「運のいい人」とは科学的にはどういう人なのか。脳科学者の中野信子さんは「運のいい人は能力の高さで決まるわけではなく、他者に対する行動で大きく決まる。これは紀元前の時代から証明されている」という――。

※本稿は、中野信子『新版 科学がつきとめた「運のいい人」』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

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■座る前に周囲への配慮、できていますか?

たとえば仕事帰りの込んでいる電車で、自分が立っている前の席が空いたときに、自分が座ってしまう前に、まわりにお年寄りや妊婦さんがいないかを確かめることができる人。

あるいは、雨の日の狭い道。人とすれ違うときに、相手に傘がぶつからないように、そして傘から落ちるしずくで濡れないようにするために、ていねいに傘を傾けることができる人。

仕事でトラブルが起きたとき、「私はできることはやりました」と言い張るのではなく、「私にミスはなかっただろうか」「私がもっとできることはなかっただろうか」と考えられる人。

たとえばこんな人でありたい、と私は考えています。

要は、自分さえよければいいと考えるのではなく、きちんと他人のことを思いやれる人。ここぞという場面だけでなく、日々のちょっとした出来事の中でも、他人のことを思いやれる人でありたい、と考えているのです。

実は、これができる人が運のいい人、ともいえるのです。

このことは生物の歴史が教えてくれます。

■脳が小さい現生人類はなぜ生き残れたのか

私たち現生人類(ホモ・サピエンス)の亜種とされているひとつに、ネアンデルタール人がいます。

ネアンデルタール人は、いまから約20万年前から3万年前までに、ヨーロッパや中東アジアに住んでいました。

ネアンデルタール人がなぜ絶滅してしまったのか。その謎はまだ明確になっていませんが、一説には、現生人類の一派であるクロマニヨン人の攻撃によって絶滅したとされています。

ネアンデルタール人と現生人類の脳の大きさを比べると、ネアンデルタール人の脳の平均的容積は男性で約1500ccなのに対し、私たち現生人類は約1400ccと、ネアンデルタール人のほうが大きいのです。このことから、少し前までは脳の小さい現生人類が生き延びることができたのは、ネアンデルタール人よりも攻撃性があったから、という説が有力視されていました。

しかし最近の解釈は変わりつつあります。

というのは、脳全体の大きさは現生人類よりネアンデルタール人のほうが大きいのですが、脳の中の前頭葉という部分は、現生人類のほうが大きいということがわかったのです。

前頭葉は、人の言語活動、運動、精神活動などを担う部分ですが、前頭葉の中でもとくに前頭連合野は、思考や創造を担当する重要な部分です。未来を見通す力、それに基づいた計画づくり、利他の概念、社会性など、人間らしい思考を行うのです。

■運のいい人は、みなと協力できる社会性を持っている

つまり、現生人類が生き延びたのは、ネアンデルタール人より社会性に長けていたからだ、という見方が有力となってきています。

男性ひとりが生き延びるのは、弱い女性や子どもを含めた共同体が生き延びていくことより簡単です。自分さえ強くなり、オオカミなどの敵から逃れ、自分だけの食料を確保できれば、それで生き延びることができる。しかしヒトとして種を残していくためには、弱い女性や子どもも守らなければいけない。共同体として生き残らなければならない。そのためには、みなで協力して生き延びようとする社会性が必要になってきます。

ネアンデルタール人は、その社会性をもっていなかったために、進化のゲームで負けてしまったというのです。

会社や個人の商店などをみてもそうですが、生き残るというのは、ひとつの運のよさといえますね。

そしてその生き残りのコツを、ネアンデルタール人と現生人類の脳の差が教えてくれるのです。

そのコツとは、他者を思いやること。自分さえよければいいと考えるのではなく、お互いを思いやり、みなで協力して生き延びようとする社会性をもつことなのです。

■運気を上げるコツは「他人を素直にほめる」

運のいい人は、他人をほめるのが上手です。

しかも、ただほめるのではなく、他人のよさを素直にほめるのです。さらに、「すごいな」「素敵だな」などと思ったことを、すぐに本人に伝えます。

たとえば友人の着ている服が素敵だなと思ったら、その場で「今日の服、すごく素敵だね」と言います。友人の考え方がすばらしいなと思ったら「そういう考え方ができるってすごいね」と言うのです。

他人を素直に正しくほめられる人は、他人から好かれるようになります。

アメリカ人のウォリス・シンプソン(1896〜1986年)という女性をご存じでしょうか。

彼女はイギリス国王エドワード8世と「王冠をかけた恋」に落ちた女性として一躍有名になりました。

ウォリス・シンプソンとエドワード8世は結婚を望みますが、彼女に離婚歴があり、ふたりが交際を始めたときにはまだ人妻だったことなどから、イギリス王室をはじめ、首相、そして国民の大多数が結婚には反対。

エドワード8世は国王の座をとるか、ウォリス・シンプソンとの結婚をとるかという選択を迫られ、結局、国王を退位してしまうのです。このことは当時「20世紀最大のスキャンダル」ともいわれ、日本の新聞でもトップニュースで報じられました。

ところで、エドワード8世が国王の座を捨ててまで一生を共にしたいと願ったウォリス・シンプソンという女性の魅力は何だったのでしょうか。

■肩書ではなく、その人自身を愛していたのではないか

一説によると、彼女は並々ならぬほめ上手だったといいます。

これはあくまで私の想像ですが、エドワード8世はウォリス・シンプソンのほめ言葉によって、初めてひとりの人間として認められたと感じたのではないでしょうか。

国王に即位してからはもちろんのこと、国王になる以前から王位継承権第1位という身分で生まれた彼に対し、家族を含め周囲の人は当然、「(将来の)国王」として接したはずです。

しかし国王である前に彼もひとりの人間であるはずで、ウォリス・シンプソンはそこをきちんと見ていたのではないか、冠や肩書きなど身にまとっているものではなく、エドワード8世その人自身を愛したのではないか、と思うのです。そしてそこから紡ぎ出されたほめ言葉が彼の心を射止めたのではないでしょうか。

ウォリス・シンプソンの例は少し極端ですが、私たちも自分のことをほめてくれる人を悪くは思いませんね。むしろ好感を抱きます。

ではどうして、人はだれかにほめられると、その人に好感を抱くようになるのでしょうか。

それは、もともと人の脳がだれかにほめられたり、評価されたりするという社会的報酬を好むからなのです。

写真=iStock.com/MaximFesenko
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■もし独裁者だったら、目の前の1万円をどう分ける?

このことを証明する「独裁者ゲーム」という実験があります。

この実験では、ふたりでひと組になってもらい、ふたりのうちどちらかひとりを独裁者と決めます。そして独裁者に1万円を渡し、「この1万円を相手の方と分け合って持って帰ってください。どのように分けるかはあなたがひとりで決めてください。取り分がいくらになっても、相手には変更を希望する権利も断る権利もありません」と告げるのです。

中野信子『新版 科学がつきとめた「運のいい人」』(サンマーク出版)

さて、もしあなたが独裁者だったら、1万円をどのように分けますか。

実験結果では、おおかたの人が「5対5」に近い割合で1万円を分けました。ひとり5000円ずつ、もしくは自分が6000円で相手は4000円、あるいは自分は4000円で相手が6000円というぐあいで、自分ばかりが大いに得をするという分け方をした人はほとんどいませんでした。

おおかたの人は、より多くのお金を受け取ることよりも「あの人はケチではない」「あの人は善良な人だな」などの評価を得ることを、要は金銭的報酬より社会的報酬を選んだのです。

つまり、他人を素直にほめられる人というのは、その相手に社会的報酬を与えているわけで、当然、その相手から好かれるようになります。

ですから、どんどん他人をほめましょう。心の中で「すばらしい」「すごい」などと思ったことは素直に口に出して伝えましょう。心の中で思っているだけではだめで、直接言葉で伝えることが重要です。

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中野 信子(なかの・のぶこ)
脳科学者、医学博士、認知科学者
東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年、東京都生まれ。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。著書に『サイコパス』『不倫』、ヤマザキマリとの共著『パンデミックの文明論』(すべて文春新書)、『ペルソナ』、熊澤弘との共著『脳から見るミュージアム』(ともに講談社現代新書)、『脳の闇』(新潮新書)などがある。
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(脳科学者、医学博士、認知科学者 中野 信子)