なのか?

その他のさまざまな科学技術と同様、体細胞から生殖細胞を作り出す技術の安全性について、慎重な試験と厳格なモニタリングを繰り返す必要があります。また、子どもを作るということは一時的な問題ではないため、生まれた子どものフォローアップも重要です。

◆2:それは公平なのか?

もし、このテクノロジーへのアクセスが富裕層のみに限定されていた場合、世界に新たな不平等を生み出す懸念があります。不平等を解消するには公的資金の投入が役立つかもしれませんが、それが適切かどうかを判断するには「国家が人々の生殖を支援するべきなのか?」という議論を経る必要があるかもしれません。

◆3:アクセスを制限するべきか?

生殖細胞の質と数は年齢と共に低下するため、一般に高齢カップルになるほど子どもを作るのが難しくなりますが、体細胞から生殖技術を作り出すことで理論的にはすべての年齢で「新鮮な生殖細胞」を提供可能になります。しかし、高齢の女性が妊娠することは身体的・心理的・社会学的な負担が大きいため、依然として議論が続いているとのこと。

◆4:代理母の問題をどうするのか?

仮に男性の同性カップルから皮膚細胞を採取し、卵子と精子を作り出して胚を作成できたとしても、その胚は妊娠するための母胎を必要とします。記事作成時点でも、依頼者の代わりに代理母が妊娠・出産を行うケースはありますが、これには法的・倫理的・物理的な困難が伴います。

◆5:法律上の親は誰になるのか?

すでに代理出産や卵子・精子提供などの普及に伴い、「子どもの法律上の親は誰なのか?」という問題が浮上していますが、体細胞から生殖細胞を作り出せるようになればその問題はさらに加速します。理論的には、「1人の皮膚細胞から卵子と精子を作りだし、遺伝的な親が1人しかいない子どもを作る」ことや、「2組のカップルの胚からそれぞれ精子と卵子を作り出し、合計4人の遺伝的な親を持つ子どもを作る」ことすら可能なため、法的・倫理的な問題について社会が考える必要があります。



体細胞から生殖細胞を作り出すことの潜在的な用途として、最も物議を醸しているのが「同性カップルでの生殖」だとコプリン氏らは指摘しています。同性愛関係における生殖上の制限については、医療専門家が治療する義務を負わない「社会的」なものとみなされることもありますが、道徳的な利害関係をみれば同性カップルであろうと異性カップルであろうと、「子どもをほしいと思うカップルの生殖を助ける」という根本は変わりません。そのため、異性カップルの不妊治療を行うのに同性カップルの不妊治療を行わないのは不当だという見方もできます。

また、体細胞から作り出した生殖細胞による生殖が普及すれば、たくさんの胚から「より優れた子どもに育つ可能性が高い胚」を選択できる可能性も生じます。この点については、優れた胚を意図的に選択することの倫理的問題があるだけでなく、逆に「良い人生を送る可能性が高い胚を選べたにもかかわらず、ランダムに胚を選んで育てること」の道徳的責任も議論する必要があるとのこと。

コプリン氏らは、「特に体外受精のように深遠かつ広範囲な影響を及ぼす場合、法と倫理が新しい技術に後れを取る可能性があります。この技術が普及する前に、どのように規制するべきか議論する必要があります。科学の急速な発展を考えれば、今すぐにこの議論を始めるべきです」と述べました。