遠山景織子、体当たり演技で話題になった映画『高校教師』。実際とは違うイメージが広まっても気にせず「結構我が強かったのかも(笑)」

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1992年、17歳のときに「南アルプスの天然水」の初代CMガールに起用され、透明感溢れる美少女として注目を集めた遠山景織子さん。

翌年には、女子校の教師と生徒の禁断の愛を描く映画『高校教師』(吉田健監督)のヒロイン・繭役に抜てきされ、日本アカデミー賞新人俳優賞をはじめ、数多くの新人賞を受賞。以後、多数の映画、ドラマ、舞台に出演。

また、バラエティ番組『笑う犬の生活』(フジテレビ系)ではコントにも挑戦し、人気を博す。2023年9月27日(水)から10月1日(日)まで中野ザ・ポケットで上演される舞台『陽だまりの中で』に出演する遠山景織子さんにインタビュー。

 

◆初めての原宿・竹下通りで3社からスカウト

東京・町田市で3姉妹の次女として生まれ育った遠山さんは、小さい頃はお転婆な女の子だったという。

「男の子に自転車を借りて公園に行ったり、一緒にサッカーをやったりして遊んでいました。姉と妹がいるんですけど、姉妹の中でも前に出ていくタイプ。

あとは、小学生のときからお母さんのご飯のお手伝いするのが好きで、しょっちゅう台所に一緒にいました。友だちはファッション誌とかを買っているんだけど、私は料理本とかエッセイの雑誌を買うのが好きで。

両親が忙しかったから、家のことは自分たちがやらなきゃいけなかったんですよね。洗濯ものをたたんだり、交代でお風呂の掃除をしたり、食事を作ったり…それが日常だったので。だから一人暮らしをしても苦ではなかったです」

――小さいときは何になりたかったのですか

「母が看護師だったので、看護師さんになりたいとか、保育園の先生になりたいと言ったことはあります」

――芸能界に進むということは?

「まったく考えてなかったです。憧れはありましたけど、芸能界にということは思ってもいませんでした。父が結構厳しい人で、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)とかも見せてくれなかったんですよ。ドリフがギリギリだったので、父がいないときに見たりしていました(笑)。

父に一度、(松田)聖子さんとかが歌っているときに後ろで踊っている『スクールメイツ』をやってみたいと言ったことがあるんですけど、めっちゃ怒られて(笑)。それもあったので、芸能界という選択肢は自分の中ではなかったです」

そんな遠山さんが芸能界に入ることになったのは、中学2年生になる春休み。スカウトされたいという友だちに誘われて、初めて原宿に行ったことがきっかけだったという。

「私は竹下通りのタレントショップに行って、吉田栄作さんや中山美穂さんのブロマイドを買いたいと思っていたんです。それで竹下通りを歩いているときに3人のスカウトマンに声をかけられて」

――声をかけられたときはどうでした?

「ビックリしました。『このおじさんは、何なんだろう?』って(笑)。男の人が名刺を出してきて、その事務所に入っている人の資料みたいなのを見せられたりとかして。ちょっとうれしいなとは思いましたけど、親に内緒で原宿に来ていたから、『お父さんに何て言おう?』って、そればかり考えていました」

――当初の目的のタレントショップには行けたのですか

「はい。声をかけてきた人がずっとついてきていたので『何かまだずっといるね、あの人』みたいな感じだったんですけど、欲しいものはちゃんと買えました(笑)」

――ご両親はどのように?

「反対されると思っていたら、父が『学校と両立できるんだったらいいよ』って言ってくれて。母のほうが『いや、手に職がないとダメよ』って言っていました。それで、最初に声をかけてくれた人の印象が良かったので、父に一緒に会ってもらって、その事務所に入ることになりました」

※遠山景織子プロフィル
1990年、「ミロ」(ネスレ日本)のポスターでデビュー。1992年、「南アルプスの天然水」の初代CMガールに。1993年、映画『高校教師』で主要な新人賞を多数受賞。映画『美味しんぼ』(森崎東監督)、『ポストマン・ブルース』(SABU監督)、ドラマ『若者のすべて』(フジテレビ系)、『輝く季節の中で』(フジテレビ系)、『キャンパスノート』(TBS系)、舞台 劇団☆新感線+パルコプロデュース『犬夜叉』、大人計画ウーマンリブvol.11『七人は僕の恋人』などに出演。ナチュラルフード・コーディネーターの知識を活かし、長男が中学1年生から高校を卒業するまで6年間作り続けたお弁当レシピを紹介する著書『遠山さんちの明日のお弁当』(竹書房)を出版。2023年9月27日(水)から10月1日(日)まで舞台『陽だまりの中で』(中野ザ・ポケット)に出演。

 

◆「南アルプスの天然水」の初代CMガールに

事務所に所属することになった遠山さんは、雑誌のモデルの仕事やオーディションを受けに行くことに。そして1990年、オーディションでネスレ日本の「ミロ」のポスターモデルに起用される。

――ご自分のポスターをご覧になっていかがでした?

「恥ずかしいような、うれしいようなという感じでした(笑)。学校で他のクラスの人が見に来たりして恥ずかしかったですけど、みんなが知ってくれるのはうれしいなとは思いました」

――このお仕事をやっていこうという思いはあったのですか

「徐々にという感じですね。やっぱり一番思ったのは、『南アルプスの天然水』の初代CMガールのときです。その前もちょっとずつオーディションで受かるようになった頃に、自分のことを作品を通して見せたいという気持ちが強くなってきました。

オーディションに行って、すごい可愛い子とかがいると、『うわーっ』とか思ったりするんですけど、いろんな人に出会うし、受かると自分の個性が認められて選ばれたという感覚があるので。

『高校教師』のときもそうですけど、オーディションのときの行き帰りの電車の自分の気持ちをすごくよく覚えています。芝居とかも下手だし、台本、セリフを読んだりするオーディションだったから、それは全然自信はないんだけど、『絶対に受かりたい!』という気持ちがすごい強かったですね」

――「南アルプスの天然水」のCMは、オーディションに受かる自信はありました?

「いいえ。自信がないからこそ何か強がって、『今日の感覚だと絶対大丈夫でしょう』みたいな(笑)。そう思って自分を奮い立たせるという感じでした。決まったということは電話で聞いたんですけど、本当にうれしかったです。『ヤッター』って思いました」

――CMの撮影はいかがでした?

「泊まりで山梨に行って撮影したんですけど、いっぱい走りました(笑)。CMのまんまですけど」

――透明感があって印象的でした。かなり話題にもなりましたが、反響はご自身ではどうでした?

「街を歩いているだけで声をかけられるというか、反応があるというのが徐々に増えて、『天然水』って呼ばれたりしていましたね(笑)。

ちょうどその年にトヨタのカムリとか、伊勢丹の広告をやらせてもらっていたので、地下道に大きなポスターをズラーッと貼ってもらっていて。その後に『高校教師』だったので、その辺から仕事に対する自分の意識が強くなっていきましたね」

 

◆ヌードも辞さない体当たりの演技が話題に

野島伸司さん原作・脚本の映画『高校教師』は、ある事故がきっかけでラグビーのエリートコースからドロップアウトして女子校の体育教師になった羽野一樹(唐沢寿明)と、過去に傷を持つ生徒・柏木繭(遠山景織子)が禁断の愛を育んでいくさまを描いたもの。

衝撃のストーリー展開、そして驚愕の結末が話題に。遠山さんは、オーディションで350人の中からヒロイン・柏木繭役に抜てき。自分を出産したことで母親が亡くなり、そのことで父親から虐待されていた繭役にヌードも辞さない体当たりの演技で挑んだ。

――オーディション会場の部屋に入ってきた瞬間「繭は彼女しかいない」ということになったそうですね

「『繭が来た』って。でも、そのときは、そんな空気を感じるまでもなく、自分がそうなりたいと思っていました。ドラマ版を観ていたので、映画になることを知って、オーディションを受けたいと思って。事務所の社長にお願いしてオーディションを受けることになったので」

――実は父親を殺害していたということが明らかになるわけですが、オーディションのときから衝撃の展開はわかっていたのですか

「いいえ、オーディションのときは、ドラマのときの台本だったので、その後ですね。決まった後に野島さんと色々お話をさせてもらっていたなかで、自分の生い立ちの話とか父親に対してもコンプレックスを持っていたりとか…自分自身の話もしていくうちに、ああいうストーリーになっていきました。

たとえば、よく言われるのが裸でプールで泳ぐシーンなんですけど、台本を読ませてもらったときに心情的にも必要なシーンだなと思ったので、まったく抵抗なかったですね。常に『繭だったらどうだろう?どうするだろう?』というふうに考えていたので」

――すごく綺麗に撮っていましたよね。先生に自分をすべてさらけ出して…というシーンで

「そうですね。先生に素の自分を見せるというシーンだったので、違和感もなく。当時はまず、そこが取り上げられましたけどね(笑)。そこだけワードで取り上げられていましたけど、撮り方もいやらしくなくて」

――本当に衝撃的な展開でした

「野島さんと色々話しているうちに最終的にああいう形になって。あまり余計なことを考えることもなく繭になれたという感じがします。

私は初めてのお芝居だったので、吉田監督とかプロデューサーさん、皆さんに演技指導していただいて。吉田監督とは、『繭はどういう部屋に住んでいるのか』とか、そういうところから一緒に繭という人物像を作っていきました。

自分で描くということがベース、大事だということもそのときに教えていただいていたので、良かったです。スタートがそれだと、どういうふうにしてその人物を作っていくのかということを一緒に考えて、その台本に書かれていないところを想像するのも大切なことだとわかったので」

――『高校教師』はいくつのときでした?

「撮影のときは17歳、高校2年生でした。演技をすることが初めてで、『高校教師』で本格的に役者として向き合うことになったんですけど、通っていたのが普通の高校だったので、撮影で出席日数が足りなくて、進級できなくなってしまったんです。

それで、タイミング的にも役者を本業としてやっていこうと思っていたので、高校を中退して本格的にやることにしました」

――かなり注目を集めて話題になりましたが、ご自身としてはいかがでした?

「うれしかったです。ちょうど私の世代が観月ありささんとか宮沢りえさんとかだったので、やっぱり話題の人になるということに憧れはあったので」

――役柄のイメージもあったと思いますが、透明感に加え陰も感じさせる独特の雰囲気がありましたね

「よく言われていました(笑)。あの頃の私は、ある意味とんがっていたような気がするんですよね。今だからわかるんですけど、若いからこその美意識も高かったし、こういうふうに見られたいみたいなものもあったので、そういうふうに言われるのはイヤではなかったです」

――実際とは違うイメージが広まって行くことに対しては?

「今の時代のようにネットでというのはなかったですけど、好意的なものばかりではないので、そういうことに関しては、最初はイヤでした。

『何でそんなに違うふうに言われるんだろう?』って思ったことは正直ありましたけど、そのうち、『書かれている記事をみんな信じるものなんだなあ』って。

自分も雑誌とかに書かれていることをずっと信じてきたわけだし、そう思いたい人にはそう思っていてもらってもいいやみたいな。逆に強くなっていった気がします。あまり左右されないようにしようと。結構我が強かったのかもしれないです(笑)」

『高校教師』で話題を集めた遠山さんは、映画『ポストマン・ブルース』、日中合作時代劇ドラマ『風雨一世情』(邦題:『漆器』)に出演。『笑う犬の生活』でバラエティ番組に挑戦するなど幅広い分野で活躍。次回は撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

ヘアメイク:糟谷美紀