小塚和季インタビュー(前編)


写真提供:エー スポーツ クリエイション

 近年、移籍市場が活発な動きを見せるJリーグでは、もはやシーズン途中での夏の移籍も珍しいことではなくなった。それどころか、最近では主力級の選手が電撃的に移籍するケースも増え、夏のマーケットはさらなる活況を呈している。当然、海外移籍も例外ではなく、ヨーロッパの新シーズン開幕に合わせ、新たに海を渡る選手も少なくない。

 2021年から川崎フロンターレでプレーしていた小塚和季もこの夏、シーズン途中での海外移籍を決断した選手のひとりだ。

 レノファ山口、ヴァンフォーレ甲府、大分トリニータで"天才的"とも称される攻撃センスを発揮した小塚も、川崎移籍後はなかなか出場機会を得られず、昨季までの2シーズンでリーグ戦出場は17試合。徐々に出番を増やしていた今季でもリーグ戦出場は5試合、うち先発出場は1試合という状況にあり、移籍を決断すること自体にそれほどの驚きはなかった。

 ただし、意外だったのは、その移籍先。Jクラブではなく、ヨーロッパクラブでもなく、Kリーグ1、すなわち韓国1部リーグに所属する水原三星ブルーウィングスだったからだ。

 なぜシーズン途中に移籍を決めたのか。なぜ韓国を新天地に選んだのか。新たな舞台に立つ小塚に、決断の真意を聞いた――。

――まずは、今回の移籍に至った経緯を聞かせてください。川崎であまり出場機会がないなか、いつ頃から移籍を考えていたのですか。

「いや、移籍は正直、全然考えていなくて、川崎でやりきるつもりでずっといました」

――それが、なぜ移籍することに?

「(J1第18節の)浦和レッズ戦のあとだったと思いますが、僕が(レッドカードで)退場してしまったあの試合のあとに(苦笑)、『水原三星が興味を持っているかもしれないよ』っていうことを(代理人から)聞きました。

 その後、正式なオファーがきたのですが、まだその段階では移籍を決断するには全然至っていなくて、実際に水原三星の強化担当の方とか、スカウトの方とオンラインで話せる機会があったので、そこでいろいろと話を聞いて、どうしても来てほしいっていう熱量を感じてからですね、『移籍しようかな』っていう方向に気持ちが向かっていったのは。

 ですから、もともとはずっと川崎でやるつもりでいました。川崎でも(試合出場の)チャンスがなくはなかったし、ここ最近は調子もよくて、オニさん(鬼木達監督)も使ってくれているっていうのは僕もわかっていたので......。このまま川崎で、っていう思いも正直、ありました」

――浦和戦まで4試合連続出場と、ちょうど出番が増えてきたタイミングでしたね。

「それで、なおさら(移籍を決断する)難しさがありました」

――川崎から正式に移籍の発表があったのは7月6日。正式なオファーがきてから、かなり短期間で決断したことになります。

「僕は結構、(これまでの)移籍もパッと決めちゃうタイプなので、長く悩んだっていうことはなかったです。しっかりと話を聞いてからは、すぐに決断できました。直感的な部分が大きかったです」

――水原三星側からは、起用法などについて具体的な話も聞いたのですか。

「水原三星の中盤にはこういう選手がいるので、僕にはボランチとして一緒にやってもらいたいというような具体的なプレゼンがありました。僕からも聞きたいことを聞きましたし、どんなサッカーをするのかというような詳しい話を聞いたなかで決めたので、(実際に合流してみて)困ることはありませんでした」

――Kリーグに関する知識や興味はどの程度あったのですか。

「まったくなかったです。過去に何度か、Kリーグのクラブから(移籍の)話があった時も断っていたくらいなので。だから、今こうなって、自分でもビックリしています(笑)」

――今までは断っていたのに、なぜ今回は心が動いたのでしょうか。

「う〜ん、そうですね......、正直、日本の他のクラブに移籍っていうのは自分のなかでもそんなに考えることができなくて......。(他のクラブに)行くなら『韓国はありなのかな』って思ったんですよね」

――なぜ日本のクラブは考えられなかったのですか。

「川崎が好きだったからです、単純に」

――小塚選手にそう思わせる川崎の魅力とは?

「やっぱりレベルが高いですし、サッカーに集中できる環境が整っている。毎日の練習は本当に刺激的でした。できれば、川崎で長くやりたいっていう気持ちはありました」

――今回の移籍に際し、チームメイトに相談することはあったのですか。例えば、水原三星が古巣のチョン・ソンリョン選手から情報を得たりとか。

「決まる前にあまりそういう話はしたくなかったので、チームメイトに話したのは、もう決まってからですね。それまでは、誰にも相談っていうのはしなかったです」

――言い換えれば、自分のなかできちんと整理をつけられた、と。

「そうですね。最終的にクラブ同士の話し合いになったところで、僕の意思としては(水原三星に)行く気がありますっていうことを、その時に初めてチームメイトだったり、いろんな人たちに、相談というより、報告という感じで話をしました」

――鬼木監督にも直接自分の意思を伝えたのですか。

「オニさんには、クラブ同士での話が決まってから話しました。オニさんも僕を使い始めたタイミングだったので、『残ってほしいっていう気持ちもやっぱりある』っていうことを言ってくれました。ただ、僕のサッカー人生でもあるし、年齢(29歳)というところも考えて、僕の気持ちを尊重してくれました」

――移籍の決め手は何だったのですか。

「やっぱり水原三星というクラブに、すごく魅力を感じたということです。Kリーグのなかでも名前も聞いたことのある有名クラブでしたし、なおかつ、そのクラブが(移籍前の段階で)最下位にいるということで、少しでも順位を上げるためのチャレンジだったり、水原三星がまたかつてのような強豪になっていくためのチャレンジだったりっていう、そういうところにすごくやりがいを感じました」

――最下位であることが、むしろモチベーションになった、と。

「そうですね。ここで何か爪痕を残したいっていう気持ちもありましたし、ここで活躍すればまた注目もされるだろうし、っていう思いはありました」

――海外移籍とはいえ、現在はヨーロッパのクラブへ移籍する日本人選手が多いなかで、Kリーグに行くことに抵抗はなかったですか。

「(水原三星が)自分を求めてくれているっていうことがすごく大きかったので、抵抗はなかったです。やっぱりサッカー選手としては、求められているところでプレーするのが一番。それはたぶん、誰もが望むことだと思います」

――実際に韓国でプレーしてみて、日本との違いをどう感じていますか。

「サッカーには何が正解っていうのはないと思うので、あくまでも(どちらがいいか悪いかではなく)違いで言えば、韓国の選手たちは目の前に敵がいたら仕掛ける気持ち、突破する気持ちがすごく強いなっていうのは感じます。日本だったら(攻撃を)やり直すシーンとかでも、韓国では前への推進力だったり、パワーでどんどん突き進んでいく。そこが今、日本と韓国では結構違う部分なのかなっていうのは思っています」

――そうした違いもあるなかで、ほとんど準備期間もないまま、新しいチームで試合に出ることに不安はありませんでしたか。

「水原三星は最下位だったし、最初の試合(移籍後初戦の大田ハナシチズン戦)がすごく重要だと思っていたのに、そのなかで0−2になった時は、ちょっとヤバいなと思いました(苦笑)。

 でも、そこから2−2に追いついた時の選手のプレーっていうのはクオリティが高かったですし、水原三星にはいい選手がいるので、このまま落ち着いてやれば、絶対に最下位からは抜け出せるっていう気持ちに変わったというか、希望の光が見えたというか。あの試合で、やってやろうっていう気持ちがさらに強くなりました」

――新たな環境で自分の武器をどう生かすか、ということについてはどのように考えていますか。

「たった数日の練習でも、周りの選手たちが僕の特長を見抜いてくれたというか、僕はパスを出すのが得意なので、僕がボールを持った時にすぐに動き出してくれた。だから、僕としてもそんなにやりにくさを感じることなく、うまくチームに入れました。それで、チームメイトも信頼してくれたのかなって思います」

――移籍後初勝利となった蔚山現代FC戦(3−1)では、DFラインの背後へ落とす浮き球のワンタッチパスでチャンスを作り、先制点をお膳立てしました。川崎OBの中村憲剛さんも、小塚選手のそうしたパスセンスを高く評価していたと聞きますが、直接アドバイスされたことはあったのですか。

「そんなには多く話してはいないんですけど、昨年のガンバ大阪戦(J1第3節。2−2)で(1点目を)アシストしたシーンがあって、それは(相手選手の頭上の)空間を使ってというか、ペナルティーエリア付近から浮き球のパスでアシストしたんですけど、憲剛さんから『オレもああいうプレーは好きだし、ああいうプレーができるのはおまえぐらいだと思う』みたいなことを言ってもらえて、それはすごく自信にはなりました」

――水原三星の試合でも、すでに小塚選手がボールを持つだけでスタンドが沸くようになっています。サポーターからも認められているのではないですか。

「やっぱり声援が聞こえてくると、自分がボールを持った時に『何かしてやろう!』っていう気持ちになります。見ている人が楽しめるプレーをすることに、僕もサッカー選手としてすごくやりがいを感じているので、今は気持ちよくプレーできているのかなと思います」

(つづく)◆後編:小塚和季が「ビックリした」Kリーグの応援>>

小塚和季(こづか・かずき)
1994年8月2日生まれ。新潟県出身。パスセンスあふれるミッドフィルダー。帝京長岡高卒業後、在学中に特別指定選手として登録されたアルビレックス新潟入り。その後、2年目に期限付き移籍したレノファ山口をはじめ、ヴァンフォーレ甲府、大分トリニータ、川崎フロンターレでプレー。そして2023年7月、韓国の水原三星ブルーウィングスに完全移籍した。