俳優・菅原大吉、劇団時代から交際していた妻・竹内都子。“ピンクの電話”が先に売れ「40年近くもよく一緒にいてくれるなあ」
1984年に「劇団七曜日」に入団し、俳優生活をスタートさせた菅原大吉さん。
水谷龍二さんプロデュ―ス舞台『星屑の町』シリーズ、映画『東京原発』(山川元監督)、『ゴンゾウ〜伝説の刑事』(テレビ朝日系)、連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)などに出演。
幅広い役柄を演じ分ける実力派俳優として広く認知され、現在放送中の連続テレビ小説『らんまん』(NHK)、『シッコウ!!〜犬と私と執行官〜』(テレビ朝日系)、『この素晴らしき世界』(フジテレビ系)、公開中の映画『高野豆腐店の春』(三原光尋監督)など出演作が目白押し。
結婚28年目を迎え「おしどり夫婦」として知られる妻・竹内都子さん(ピンクの電話)と2006年に立ち上げた2人芝居ユニット“夫婦印(めおとじるし)”プロデュース舞台『満月〜平成親馬鹿物語(改訂版)』(作・演出:水谷龍二)が2023年9月27日(水)から10月2日(月)まで東京・新宿シアタートップスで上演される菅原大吉さんにインタビュー。
◆劇団のオーディションに受かって上京
宮城県で生まれ育った菅原さんは、テレビで映画『大脱走』(ジョン・スタージェス監督)を観たのがきっかけで、スティーブ・マックイーンのファンになったという。
「うちの兄貴がブルース・リーの『燃えよドラゴン』(ロバート・クローズ監督)がおもしろそうだって言っていたんですよ。それで、2人して観たらめちゃめちゃおもしろくて、そこから映画が好きになりました。
当時の『タワーリング・インフェルノ』(ジョン・ギラーミン監督)、『エクソシスト』(ウィリアム・フリードキン監督)などから映画を観はじめて、『ひまわり』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督)のリバイバルや、チャップリンの映画などを観ているうちに、『映画の仕事に就きたい。映画監督になりたいなあ』ってぼんやりとですが思うようになって。
高校卒業のときに、『東京の映画学校を受けたい』って言ったんですけど、『何を言ってるんだ?馬鹿なこと言ってるんじゃないよ!』って止められて。一応勝手に受けることは受けたんですが、『ダメだ、行っちゃダメだ』と反対されました。それで浪人して地元の大学に入ったんですが、とにかく東京に行きたいって思っていたんですね。
何かきっかけがないかなと思っているときに、友だちが『オーディションがあるよ。一緒に受けないか』って言うので、受けてみたら受かっちゃったんですね。それが、『劇団七曜日』(石井光三さんとレオナルド熊さんらによって旗揚げされた劇団)のオーディション。
レオナルド熊さんが、作品をヤクルトホールでやるから出演者を募集するというので、それで行ったんですね。最初は反対していた親も、最後は『じゃあ、行ってこいよ』と送り出してくれて、東京に出てきたという感じです」
――上京されてからはどうでした?
「どうもこうもないですよね(笑)。本当に全然売れてないし、4畳半に住んでヒーヒー言っていたという感じです。ぬいぐるみ子どもショーの司会のバイトをやったり、トラクターの解体もしていました。
そうこうするうちにカミさんが売れたりとかして。カミさんとは、もうそのときから一緒にいましたからね。結婚したのは95年ですけど、それまで11年一緒に暮らしていたので、もう40年近くになりますかね」
――都子さんとは、劇団でお会いになったときに、最初から惹かれてという感じだったのですか。
「やっぱり合ったんでしょうね、本当に。よく一緒にいてくれるなあっていう感じはします(笑)」
――「劇団七曜日」の同期ということになるのですか?
「そうですね。芝居のために集まったメンバーだったんですけど、お亡くなりになった石井光三社長が、『これはもったいない。せっかくこうやって来たんだから、存続させて私が受け持ちましょう』って、マネージメントをやってくれるようになって、それで劇団としてやりはじめたんですよね。
それで、カミさんたちや僕らもそうだったんですけど、『コンビを組みなさい』ってコントをやらされたりとかして。そのままコントをやっていれば、何とかなったかもしれないですけど、うまくいかなかったといいますか(笑)。
僕は、コントをやってもいいかなと思っていたんですけど、相方の人たちが、『コントはなあ』って。だから、うまくいったグループと、そうじゃないグループとがあって。カミさんたちは、『ピンクの電話』としてうまいこといったという感じでしたね」
※菅原大吉プロフィル
1960年4月14日生まれ。宮城県出身。1984年、「劇団七曜日」に入団。水谷龍二さん作・演出の『ある晴れた日の自衛隊』シリーズ(1994〜1999年)、『星屑の町』シリーズ(1994〜2008年)、「星屑の会」制作のプロデュース公演の全作品に出演。映画『64 ロクヨン 前編/後編』(瀬々敬久監督)、映画『星屑の町』(杉山泰一監督)、連続テレビ小説『エール』(NHK)、『彼女はキレイだった』(フジテレビ系)に出演。2006年、水谷龍二さんの助力により、妻である竹内都子さんと2人芝居ユニット「夫婦印」を立ち上げ、精力的に活動。12年ぶりとなる「夫婦印」プロデュース舞台『満月〜平成親馬鹿物語(改訂版)』が2023年9月27日(水)から10月2日(月)まで東京・新宿シアタートップスで上演される。
◆お客さんがどんどん増え続けて…
1986年、竹内都子さんは同期の清水よし子さんとお笑いコンビ「ピンクの電話」を結成。菅原さんは俳優として舞台、映画、ドラマに出演することに。
――菅原さんは俳優に。
「そっちに行っちゃったんですね。何だかんだ言ってもやっぱり好きだったんでしょうね。普通の仕事は無理だろうなっていう感じはしていました。
うちのカミさんは、芝居がやりたくて東京に出てきていたんですね。演劇をやりたかった。僕はそういうのがあまりなくて、流れでフラフラーッとこうなったという感じなんですけど(笑)。
それで、94年から『星屑の会』という、今回の芝居の作家でもある水谷龍二さんが作、演出の芝居をずっとやっていたわけです」
――『星屑の町』は2020年に映画にもなりましたね。
「はい。映画にもなったんですよ。『星屑の町』というのは非常に不思議な作品でね。最初は、下北沢のスズナリ劇場でやったんですが、初日のお客さんが、40人か50人か、それぐらいだったんですよね(笑)。
そこから10日間もやってないと思うんですが、お客さんがどんどんどんどん増え続けていって、最後のほうはもう入りきれないくらいになっていました。ぎゅうぎゅうに詰めて、ステージも1メートルぐらい前までお客さんを座らせてやった記憶があります。
それが1回目の公演なんですけど、そのときに平田満さんが前から2番目のところで膝を抱えて観ていたんですよね(笑)。そういう作品なんです。
それから何回かやるうちに驚きなのは、やっぱり新宿コマ劇場ですよね。前川清さんを主役に星屑のメンバーが出演するということになって。新宿コマ劇場の最後の演目に参加できたというのもびっくりですよね。
それがまたしばらくしてテレビにもなっているんですよ、深夜でね。3作品か4作品やって映画にもなったんですからね。本当にビックリしました」
映画『星屑の町』は、地方回りの売れないムード歌謡コーラスグループ「山田修(小宮孝泰)とハローナイツ(ラサール石井・渡辺哲・でんでん・有薗芳記)」の悲哀の日々を描いたもの。歌手を夢みる愛(のん)がすったもんだの末にメンバーに加入。念願だったスポットライトを浴びることに…。菅原さんは、好き勝手に生きている山田修に遺恨を残す弟・英二を演じた。
――のんさんがゲストで。菅原さんは、のんさんの監督作にも出演されていますね。
「そうなんです。のんさんとは、『あまちゃん』のときには絡みもそんなに多くなかったんですけど、のんさんが最初に監督した『おちをつけなんせ』のときに、呼んでいただいて。それでまたのんさんの監督作『Ribbon』にも呼んでいただいて。うれしい限りですよ。本当に」
――『星屑の町』ののんさんも魅力的でしたね。
「そうですよね。やっぱりのんさん以外ではできないんではないかというようなすばらしい女優さんです。また何かでご縁があればと思っているんですけど」
――のんさんが監督の現場はいかがでした?
「おもしろかったですよ。『おちをつけなんせ』と『Ribbon』では父親役だったんですが、のんさんと一緒に演じていると、自然と父と娘になれる、すばらしい女優さんですよね」
――『おちをつけなんせ』では、監督・脚本・撮影・照明・美術・衣装・編集・音楽のすべてをのんさんが担当されていましたね。
「本当にアーティストという感じですよね。女優さんであり、歌手であり、絵やイラストを描いたり、何でもできるマルチな才能があるからおもしろいです。
絵を描いたりすることが好きだと聞いていたので、監督をやってもおもしろいだろうなあと思いました。それでまた独特な世界観で、妖怪がいっぱい出てきたりしてね(笑)。その後の『Ribbon』のときは、まるで違う感じでしたし。コロナ禍に対する色々な思いをああやって本に書けるというのがすごいですよね」
◆ドラマの撮影でギックリ腰に
二枚目から三枚目、都会の男から田舎の男、善人から悪人まで幅広い役柄を演じ分け、実力派俳優として定評がある菅原さん。
2008年には『ゴンゾウ〜伝説の刑事』に出演。内野聖陽さん演じる主人公・黒木のかつての同僚で、他の刑事たちが黒木を煙たがるなか、「黒ちゃん」と呼び、好意的に接する岸章太郎警部補役を演じた。
「『ゴンゾウ〜伝説の刑事』は、初めて連続ドラマのレギュラーですよ、あの年で。だから、すごくうれしかったですね。
脚本が古沢良太さんで、『向田邦子賞』を取ったんですよ。やっぱり脚本もおもしろかったですからね。内野(聖陽)さんと一緒にやりながら、監督さんといろんなふうに作っていって…思い出深いです。いい役どころをいただきましたよね。
それで、また何回も再放送されてありがたいですよね。そのおかげで『何かこの人見たことあるなあ』みたいなことになっていくんでしょうけど、普段はあんなキリッとした顔はしてないです(笑)」
――撮影はいかがでした?
「あれは本当におもしろかったです。ただ、不思議なもので、そういういい仕事のときって、何かあって、ギックリ腰になったりするんですよね(笑)。
朝、衣装室で靴下を履こうとした瞬間にギックリ腰になってしまって、そこから動けなくなったんですよ。それで、注射を打ってもらったり、腰痛ベルトをして撮影をやりましたね。だから、その日に撮ったシーンを見ていると動きがちょっとおかしいんですよ(笑)」
――全然わからなかったです。
「あるんですよ。『ああ、このときだったなあ』って(笑)。おかしかったですよ、それは。でも、周りは意外と気づかないわけですよ。歩き方がちょっと遅いなぐらいな感じで。すごい思い出深かったですね」
――ギックリ腰は癖になるといいますね。
「そうなんですよ。2、3回やっているんですよ、若い頃なんですけど。意外とこの年になってからは少ないんですが、やっぱり神経使っていたからなのかなって思いましたね」
『ゴンゾウ〜伝説の刑事』に出演したことであいさつをされることが多くなったという菅原さん。連続テレビ小説『まんぷく』(NHK)、映画『太陽の蓋』(佐藤太監督)、映画『雨に叫べば』(内田英治監督)など多くの作品に出演することに。
次回は撮影エピソードなども紹介。(津島令子)