松永浩美が語るブーマー・ウェルズ 中編

(前編:ブーマーは「穏やかで情が深い人間」 松永浩美が振り返る、カエルのイタズラや誕生日サプライズ>>)

 1984年に外国人選手として初の三冠王に輝いた、元阪急ブレーブス(現 オリックス・バファローズ)のブーマー・ウェルズ氏。そのバッティングを、阪急でのチームメイトだった松永浩美氏はどう見ていたのか。打順を巡って言い争ったエピソード、その理由と結末も聞いた。


ブーマーが松永浩美と揉めた理由は?

【ブーマーの独特なリズムの取り方】

――ブーマーさんは、NPB在籍10年で通算打率.317、277本塁打、901打点と見事な成績を残しました。チームメイトとしてバッティングを見ていてどうでしたか?

松永浩美(以下:松永)体格の違いもあるでしょうが、まずパワーが違います。阪急ブレーブスが練習を行なっていた西宮第二球場でブーマーがフリーバッティングをやっている時、私はサードを守っていた。ある日、ライナーで飛んできた打球を捕ろうと思ったら、そこから球がホップしてフェンスを越えていったんです。

 西宮第二球場の右中間寄りには阪急の選手寮が隣接していたのですが、そこの3階に打球をドーンとぶち込むこともありました。あと、西宮球場では場外、たぶん160mぐらい飛ばしたこともあったと思います。西宮球場は競輪もやっていた関係で、外野の端のほうにバンクが設置されていたのですが、そこにもバンバン強烈な打球を当てていました。度肝を抜かれましたね。

――当初から規格外のパワーを見せつけていたのですね。

松永 すごい選手が来たなと。ただ、自分のことをロングヒッターではなくアベレージヒッターと認識していました。確かに阪急に来る前のメジャーでの2年間では、通算のOPS(出塁率+長打率)が.566しかなかったですから。

 外国人助っ人の中には、「俺はメジャーで成績を残してきたから、日本でも打てる」と考える選手も多かったようですが、実際には全然打てなかったという例もたくさんある。ブーマーが「俺はホームランバッターじゃないよ」と言えるのは、来日時の自分の立場をよくわかっていたからだと思います。ただ、日本での通算のOPS.927は超一流の数字です。

――バッティングに特徴はありましたか?

松永 バットコントロールがよかったです。それと、打席で構えた時にバットを肩にコンコンコンとやるのが印象的なので上半身に目が行きがちですが、基本的には膝でリズムを取っている。そのリズム感が独特なんです。日本人のバッターで多いリズムの取り方は「タン、タン、タン、タン、タン」という感じなのですが、ブーマーは「タタ、ターン、タタ、ターン、タタ、ターン」というリズムなんです。

 ブーマーはアメリカ出身ですが、自分が生まれ育った地域に根づいたダンスなどがあるのかもしれないし、そういったもので体に染みついたリズム感なのかもしれませんね。それが、日本のピッチャーのタイミングに合いやすかったのかな、という気はします。

 球場のロッカーでも、よく音楽を流していました。周りに迷惑にならないように小さめの音量で流していましたが、私が「なんの音楽?」って聞くと少し音量を上げてくれた。レゲエっぽく聴こえましたけど、それがたぶん、日本人にとってのJ-POPや演歌みたいな感じだったんじゃないですかね。やっぱり、そのあたりの感性は日本人とは全然違いますね。

【ブーマーと打順を巡って言い合い】

――松永さんは、ブーマーさんと打撃について揉めていたという話も聞いたことがあります。

松永 確かに揉めていましたね。私はよく1番を打っていましたが、それは出塁率が高かったから。フォアボールがとれて、ヒットも打って、かつ両打ちで盗塁もできましたから。

 一方で4番を打っていたブーマーは、打点を稼いでナンボだし、ホームランを打ってナンボ。ただ、私が一塁にいて盗塁すると、四球で歩かされる可能性が出てくる。それが嫌で、私が走るとわざとファウルを打つんですよ。

 ある試合では、私が3回続けて盗塁を仕掛けた時に、すべてカットされました(笑)。その時にパッとブーマーを見たら、後ろを向いて笑っていました。私が呼吸を乱してぜぇぜぇ言ってたからでしょうね。

――松永さんはブーマーさんに何か言わなかったんですか?

松永 もちろん「なんで打つんだよ!」と言いましたよ。そうしたら、「マツさん、ナイスラン! それだけ動いたら体のキレがよくなるよ(笑)」って。その後も、走りたいけど、ブーマーがファウルにしちゃうから走れないというシーンが多くて。ブーマーも怒るというか、「う〜ん」という顔をするんです。

 私もブーマーが外国人選手として数字を残さないといけない契約をしているのはなんとなく知っています。だから、困っているような彼の顔を見ると、もう動かないほうがいいのかなとは思うんですが......やはりベンチで言い合うことはありましたね(笑)。

――上田利治監督(当時)はどう対応したんですか?

松永 ブーマーとベンチで言い合いをしている時、上田監督に「監督室に来い」と呼ばれて、「2人で打順を決めろ」と。そうしたらブーマーが、すぐに手を上げて「俺は3番」と言うもんだから、上田監督が「じゃあマツは4番な」って。私は「自分は4番タイプじゃないです」と反対しました。

――実際はどうなったんですか?

松永 その通りになりました。ブーマーが3番を打つ時は私が4番。ブーマーが4番を打つ時は私が5番。とにかく、ブーマーの後ろを打つことになったんです。ただ、相手チームからしたら、そのほうが嫌だったみたいですが。

 それは現役引退後に、対戦したことがある何人かのピッチャーから聞いたことですけどね。ブーマーの後ろを打つバッターの力が落ちるようであれば、ブーマーとの対戦を避けることもできますが、そこに私がいると歩かせるわけにもいかないと。

 あと、直接聞いたわけではありませんが、ある相手チームのピッチングコーチは「ブーマーが三冠王を取れたのは、マツが後ろにいたからだよ。マツが後ろにいなかったらブーマーは歩かされているから」と言っていたようです。本人たちの気持ちなどとは関係なく、打順が変わると相手の受け取り方がこうも変わるのか、というのは面白いですね。

――ちなみに、ブーマーさんは近鉄にいたサイドスローの柳田豊投手を苦手としており、右打席ではなく左打席に入ったことがありましたね。その瞬間は何を思いましたか?

松永 あまりにも柳田さんを打てていませんでしたからね。「どっちみち右でも打てないんだから、左に立とうか」ってとこだったんじゃないかと。たぶん三振したんじゃないかな。でも、その1度だけですし、気分転換がしたかったんだと思います。

――打順の件でいろいろ言い合ったようですが、バッティング論などの話もしましたか?

松永 多くのシーズンで、開幕してから4、5月くらいまでは私とブーマーがリーグの打率ランキング上位を争っていることが多かったんです。だから「今日は打ったね」とか、「明日も俺は打つよ」などと声を掛け合っていました。
 
 ブーマーの調子が上がらない時には、「どうしたの? 眠っているのか?」「もう少ししたら打つよ!」というやりとりがあったり。それで私が「打ってから言え! 打ってない時に何を言っても寝言と一緒だ!」なんて追い討ちをかけたり(笑)。いい刺激になっていましたし、切磋琢磨できるいい関係でしたね。

(後編:間近で見た門田博光のハイタッチ脱臼の瞬間 ブーマーは「えっ!?」と驚き「そんなに力は入れていなかった」>>)

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。