発達障害の当事者はさまざまな苦しみを抱えている。『ルポ 高学歴発達障害』(ちくま新書)を書いたフリーライターの姫野桂さんは「世間では『発達障害は天才』という受け止めもあるが、実際には発達障害に苦しんでいる人も多い」という。姫野さんの著書から、発達障害の特性から何度も転職を繰り返すことになった女性のエピソードを紹介する――。
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■「発達障害者は天才」という大きな勘違い

トーマス・エジソンやスティーブ・ジョブズなど「歴史的な偉人や著名人が実は発達障害であった」という言説はいろいろとある。そのため、「発達障害は天才」と言われる風潮が一時期あったが、それは誤りである。

発達障害者の中には特別な力を持つ人、例えば一度見たものを写真に撮ったかのように隅々まで詳細に覚えているといったサヴァン症候群(障害とは対照的に突出した能力を示すこと)の人がいることは事実だが、それは発達障害者の中でも特別な能力を持っているからこそ注目されているに過ぎない。

また、「発達障害は個性だ」と言われることも多いが、これも当事者自身以外は言うべきではない禁句であるように私は考えている。個性で言いくるめられないから困りごとを抱えたり、苦しんだりしているのだ。発達障害の特性を持っていても仕事やプライベートがうまくいっている当事者のみが「発達障害は個性だ」と言える。周囲の人びと、特に健常者が「発達障害は個性だからさ」と励ましのつもりで放った言葉が当事者たちの首を絞めているのだ。

加えて、「ケアレスミスをしやすい」「遅刻してしまう」といった当事者の悩みに対して「そういうことは誰だってあるから気にしないほうが良いよ」といった励ましの言葉も、健常者の物忘れとは次元が違うため、言われたら心を閉ざしてしまう原因になると覚えておいてもらいたい。

■マルチタスクに慣れず就活に苦戦

発達障害当事者の実例

村上優子さん(30歳・仮名)大阪大学外国語学部卒業

村上優子さんは大阪大学を卒業し、現在は某通信会社で障害者雇用の契約社員として働いている。小さい頃から成績は良かったが、勉強するのが好きだからというより父親から怒られたくないため、褒めてもらうためにそうしていたという。幼い頃から忘れ物が多かったりガールズトークになじめなかったりと、ADHD・ASDの傾向が出ていた。

大学生活はうまくやれていたが、就職活動で苦労することになる。広告代理店で企画営業の職に就きたいと考えていた彼女は大手から順に受けていった。しかし、面接で緊張してまったく話せなかったり、事前に考えていた回答が飛んでしまうときもあった。また、予期せぬ質問がくるとうまく答えられなかった。

写真=iStock.com/kazuma seki
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就活は自分をよりよくアピールしないといけなかったり、ときには本音と建前を使い分けなければならないことがある。本書で取材してきた当事者のほとんどが就活でつまずいていることからも、こうした就活テクニックと発達障害の特性は非常に相性が悪いのだと考えられる。

「周りの子たちは阪大というネームバリューからトントン拍子で内定が出ている中、自分だけ夏頃までずっと就活を続けていて。それプラス卒論の準備もあったので、両立ができなくて大変でした。いわゆるマルチタスクができなかったんです。結局内定が出たのは中小の印刷関係の会社でした」

■「勉強はできるけど社会ではやっていけないね」

この会社の人間関係が、村上さんを苦しめることになる。まず、気分に波のあるベテランの女性がいた。村上さんにはADHDのほか、言われたことを言葉のままに受け取ってしまうASDの特性もあった。そのため、そのベテランの女性とコミュニケーションをうまく取れないことが続いた。

「どうしてもケアレスミスが多く、そのたびにベテランの女性に怒られていました。そんなある日、ミスで怒られている最中「もう顔も見たくない」と言われたので「そうですか。わかりました」と、自分のデスクに戻ったら後から内線がかかってきて「今みたいなときは引き下がるところじゃないでしょ」と言われてしまい……」

教師から「もうお前は帰れ!」と怒られて本当に家に帰ってしまう小中学生のようだ。「帰れ」と言われたから帰ったという経験のある人は、思春期の場合は単に反抗しているケースが多いだろうが、中にはASDの特性からそのような行動を取ってしまった人もいるのかもしれない。

他にもベテランの女性からは「あなたは勉強はできるけど社会ではやっていけないね」「今までどういう教育を受けてきたの?」といった人格否定的なことを言われた。阪大卒を背負っているぶん、ミスをしたときの相手の落胆は大きい。こうしたプレッシャーに加えて給与も少ないといった理由から、村上さんは3年間働いたのちにこの会社を退職する。

■心療内科を受診し、ADHDの診断が下る

2社目は専門学校の事務職についた。そこでは学生や保護者への対応や、オープンキャンパスの準備など、やらないといけない仕事が大量にあった。特に保護者からのクレーム対応には臨機応変な対応が取れず、つい電話を切ってしまうこともあった。

オープンキャンパスも頻繁に行なわれたが、参加人数が少なかったりすると当初予定していたスケジュールとは違う対応を取らねばならなかった。自分の中で整理していた段取りが変わってしまうとパニックになり、心療内科を受診することにした。そして医師より「発達障害かもしれない」と告げられ検査を受けると不注意優勢のADHDの診断が下された。

この2つめの職場でも、遠回しな表現が分からずコミュニケーションの齟齬(そご)が起きたことがあった。

「職場の人たちは基本的にみんないい人ばかりで私を責める人はいませんでした。そしてお昼休みは交代制で、私はいつも早い時間にお昼に行かせてもらっていました。ところがある日、上司が「僕、今日13時から会議だわ」と言ってきて、私はそれをただの報告だと思って、いつもと同じ時間に昼休みを取りました。でも後から別の人に聞いたら、「あれ、村上さんが先にお昼に行くのではなくて、〈会議があるから僕に譲ってほしい〉という意味だよ」と言われまして……。そうか、普通の人にとってあの言い回しはそういう意味になるのかと」

■同級生と自分の生活を比べてしまう

ふたたび転職した村上さんは現在、冒頭に述べた通信会社で障害者雇用にて経理担当として働いている。

残業をしなくてよかったり、困りごとが発生した際はすぐに誰かにフォローを頼めたり、マルチタスクでパニックにならないように段階的に仕事を振ってくれたりと、合理的配慮がなされているという。しかし給与は安く、年収は320万円程度だ。ただ、今までの会社もどちらかというとブラック寄りでもともと給与が少なかったので、経済的な面ではそこまで変わらないとも語る。

「今は結婚しているので夫と二馬力(共働き)で生活できている感じです。でも、同級生のSNSを見ると、今の私の給与ではとてもじゃないけど体験できないような趣味にお金を使っていたり、長期休暇の際はヨーロッパ旅行に行っている様子がアップされていて、同じ学歴なのに……と勝手にコンプレックスを感じて落ち込むことがあります。また、意地悪な同級生に会った際は「君の会社は資本金いくら?」と訊かれたこともありました」

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■「阪大卒」が彼女を苦しめている

姫野桂『ルポ 高学歴発達障害』(ちくま新書)

経理の仕事においては会社によっては簿記の資格を取ると手当がつく場合もある。学生時代に猛勉強して阪大に受かったときのように簿記の資格を取らないのかと聞くと、「褒められないと勉強ができない」という答えが帰ってきた。村上さんは発達障害の苦しみも負っているが、父親との関係性も複雑であるように思える。

「父親が厳しかったので、大学受験のときも試験で良い成績をとって良い大学に入れば親も喜んでくれるかなと思っていたんです。でも今、簿記の勉強をしても褒めてくれる人はいません。モチベーションが上がらないんです」

難関国立大学である阪大を卒業してもエリートになれない。そしてつい、定型発達で、うまくいっているように見える同期と自分を比べてしまう。「阪大卒」という本来なら喜ぶべき事実が、彼女を生きづらくさせているのだ。

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姫野 桂(ひめの・けい)
フリーライター
1987年生まれ。宮崎県宮崎市出身。日本女子大学日本文学科卒業。専門は社会問題や生きづらさ。著書に『私たちは生きづらさを抱えている 発達障害じゃない人に伝えたい当事者の本音』(イースト・プレス)、『発達障害グレーゾーン』(扶桑社新書)、『「発達障害かも?」という人のための「生きづらさ」解消ライフハック』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『生きづらさにまみれて』(晶文社)、『ルポ 高学歴発達障害』(ちくま新書)などがある。
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(フリーライター 姫野 桂)